珪藻土バスマットの捨て方について

珪藻土(けいそうど)のバスマット、いいよね。


何だそれ? という人のために、次で説明する。

今どきデパートの家具コーナーやニトリなどに行くと、「水分をすぐに吸収する石」といって、石と水のスプレーが置いてあることがある。水を吹きかけるやいなや、またたく間に吸収していく石を見たこともある人も多いだろう。あれが珪藻土だ。


で、あの石はああやってすぐ吸い込む様子を眺めながらお酒を飲むという使い道のほか、バスマットとして使うという商品も出ている。それが珪藻土バスマットだ。

 

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  【珪藻土(けいそうど)のバスマット】

 

 

お風呂から上がったあと、ひとたびこの石の上に立つだけで足の水分が根こそぎ奪われていく。脱衣場がビチョビチョにならないし、石に染み込んでいく感じもクセになる、とてもいい製品。
なんなら脱衣場の床を全部はがして、かわりに珪藻土を敷き詰めたいくらいだ。
いやいっそのこと家のフローリングをすべて珪藻土にすれば、たとえコーヒーをひっくり返したとしても床を拭く手間が省ける。クイックルワイパー業界がたちどころに消滅するだろう。


が、珪藻土のバスマットにはひとつ大きな欠点があって、割と早く劣化するんだよね。
汚れやほこり、人の皮脂なんかで目詰まりして、吸水性が失われる。
使用頻度によって差もあるけれど、だいたい1年くらいで「ただの石」になってしまう。

 

これをメンテナンスする方法は、あるにはある。
紙やすりで表面を磨くことで、ある程度の吸水性は戻ってくる。でも、これがこの世界で最も面倒くさい作業なんだよね。
だいたい普通の家に紙やすりの常備なんてない。普段の買い物で、トマト、キャベツ、そして紙やすりなんて組み合わせで買わないでしょ。

 

そして、いざ紙やすりで削る音もうるさいし、削った粉も撒き散るので、わざわざ外に持っていった上でシャゴシャゴ磨かないといけない。
さらに言えば紙やすりも、あんまり目が粗いと足が痛くなるので、その辺では売られていない非常にキメ細やかなタイプを買ってくる必要がある。

 

そして・・・それだけのことをしたとしても新品同様に戻るわけじゃないんだ。せいぜい寿命が1ヶ月くらい伸びる程度。


というわけで大体、吸水性が失われてきたらニトリで新しいものを買う運びになる。1,000円くらいだし、今の仕事だったらターケットの2~3人ほどボスに生きたまま引き渡せば稼げる金額だ。


で、新しいものを買うのはいいんだが、今度は逆に、古くなったものを捨てる時が困る。

ここにきて僕らは、もはや水を吸収する気がまるでなくなったデカい石を手にしながら、これまでの人生で「石を捨てる」経験をそれほどしたことがないことに気が付かされるのだ。

 

珪藻土バスマットを捨てる時はどうすればよいのだろうか。
ツイッターなどでも意見を募りつつ、色々と考えた方法を以下に記載するので参考にしてもらいたい。

 


1.川へ投げる

俺たちのような男の子にとって、石は川に投げ込んで遊ぶものだ。
自分が小学生だった頃は、石が川へ沈むまでに水上で何バウンドするかをみんなで競い合ったりしたものだった。

「それがこんなでっかいバスマットになると投げ方も相当コツが必要だろうなあw」などと、ややワクワクしながら近所の川へ行ったものの、【不法投棄厳禁】と書かれた巨大な看板の前でバスマット抱えて立ち尽くしたのでした。

そこへ大きく書いてあった文章によれば、僕らが散々川へ投げ入れた「石」が「珪藻土バスマット」と名を変えたとたんに、たとえ何バウンドしようがただちに不法投棄とみなされ、1,000万円以下の罰金刑または5年以下の懲役刑が課されてしまうのだという。


こんな理不尽が許されていいんだろうか。子供の川遊びが石投げであるなら、成長した大人の川遊びは珪藻土バスマットを川にぶん投げることだ。
俺たちの青春を返せと言いたい。


2.ハンマーで割って粉々にする

これはツイッターのフォロワーから提唱された方法だ。
上記のように、本来は川に投げ込んでいた石が珪藻土バスマットとなると罰せられるのは、ひとえに「でかいから」という理由にほかならない。
つまり、これをハンマーで叩き割り、手頃な大きさにまで小さくすれば、後はいくら川にドブンドブン投げ込んだって合法だという考え方だ。
論理的、法学的にも実に理にかなっている。

 

が、意外とハンマーで叩き割るのは難しく、ちょっとやそっとぶっ叩いただけじゃビクともしないらしい。
ならば、もっと合理的な方法として「高いところから落下させて砕く」のが良いのだという。
フォロワーが絶賛していたウェブサイトの記事によれば、「わたしは近所の公園の階段から投げ落としてました!!」とのこと。こんなもん公園でぶん投げて子どもたちにでも当たった日にゃ、不法投棄の罪よりも何倍も重たい罪で裁かれることになるだろう。

 


3.共用部に置く

上記のような合理的ではあるが脱法的な方法には、さらにやや手間がかかるという欠点があった。
そこで、もっと手軽に珪藻土バスマットを捨てられはしないかと3日間考えて出した答えがこれだ。

 

まず、やり方が非常に簡単である、というのがこの手法のウリだ。
あなたがもしマンションに住んでいるなら、非常階段へ行き、そこの一番下の床に珪藻土バスマットを置いてくる。以上。後は家に帰るばかりだ。

 

一見すると単にその辺に捨ててるだけじゃねえかなどと思われがちだが、階段に置いてくるのがこの方法のポイントで、こうすれば何も知らない人からすると「なんか階段が1段増えたな」と思われるだけで、よもやそこへ珪藻土バスマットが捨てられているなんて絶対に気が付かない。


これを思いついた時、僕はまったく水を吸収する気がなくなった珪藻土バスマットの上で一人「やった」と呟いたものです。

 

ただ、完璧に思われるこの方法にもひとつだけ欠点がある。
それは、この方法を長い間続けると、それに応じて階段も果てしなく長くなっていくことだ。
その結果、たとえば本当にマンション火災なんかがあって非常階段を利用しないといけない時、この悪質な不法投棄の犯人もろともマンション住人みんなが焼け死ぬことになる。
(ただ、その墓石を珪藻土バスマットで作れば良いので多少は費用が浮くものと考えられる。あ、そうだ珪藻土で墓つくればよくない?)


4.紙やすりで完全に削りきる

これもツイッターのフォロワーから提唱された方法で(みんなアレの捨て方に困っているんだ)、紙やすりを使って珪藻土バスマットを猛烈な勢いで磨き続け、そのまますべてを粉末状にしたうえ、あとは風にのって遠くの国へさようなら。


うん、論理的に間違っている箇所はなさそうだ。世の中には頭の良いことを考えつく人もいたもんだと俺は膝を打った。さっきまでの方法も一応膝を打ってるんだけど。
でもな、そもそもメンテナンスのために表面を削るのも面倒くさいの俺は! やだ!

 


以上、これらいろいろな珪藻土の処分方法を検討したが、どれにも一長一短があり、結局この中で最も使えそうな答えが「貯めておいて自分の墓にする」というものだったのは誠に残念である。

これら考えつくあらゆる方法を一応試した後は、またこれもフォロワーが言っていた「うちは粗大ごみで出してるよ」という新たな方法について、今後その合法性などを慎重に検討していこうと思う。多分非合法だと思う。

 

これまでに見たクソ映画9の話

みなさんこんにちは。

今日はこれまでに僕が見たクソ映画を語ります。

 

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本題に入るにあたって「クソ映画」の定義を先に書きます。

 

 

・映画上映中に全観客のいびきでセリフが聞こえないことがある

・これを見るくらいだったら映画館に行く道すがら自転車にぶつかって108分間昏睡していたほうがマシ

・映画始まる前の例のビデオカメラ頭の男も「ああこれ?別にいいよ」と言ってコピーするための空きDVDを1枚くれる

 

これらの条件にひとつでも該当するようなしょーもない映画のことをいいます。

 

僕はクソを見るのが好きではありません。なるべくであれば、クソを見ずに過ごしたいものです。そのため僕は、人から評判を聞いたり、プロモーションビデオを見たり、過去の作品をネットフリックスなどでおさらいしたりしてから映画館に足を運びます。しかし、それでもクソを見る羽目になることがよくあります。あいつらは非常に巧妙にそうした防御壁をかいくぐってくるクセ者なのです。

 

今日はそうした愛すべき作品について皆さんに紹介したいと思います。

 

とはいえ今回の記事はあくまで個人的な感想であるのと同時に、中には自分の好きな映画シリーズも入っているので、罵倒というより「叱咤激励」というか、今後頑張ってほしいという意味でもありますので、怒らないでいただきたいと思います。

また、そのため、本当はもっと悪口いいたいところをぐっと堪えることとします。それではどうぞ。

 

 

 

 

9位:スターウォーズ 最後のジェダイ

 

壮大な宇宙規模のクソ映画。

世界に名だたる人気シリーズをもとにして、よくここまでのクソ映画を作れたものだと逆にフォースの存在を信じさせるようなシロモノで驚きを隠せない。

 

まず、前作から引き続き主人公だったレイが急に強すぎ

前作は「ちょっとした力のある人」という感じだったんだけど、今作では急にとてつもなく強いジェダイになるのね。急に超能力とか使い始める(しかもその間に目立った修行だとかはしない)。

この強すぎる主人公の存在のため、作品全体で全くハラハラしない。

 

相手となる帝国も弱すぎ。なんかラスボスみたいな存在も途中であっさり殺されちゃう。

内紛、命令無視し放題のおバカ解放軍どもにも好きなようにやられていて、途中から敵の立場でイライラ。

 

唯一の見どころは、老人となったルーク・スカイウォーカーが1人で帝国の前に立ちはだかるシーン。

これだよこれ!!! これが見たかったの! いや~~~わかっていたんですね!

 

しかし、それも結局、ルークの身体はホログラフで作られている虚像で、ルークにとっては最初から安全な戦いだったと後からわかる。

な~んだ・・・さっきの緊張感はなんだったんだ。

しかししかし、次の瞬間、なぜかルークが死ぬ! なんでだ! うーんわからん!

 

これほどの超重要な人が「なんとなく出番終わったんで死にます」的な感じで消滅するのがすっごくモヤモヤする。

前出の「強くなりすぎたレイ」の引き換えに天に召されたとしか思えないし、説明不足なもんだから熱心なファンほど怒ったんじゃないかと思う。

 

おまけに言うと、ラスボスや、ハン・ソロを殺した真のラスボス(レン)も、なんか印象薄いっていうか・・・普通の根暗な兄ちゃん??という感じがする。悪者になるためのエピソードが不足しているんだよね。合宿中にちょっと殺されそうになったくらいであんなダークサイドに落ちますかね? でも、そう思ってしまうのは、アナキン・スカイウォーカ=ダースベイダーへの思い入れが強すぎるからだろうか。

こうは言ってても、次回作(最終作)も見るんだろうなあ。

 

 

8位:ウルフ・オブ・ウォールストリート

 

主演、レオナルド・ディカプリオのクソ映画。

 株の世界で大スターに上り詰めた男は、実はインサイダー取引に手を染めた犯罪者だった。

その栄光から破滅までを描いているんだけど、犯罪して、大儲けして、だいたい想像つく豪遊(酒に女、ドラッグ)で遊びまくり、最後に逮捕されて茫然自失。

そんだけ。重要な示唆もなければ感動もない。

 

ただただ金とセックスにまみれた豪遊生活を見せられた後、ドラッグで破滅するだけのしょーもない映画。wikipediaだと4行くらいで終わる内容。

更に、そのどのシーンもどこかで見たもので、例えば豪遊生活では「お金を撒き散らして両脇に女性抱えて」って・・いやさすがにそんな絵に描いた餅のような人いなくないか?

ところどころえげつないシモネタもあってそれにもげんなり。

しかもそれだけの映画なのに3時間もあんだよこれ!!!!

 (などと書いたらツイッターのフォロワーにこれのファンが多かった・・・)

 

7位:ジョーカー

 

この前書いたとおりなので割愛。

 

こういう「あいつが凶悪犯になるまで・・・」みたいな映画って、だいたい映画中でずっと理不尽なイジメや、考えうる限りの悲劇を受けつづけるんだけど、それがとても(製作者の)身勝手に思えて可哀想なんだよね。 同じことは他の映画でも言えて、たとえば、「動物の死を乗り越えて少年が成長する物語」っていうと、かならずペットにしている犬が死ぬじゃん。成長を描くために殺される犬が可哀想で仕方ないんだよね。

 

この映画もそんな香りがかなりした。

というか、映画冒頭からそういうシーンのてんこもり。

あーはいはい、ここの道を行ったらジョーカーが嫌な思いするんだよね・・・というみんなの予想がそのまんま的中し、見てる方としてはジョーカーと共にとても嫌な思いをする。

その一方で、ジョーカー自身の行動にも共感できないものだから、純粋にその嫌な思いだけがこちらの心に残る。とても疲れる映画。アカデミー賞狙う映画って判で押したようにこういう映画多いよね。

 

絶賛している人の感想もそれなりにわかるけど、あの病院でのラストシーンについてはどう思うのかな。蛇足もいいところだと思うけど・・・。

 

 

6位:バットマンVSスーパーマン

 

アメリカ人のみならず世界中から愛される正義のヒーローたちを集めてよくここまでクソ映画が作れるなと逆に感心してしまう2時間30分ものクソ映画。これには副題として「ジャスティスの誕生」って名前がついてるんだけど、「クソ映画の誕生」に変えたらいいとさえ思う、それなら最初から見に行くこともなかっただろう。

 

まず、スーパーマンの前作「マン・オブ・スティール」を見ていないと、冒頭からストーリーがよくわからない。が、そこへいくと俺はスーパーマンが大好きだから、もちろんマン・オブ・スティールをしっかり見たうえで本作を見て、そのうえでどうしょうもないクソ映画だと確信した。

 

冒頭のストーリーを少し紹介すると・・・

「地球のために戦うのは良いんだけど、いろいろ暴れすぎなんだよスーパーマン!!」という怒りが、市民に溜まってきている。

バットマンもそうした怒りを抱く1人で(自分の会社にも被害出てるし)、正義のために暴走するスーパーマンを力づくで止めようとする。これが「バットマンVSスーパーマン」ってこと。

 

で、そうした中、スーパーマンに怒れる市議会による、スーパーマンに対する公聴会が開かれるのであった・・・。え、スーパーヒーロー集めてきて公聴会とか地味か?

 

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そもそも、DCコミック大好きな皆さんが予想するように、バットマンとスーパーマンと力の差ありすぎる。知らない人のために説明すると、スーパーマンって超絶な力を持って生まれた宇宙人なのね。バットマンが5000人いたって絶対勝てやしない、と、僕たちはこの映画見る前から想像つく。

 

じゃあバットマンはどうするのか見てると、その力の差を埋めるために、原理がよくわからんご都合アイテムを突然出してきたと思ったら、それだけであっさりスーパーマンが負けそうになる! よわ!

 

目をつぶってここまではまあいい。

ぶっちぎりで最悪なのがラスボスで、それまでのやや社会派サスペンスっぽい流れをぶち壊すB級っぽさ全開の怪物モンスター!! 

これはだめだろこれは!

 

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更にそこへワンダーウーマンも現れてスーパーマン達と共闘するんだけど、(彼女がいつもそうであるように)お前なんでその格好で戦おうと思ったんだってくらいのほぼ裸のコスチュームで、場違い感がやばいし、B級感にさらなる拍車をかける役割しか果たしていない。

 

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映画「ワンダーウーマン」では戦いに行くまでに色々あったのでその格好もわかるけど、普通に文明社会で暮らしてる今作ではまともな格好してこいよ!

 

そして最大のマイナスポイントとして、バットマンクリストファー・ノーランじゃない!!!!誰だあのケツアゴ野郎!!

 

これがアベンジャーズとの歴然たる差なのか。。。と思わせるヒーロー物クソ映画。

こんな体たらくなので、続編の「ジャスティス・リーグ」も見ていません。

ちなみにこの映画の前作だと言った「マン・オブ・スティール」の方はめちゃくちゃ面白いのでそっちおすすめ。

逆にそのデキの良さに騙された被害者が世界中で1億人くらいいると思われる。

 

 

5位:007 慰めの報酬

 

これを書くとフォロワーが悲しむかな~と思ったけれど、自分の大好きな「007シリーズ」からも選出。

 

まず、シリーズで初めて「続編」として作られた作品であって、前作の「カジノ・ロワイヤル」を見ていないと、主人公のボンドがなんでこんなにも怒り、葛藤し、戦っているのかわからん。

が、まあそれはきちんと前作見てもらうんでしょう。俺は007はすべて見た、子供の頃大ファンだから、もちろん前作もしっかりと見た、そのうえでどうしょうもないクソ映画だと確信した。

 

前作で最愛の人を失い、悲しみと怒りに暴走する主人公ボンドの前に立ちはだかる敵というのが、なんかウガンダだか何ンダだかのNPO法人で、水の利権だかを支配しつつお金稼ぎしようとかいう、なんかめっちゃスケールが狭いやつ。利権がらみの話なんでストーリーも複雑、登場人物も多め。更にそこへボンドの個人的な復讐劇なんかが折り重なってきて、見てる途中からまったく置いてけぼり。さらにそうした内容を上映時間100分ほど(ボンド映画史上最短)でやるもんだから、「なんだか良くわからんうちに終わった」という感想を持つ人多数だと思われる。

あとボンドガールがあんまり可愛くない・・・。

 

なお、この前作である「カジノ・ロワイヤル」は個人的に007最高傑作だと思っているのでぜひ見てね。

バットマンVSスーパーマンもそうだけど、最高傑作に調子こいて出した続編がクソなこと多い気がする。

 

 

4位:サイレントヒル

 

【そこからは、死んでも逃げられない】

おもしろそう!!このフレーズ考えた人すごいわ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~めっっっっちゃクソ映画だったけど。

 

原作は同名のホラーゲーム。

霧が立ち込める不思議な街「サイレントヒル」を舞台にしたサスペンス・ホラー映画だ。

 

ゲームを実際にプレイしたことはないけれど、世界観を知って面白そうだと感じたこと、某映画批評サイトでこの映画が98点を獲得していたことから見てみた。

 

ストーリーはおおむね原作のゲーム通り。原作どおりなのだが、それは原作の通りストーリーがよくわからんことを意味している。

 

かいつまんで説明すると、ある日突然、主人公の娘が行方不明になる。失踪直前、娘がうわ言のように繰り返していた言葉「サイレントヒル」を手がかりに、同名の街を尋ねる主人公。しかしその街は不気味な濃霧に包まれており、恐ろしいモンスターがウヨウヨしているのであった・・・。

 

お~~面白くなってきた!

話の続きいくよ?

 

その街にはいなくなった娘の心のかたわれであるもうひとりの娘がいてそれが悪魔の中心ような存在で人々への復讐のためにモンスター達を生み出しており、更に本当の娘と一体化することによって完全な神になろうとしていてそれを知った母はそれを受け入れるとともに、でも本当の娘のほうは返してねと言って一体化した娘と融合し自分たちを悪魔だといって迫害していた村人どもをめでたく全員血祭りにあげるのでした。わかる? 俺にはよくわからん。

 

原作ゲームをプレイしていたとしても、このあたりのストーリーはグッドエンディングからバッドエンディングまで全部見た上で「なんとなく」わかる程度であり、これを120分くらいで表現しなくてはいけない映画の苦労もわかる。

わかるけど、120分可能な限りストーリーを再現したうえで「バッドエンディング」なんだなこの映画!!! 

 

映画のラストはこう。

やっとの思いで娘を助け出した母親。二人なかよくベッドで寄り添う・・・んだけども、あたりには深い霧が依然として漂う。同じ家にいるはずの夫はなぜか妻娘を探し続けている。そして、二人は静かに目を閉じる・・・そんなのありかよ!

 

映画の中身も、最初から最後まですんごいスプラッター映画。もうSOWシリーズとかそんくらい。ストーリーの内容についていけないと、ただただ120分間スプラッタ映像を見せられるだけの映画となる。

そりゃもうすごいよ。

人の身体から皮膚だけをズルンって剥いたり(桃やりんごじゃねえぞ)、ラスボスの身体から生えている変な紐みたいなものでいとも簡単に人が真っ二つになったりする。真っ二つだよ?! ちゃんとその断面とかも僕らに見せてくれるの。このクソ映画がまず真っ二つにされるべきだろう。

 

とはいえ、逆にスプラッタ大好き、モヤモヤなエンディングしか愛せない(ちょっと変わった)人にとっては傑作になるかもしんない。

 

 

【映画】サイレントヒル あらすじからネタバレ解説。ラスト結末を考察 帰れたのか? - ぺぺの映画備忘録

すごくわかりやすいし、このネタバレを読んでから本作を見ればかなり楽しめるだろう。

僕自身もこれを読みながら「これってこんな面白い映画だったの?!」と思った・・・。

 

  

3位:未来のミライ

 

突然自分に声をかけてきた少女は、実は未来からきたクソ映画だった。

和製クソ映画を語る上で外せない作品がここでランクイン。

 

まず、この映画を見た100,000人が100,000人とも抱く感想であって、改めてこのブログで言うものではないけれど、4才児の主人公の声がおかしいを通り越してめちゃくちゃ怖い!!

幼児どころか明らかに成人女性の声で、そのおかげで脳が混乱をおこし、この子が何を言っているのかまったく頭に入ってこない。これを心理学では認知的不協和という。

 

これがこの映画のクソさの半分くらい。

 

ただ、声優さん自身は「君の名は」の三葉の声をあてた人の妹らしいから、これ以上ひどいことを言うのはやめる。

 

未来のミライ」のクソさは声だけにとどまらない。

この作品は途中から、主人公のガキンチョの意味不明な精神世界をただただ見せられるものへと変わる。

自分や、他人の思考、声・・・そういうものが抽象化され、真っ暗な自分の頭の中をグルグルとめぐる・・・そんな理解不能な映像がかなり長い間続く。

 それはそれとして表現のひとつなんだろうと思う。

さて、ところで、俺はこのクソ映画を金曜ロードショーで見る直前に(映画館で見るような愚は犯さなかった)、偶然「エヴァンゲリヲン」の昔の劇場版をNetflixで見ていたのだが、本当に瓜をふたつ横に並べて見比べるほどソックリなんだなここの表現が。

俺に限らず、何万人もの人が「これエヴァじゃん」と思ったろう。

  

この他、主人公にキレてイライラする母親を見てこっちまで終始イライラするし、主人公の声は前述したとおり不自然で不気味、表現としてもすでにエヴァでやったものだから別に新しいものでもない。つまり見る価値がまったくないクソ映画。

 

余談だが、この映画の主人公のガキンチョが「クンちゃん」という名前なのは、まさにこの映画が「クソ」であることをあらかじめ明示しているとも言えよう。

 

 

2位:ドラゴンボール 復活のF

 

これも以前書いたとおり。実質1位の作品。

「復活のF」じゃなくて「無駄な2時間」って名前に変えたらいい、そうしたら最初から見ることも無かっただろう。もはやタイトルの原型ないやんか。

 

── 悟空の宿敵であるフリーザが復活。さらなるパワーアップを果たし、地球へ復讐にやってくる・・・。

 

このテーマは、全国のちびっこどもの興味を引くことに加え、俺のように現役世代でテレビを見ていたおっさんどもにも映画館に足を向けさせるものとなっている。

 

・・・・が、内容としてはそうした優れたテーマをギャリック砲で破壊し尽くしたようなものとなっている。

 

まず、地球に攻めてきたフリーザが、実際に悟空やベジータと戦うのは映画終了20分前くらい。それまでずっと雑魚との戦いの引き伸ばし。ある意味で「これこそドラゴンボール!」なんだが、これにお金を払った子どもたちの脳裏には「詐欺」の二文字がはっきりと浮かんだろう。まだ漢字難しいかな。

 

それだけでもクソ映画確定なのだが、驚くことに、いよいよ悟空たちが出てきてからの20分間が、もう想像を絶するような超ビックバンクソ映画なのよ。考えられます?

 

映画残り20分、ようやくフリーザの前に現れた悟空とベジータ

いよいよこれから血で血を洗う死闘の始まり・・・かと思いきや、宇宙の彼方で修行をつんできた悟空らにとって、フリーザが悲しいくらい全く手も足も出ない。悟空に傷一つ付けられない! 120分中100分も待ち続けたラストバトルだよ?? 

 

極めつけが、フリーザが可哀想だからって、悟空とベジータは2人一緒には戦わないの。

「俺がひとりでやっつけてやる笑」みたいな感じの舐めプが始まる。しかし、たとえそれでも為す術がない可哀想なフリーザ・・・。復活してはいけなかったのだ。

 

が、それでも、油断したせいで悟空が死にかけるシーンがある。この映画唯一のハラハラ演出。

でも聞いて驚け、それはフリーザの攻撃じゃなくて、どこかの誰かが撃ったピストルに撃たれる場面なんだよ! 

ピストルだよピストル!!?

超サイヤ人を超えた超サイヤ人ゴッド(笑)が、科学の武器で瀕死になるなんて思います?! 

通常アニメではピストル撃たれても常に指1本で「ピン」って跳ね返してたのはなんだったんだ???

 

しかし、そうした傷も、全回復チートアイテムの「仙豆」一個食べて無かったことに。笑いながら「いやー油断した笑 じゃあ次ベジータに交代な笑」

これがラスボスとの戦いか?!

 

他方、そうした戦いを見届ける役割の神様(ビルス様)の存在もイライラする。

悟空たちの戦いなんかそっちのけでパフェを食べては、ことあるごとに「これうめえな~w」なんて気楽なシーンが戦闘中にカットインしてくるので緊張感が全く生まれない。

 

悟空「パンチ!」

フリーザ「ゲフっ・・」

悟空「キック!」

フリーザ「うぐぁ」

ビルス様「このパフェめっちゃ甘えな~」

その仲間「こらこらビルス様、食べ過ぎですよ」

悟空「喰らえ~!」

 

みたいな感じ。なんでこんな演出にしたんだろう?

 

そして更に聞いて驚け。これだけ罵倒しつつも、最も酷いシーンはこの先にある。

 

最後の最後、悟空とベジータにボコにされたフリーザが、最後の悪あがきで自爆し、地球だかナメック星だかをもろともに粉々にしてしまう。フリーザやるじゃん!

 

しかし! そこで先程の神様が出てきて、「もー笑 油断するからだよ笑 じゃ、時間戻すね」と言って巻き戻し!! そして今度は舐めプせずにタコ殴りしてすぐ終わり! エンドロール!! なんだこれは!?!? それだけはやっちゃ駄目だろ!!!!

 

いや~~~本当に清々しいまでのクソ映画。逆にこの部分だけでも見てほしいくらい。

このように、本当のクソ映画は逆にみんなに見てほしいという境地に達するのだなと教えてくれた映画でもある。

 

1位:ミスト

 

 原作はスティーブン・キングのホラー小説・・・ってもう100万回くらいツイッターでもオススメしているとおり。

 

これは本当に見てほしいので、ネタバレになりそうな「何がクソか」について詳しくは語らない。みなさんも今すぐTSUTAYAで借りてほしい。

 

主人公達が暮らす街は、ある日突然不気味な霧に覆われ、恐ろしいモンスターたちがウヨウヨ・・・ってなんかさっきもそんなクソ映画なかったか??

 

そのとおり、先に紹介した「サイレントヒル」とこの「ミスト」は、同じスティーブン・キングの「霧」という小説を原作としている。そんな同一原作をもとにした映画がなんと2つともクソ映画ランキングに入るなんてスティーブン・キングすごすぎる。

 

【霧の中に、何かがいる】

 

そのキャッチフレーズのとおり、突如霧の中に現れた凶悪なモンスターから逃げ回るパニックホラー映画。

 

ただ、ホラーっつってもサイレントヒルと違ってそんなに怖くないし、スプラッタシーンもないから、その点は大丈夫。

バカでかい羽虫とか出てくるけど。

 

ストーリーなんてあって無いようなものなので、見どころだけを言うと、スーパーマーケットでの対モンスター籠城戦が秀逸。

ここで「あの怪物たちは人間の犠牲によって鎮まるのであ~る」とか言う、頭のおかしい宗教女が登場するんだが、彼女こそこの作品の影の主人公で、「本当に怖いのは、モンスターではなく人間」という示唆を俺たちに与えてくれる仕組みになっている。

 

モンスターから逃げ惑う人間のパニックぶりもほんとリアル。

モンスターはどうも光に集まってくる修正があるようで、電気を消して真っ暗にしようとするんだが、そこで人間たちでの意思疎通が上手にいかなかったり、正反対のことを言って混乱させようとする奴もいて、逆にめちゃくちゃ電気つけまくっちゃう!

 

モンスター的には別に何もしていないんだけど、人間たちが勝手に争い、混乱し、自滅していく。。。 

 

で、これだけ言うと面白そうなんだけど、映画を通じて、ずーーっと怪物から逃げる、ただただ逃げる。そして死ぬ。逃げる。とにかく死ぬ。以上。

 

すべての行動が裏目に出て、敵には為す術もなく、そして救いもなにもない。見えていたかすかな希望も、ひとつずつ確実に失われていく。そうこれは鬱映画。

 

そこが見どころなんだという人もいるけれど、ただ憂鬱な気持ちが溜まっていき、それを解消するようなシーンもない。これほんと精神状態悪い時に見ると実害ありそう。

 

極めつけが、映画版で挿入されたという例のラストシーン。

このラストシーンがなければ「なんか普通のどうでもいいホラー映画だったなー」という感じで、こうしたランキングにも登場することはなかったんだろうけれど(ついでに記憶からもなくなっていただろうけど)、個人的にはほんと性格悪いことしてくれたという感じ。

 

クソ映画だし、それ以上に「ムナクソ映画」だとも思う。落ち込んだり、絶望しているときに見てはいけない。でも、少なくとも退屈はしないので、2位以下で紹介したような「どうしょうもない」あるいは「これを見てしまった自分に腹が立つ」クソ映画とは違うかな。おすすめ。

 

でも【霧の中に、何かいる】っていうキャッチコピーなんだから、実際の怪物の姿なんか最後まで見せなきゃ良かったように思う。

最後まで何だかわからない正体不明なやつを前に、人間が狂っていく様子を描く映画だとすれば良かったのに、これがもうモロに怪物さまのお姿が出てくる上、触手とかウニョウニョしてる超B級感!

 

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ちなみに、モンスターたちがなぜ現れたか・・・というのも映画中できちんと説明してくれるんだけど、それが何か適当なSFのような世界でなんかしらける。

 

なんかこんなこと書いてたらまた見たくなってきた。。。

 

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さて、冒頭でも申し上げたように、僕はクソを見るのが趣味ではありません。

 

映画を見る時は、よっぽど面白そうなCMだったり、もともと好きなシリーズだったり、口コミが良かったりと「これなら外れないだろう」という確信がある時に限られます。

 

ですので、例えば「スーサイド・スクワッド」や「ドラゴンクエスト ユアストーリー」「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」「ビリギャル」などというクソ映画の金字塔のような作品は最初から避けて歩いているわけです。

しかしそれでもこのようなクソ映画を見てしまうことはあります。そんな時はこのように笑ってネタにして、映画代1800円の元をとったと思うことにしています。

みんなのワーストクソ映画の話、聞きたいな。

 

とはいえ、これはだめ、あれはだめ、という話ばかりも楽しくないから、次はこれまでに見たベスト映画を紹介しようと思う。

 

最近受けている資格試験と、勉強法について

 

 

 

転職しなくても資格を取っておいたほうが人事異動で有利だよ、という話。

 

先日、「基本情報技術者」の試験を受けた。

この前の春には「情報セキュリティマネジメント」の資格も取得した。

 

これらはいずれもIT系エンジニアの基礎とされている資格で、

・世間的な認知度もそれなりにある

一方、

・ただ過去問のみを心の無い機械のように1~2ヶ月ほど繰り返すだけで取得でき、

・実生活にもそれなりに役に立つ

というとてもお得な資格なので、皆さんにもおすすめしたい。

 

ツイッターのフォロワーたちも何人か同種の(より高度な)試験を受けているようだったが、そのうち半分くらいはこの試験の前に実施される「早起き試験」にしくじり、当日は試験問題ではなく自宅の天井を眺めて過ごしていたようだった。

 

もっとも、 これらの資格を取ったとはいえ、俺は別にIT系への転職を考えているわけじゃなく、もっぱらまだまだ紙文化の残る弊社の中で活用しようとしている。

そのような旧文化の残る遺跡のような会社では、IT系などの会社では常識のようなちょっとしたパソコンの知識があるというだけで一目置かれるというもので、人事異動の際に選択肢が増えて有利になるのだ。 

 

本当のエンジニアからすれば「基本情報技術者」くらいでパソコンに詳しい人か(笑)と思われるのでネットなどでは威張らないほうが賢明だけど、世間の平均的なパソコンの知識というのは本当にどうしょうもないので、会社では大いにアピールして良いと思う。

先日も、弊社でプリンタを入れ替えた途端、「新たなプリンタをパソコンで使うには、ドライバをインストールする必要があること」や、「そのドライバをどうやってインストールするのか」がみんなわからず、業務が大規模に停止したことがある。 

そんな古代ローマ文明みたいな状況で、少しでも◎◎の知識がありますよということを、資格というかたちで客観的に示すことができれば、その他大勢の社員の中からいくらか色がつくというもので、そうした情報は人事異動にモロに関わってくる。弊社でいえば、IT系の知識はそれなりに重要性のあるデスクに行こうと思えば行けるパスポートのような役割を果たしている(とりわけ、セキュリティ関係)。

 

このように、資格といえば「転職」と想像しがちだけど、社内での自分の位置づけや、今後の方向性をアピールするためにも重要なものになるし、これまで俺もそうしてきた。

行きたい部署があったら、資格を取る!! これだけで、少なくともただ願望だけで「◎◎部署に行きたい」と希望を出している大勢の人たちよりは有利になる。

 

というのも、人事異動について、会社は「適材適所」なんかじゃなく、ただ「何となく」決めているに過ぎない。これは自分の10年以上に及ぶ社会生活を踏まえて、断言する。

俺の経験などを踏まえずとも、そもそも、無数にいる社員一人ひとりについて「この子はこれまでこんな仕事をしてきて、こんな特技があり、しかもお婆ちゃん思いの良い子だから、この部署!」なんてことをいちいち考えることは物理的に不可能だということは容易にわかる。

弊社でも、サイコロ振って決めたとしか思えないような人事異動が毎年乱発していて、40過ぎで責任者となったにも関わらず、実際にはその仕事を初体験するみたいな地獄を味わう人すらいる。

俺はそんな地獄は、味わいたくない!!

 

そのためには、「私はこういう方向で仕事していきたいと思っているんです」というアピールを、自分の履歴書上のどこかには書いておかないといけないと思う。それが資格というものだ。資格は、自己実現のための武器になるほか、やりたくないことをやらないで済む防具のような役割もある、と俺は思っている。前述したように、俺の場合、これまで経理や金融系の(要するに会社の中でデスクワークができる仕事の)資格を中心に取得してきたけれど、今後を見据えると、弊社の中でもやっぱりIT系が重用されるような雰囲気が非常に強いので、今般、IT系の資格取得に励んでいるという次第。

 

自分が数年は過ごすだろう仕事場を、人事部の「何となく」に任せるのは、自分の人生設計の上であまりに心細い。そういう意味で、すでに安定して働いている皆さんにも資格の取得をおすすめしたい。

 

 

資格試験をするならまず過去問と配点を見ましょう、という話。

 

能書きはこれくらいで、これから資格試験を頑張ろうと言う人達のため、以下では効率的だと思う勉強法を書いていこうと思う。 

  

冒頭で「基本情報技術者試験は過去問の繰り返しで良い」と書いたけれど、これはどんな試験にも共通して言えることで、ほとんど全ての試験勉強は、

 

1.過去問を買う

2.それを繰り返す

 

基本的に、この他にやることは無い。

 

簿記だろうがIT系だろうが、大学受験だろうが司法試験だろうが医師国家試験だろうが同じことで、過去問をやる。そして繰り返す。これが最も大事だ。

俺が昨年取得した証券アナリストについても完全にこの方法のみで取得した。それだけ過去問というのは資格試験勉強の基本だと言える。

 

ところが、世の中には過去問を「最後までとっておく」という人たちが多すぎる。

「直前の力試し」などと言って過去問をやらずにおいたとして、いざ直前期に解いてみて全くできなかったらどうするつもりなんだろうか。俺にはわからない。そもそも、過去問を見ずに、自分が何を勉強すべきかがどうしてわかるんだろうか。

 

こう言うと「市販のテキストに書いてあることが、だいたい試験でも出るんじゃないの?」と思うかもしれない。

それはそうなんだが、半分間違っている。

 

以前もどこかで言ったけれど、テキストはとにかく「試験に出ることだったら何でも書く」ものだ。というのも、テキストに書いてないことが試験に出ると出版社が叩かれるので、テキストはとにかく10年間で1度でも出た問題だとか、確かに試験には出るんだけれど配点が低かったりするような問題についても、とても丁寧にページを割いて説明しているものだからだ。

 

そういう細かい論点や、10年に1度出たような問題を勉強する価値はゼロだ。

そのことを、「簿記3級」を例に挙げつつ以下で説明する。

 

「簿記3級」はそれなりに実用的だし、会社でも重用されるとても有用な資格試験で、周囲でも受験している人が多い。 

で、簿記3級の合格点は70点であり、これは、精算表(30点)、残高試算表(30点)、仕訳け(20点)ができれば合格できる点数だということがわかる。

そのうえで過去問を見ると、精算表も残高試算表もほとんど同じような問題で、そのどちらも問題を解くうえでは「決算整理仕訳」が分からないことには手も足も出ないことがわかる。そして、仕訳けはそれ自体で別に単独で一つの大問となっている。

ということは、簿記3級というのは「とにかくひたすら仕訳を覚えまくるだけ」の試験だということがわかってくる。

 

このことから、簿記3級の最も効率的な勉強法は以下のとおりだ。

・各年度の大問1の仕訳けをひたすら覚える。

・大問3「残高試算表」の整理仕訳けを覚える。

・大問5「精算表」の整理仕訳けを覚える。

(これらが終わったら)

大問3,5それぞれで表に記載するルールを覚えてやってみる。

これだけで受かる。

 

 ところが簿記3級のテキストを見ると、実際の試験では出題されるものの、ほとんど配点がないような「補助簿」だとか「伝票」だとかの説明も、かなり細かく記載されている。 これらは、仕訳けや精算表の記入に比べるとやや特殊で、とっつきづらく、配点もほとんど無いというまさに「労多くして功少なし」、やるだけ無駄な罠の問題だとされている。

少なくとも、精算表が全問正解できるレベルになるまでこんな余計な勉強はしなくてもいいのだが、過去問を見ずにテキストだけを見ていると、全てが同じように重要だと思えてきて、補助簿や伝票などどうでもいい論点も一生懸命勉強してしまう。

これがよくない。

 

最近、電車の中で、「商品有高帳」などの超どうでもいい補助簿を必死に勉強している簿記受験生を見かけた。そんな問題を全部解いたとしてもたった10点にしかならないのに、彼もまた市販のテキストや問題集のみを見て勉強しているうちの一人なのだろう。

彼のように、多くの簿記3級受験生は、伝票や補助簿などというどうでもいい問題をしっかり勉強して、そして、実際の試験では最も重要な精算表でかんたんな計算間違いをする。簿記3級で精算表が解けなければ結果は当然不合格だ。

 

なぜこんなことになるのか?

明らかに、重要な論点にかけるべき時間を他のどうでもいい勉強に使ってしまっているのが原因だ。

そして更にその原因は、過去問を見ていない、配点を知らない、これに尽きると思う。

読者にはそういう可哀想な受験生になってほしくないので、まずは何でも良いので過去問を買って、実際の試験問題というものを自分の目で確認してほしいと思う。

そして、限られた時間の中、何に力をいれて勉強するべきかを考えてもらいたい。これは簿記だけに限った話でなく、全ての試験勉強で言えることだ。

 

まとめよう、俺たちが試験の勉強をする時にまず行うことは、

 

1.配点を抑える

2.過去問を見て、どの問題が解ければ合格するのか把握す

 

ことであって、分厚いテキストを1ページ目から読むことではない。

 

現在、資格試験の勉強をしているという人は、すぐにその試験の合格点や、配点を抑えてほしい。そして次に、実際の過去問で、その問題が出る分量などを抑える。

喉が枯れるまでこれらの大切さを主張したいと思う。

 

 

過去問を使う場合はすぐに答えを見ましょう、という話。

 

「お勉強は基本的に過去問を使いましょう」と言うと、100%言われることが「最初っから過去問なんか見たって分かるわけないだろ」という反論だが、それは全くそのとおり。でも、そういう人はまだ、過去問の使い方がわかっていない。

 

過去問は、力試しの問題集として使うものではなく、試験合格に必要な知識だけを効率的にインプットするためのテキストとして使うのが正しい。

 

これはどういうことか、次に具体的な使い方に即して説明する。

 

まず、過去問を見る。

問題文を読む。

当然意味がわからない。

 

そこで、すぐに答えを見る。そもそも解くための知識が不足している問題についてあーだのうーだの考えるのは時間の無駄だし、やる気も削がれるので、即座に答えを見る。

 

すると、答えには、なぜそれが正解なのかという解説が記載されている。

この解説をそのまま覚える。これだ。

マーカーなどを引いたり、メモを書き込んだり、とにかくこの解説を熟読する。これが資格試験の勉強のほとんど全てだ。

 

 

こうした解説は、ページ数の成約もあるので、余計なことが書かれていない。

ただ答えを最短距離で導くための方法が記載されていて、とても優秀なものが多い。そして当然、過去問の答えなのだから、過去問に出ていない解説なんかありはしない。

この「過去問の解説」こそ、無駄がない最高のテキストなのだ。

 

そしてもう一つ大切なこととして、解説を見て「ふーんそうなんだ」「そういうものなんだ」と素直に思ったあと、必ず先程の問題に戻って、さっき見た解説のとおり、自分で解いてみる。そしてきちんと正解できれば次の問題に進む。試験範囲の最後までこの繰り返しだ。こっちには答えと解説があるんだから、どんな問題だって怖くない。

 

ちなみに、答えを見て「ふーん」と思っただけ、あるいはそれをちょっとメモしただけで次のページに進む。これは絶対だめ。俺たちの頭には何も残らない。あるいは「まとめノート」なども全て無駄だ。

覚えるために必要なこと、それは「その知識を使って問題を解く」これ以外にない。

 

過去問の使い方をまとめよう。

 

1.過去問を見る(わからない)

2.すぐに答えをじっくり読む

3.その知識を使って、もう一度問題を解いてみる

 

さて、ここで、「過去問の解説も、何書いてるのか意味わかんねえ」という場合がある。これは、専門用語の多いIT系の資格などで顕著だ。ここではじめてテキストの出番となる。

過去問の解説で出てきた、良く分からない用語を調べて、その意味を確認する。

そして、その箇所をマーカーで色をつけておく。これを繰り返すと、最近になってから過去問で出題されたところだけが色付けされた有用なテキストができあがる。

テキストはこのように辞書的に活用するべきであって、1ページ目からじっくり読むものではまったくない。ましてや、テキストのまとめノートなんか絶対作らないほうが良い。

 

これは別の投稿でも述べたが、まとめノートを作っている受験生が少なからずいるようだけれど、これは、

 

・作る時間がもったいない

・作ったものを結局見ない

・テキスト見れば同じことが書いてある

 

など、様々な理由から無駄だと思う。

例外的に、本当にどうしても記憶できない、不思議と覚えられない事項について、大きな紙にでかでかとメモしたうえ、家の壁に貼り付けておくという使い方はできる。

自分で何か「まとめ」を作る場合の使いみちはそれくらいで、基本は過去問の解説を繰り返し読むだけで十分だ。

 

裏を返すと、過去問の選び方も重要になってくる。以上の理由から、解説がとにかくしっかりしているものが良いのは言うまでもないだろう。

逆に最悪なのは、答えの記号だけが「ア エ イ ウ」などと簡素に並んでいるもので、こんなものはドアストッパーにするか、床にこぼした味噌汁を拭くための紙にしか使えない。そうした劣悪なものは「1問1答」などの問題集に多いように思うが、ああいうものは本当に全てを覚えきった後、ヒマになっちゃった時の確認用に使うのが良い。

 

最近の資格試験の過去問は便利なもので、左ページに問題が、右ページに答えが載っているという体裁のものが多い。答えを確認するたびにページをめくる手間が省けるので、基本的にはこうした過去問を選ぶのが良い。

 

なお、こうした過去問を繰り返す勉強法を言うと、たまに「繰り返してたら答えを全部覚えちゃう」と心配する人がいる。大丈夫だ。「問われていることの答えを覚えること」がまさに知識を習得するということだからだ。

その問題の答えだけを機械的に覚えてしまった場合、自分の頭で考えられず、応用が効かないのでは? という心配。これは多少わからないでもない。でも、この世界のほとんどすべての問題は、既存の問題の作り直しである。筆者が受けた基本情報技術者では、問題のつくりどころか、問題文の数字自体も全部同じみたいなことがある。簿記も1級レベルとなるとそれなりに新論点(というか、公認会計士の担当式試験で出ていたような問題)が出されることもある。
が、それでも既存の論点での出題に関する問題が大半を占めるので、まずはそれを習得するところから勉強を始めるのが正しい。

 

といかそもそも、過去問をすべて覚えたうえでも解けないような本番の問題は、解く必要はない。これは重要なことで、そういう問題はみんなできないうえ、何問も出るわけではない。対策する時間と、得られる点数というコストパフォーマンスが明らかに釣り合っていないから、そういう「難問」はすべて無視したって合格できるようにできている。

 

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20代のうちにある程度資格を取りきってしまうと、30代はそれらを更に深めたり、実務について専門的にやり込んでいく時間が作れる。頑張るべきは今なので、お互い頑張りましょう。

 

プール行き始めた。

 

東京オリンピックが札幌で開催されるんだと。
せっかくこのために機能的な日傘まで開発したというのに、都知事のご心痛、いかばかりかとお察し申し上げます。抗議の意味を込めて小池百合子が札幌マラソンに出てぶっちぎりで優勝したら良いと思う。

 

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 それはさておき、スポーツといえばこれまで俺はランニングを続けてきたものの、ここ最近それでは物足りなくなってしまい、今月からプールへ通い始めた。

 

プールというとイメージするのは、この宇宙の星の数とほぼ同数のガキんちょどもが浮かんでいる市民プールや、ジムに併設されているガチのやつなどを思い浮かべるだろう。そこへ行くと、俺が今通っているのは、そこまで混んでない。ガチでバタフライをしているマッチョも(そんなに)もおらず、主にダイエットに熱心な人たちがまったり利用していてとても過ごしやすいから、就職当時からよく通っていた。そこへまた行き始めた。

 

で、行き始めてから1ヶ月ほどたって、早速身体が変わってきた。

腕に浮き出てる血管が増えてきているのがとてもよくわかるし、最近買ったスーツも、買った時はもっとピッチリしていたのが、結構余裕が出てきた。

1ヶ月、週1~2回でこれだけ変わってきた。おそらくだけどランニングの数倍は効率良い。世の中にはこの宇宙に浮かぶ星とまったく同じ数だけのダイエット本があるが、とりあえず何も考えずにプールに浮かんでおけば2ヶ月ほどで体重は半分になると思う。そして最も良いこととして、陸上スポーツと違って身体を傷めることがない。そして誤解されがちだが、水泳は筋肉がつかないので、綺麗に痩せたい女性にとっても良い。悪いことといえば、プールからあがった後にはシャワー浴びたり髪の毛を乾かしたりとかが面倒くさいことくらい(まあ面倒くさいんだけども・・・)

とりあえず、このペースで年内は続けようと思う。


で、このプールへ通うために、俺は会社帰りに片道15分の道のりをチャリンコで一生懸命漕いでいる。また、プールへ行かない日については相変わらずランニングを続けているから、このペースで行くと次のオリンピックまでにトライアスロンの選手になれそうだ。怒りに燃え、札幌で行われる全競技で金メダルを取り続ける小池百合子を倒すのは、この俺だ。

 

柿とピーの話

 

なんだこれ。

 

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亀田製菓よ、お前たちは何もわかっちゃいない。

愛も悲しみも知る前の、ただ野山を駆けては満たされていた子供のように何もわかっていないんだ。

 

俺たち人類はピーだけ食いたいんだ、何逆やってんだこのやろ。

 

 

このような事を言うと、道理を理解していない連中から次のようなことを言われると決まっている。「んじゃピーナッツの詰め合わせ買えよ・・・それならもうあるだろ・・」。

お前たちは何もわかっちゃいない。まるで泣き叫ぶよりほかに芸のない生まれたての赤ん坊のように何もだ。

 

俺は、柿ピーと一緒の袋に入っていた、ほんのり辛いピーが食べたいの!

 

それに引き換え普通のピーナッツ袋は、何の味もしていないか、バター味だったりで、これは物足りない。柿ピーのあの唐辛子と、塩気が本当に良いバランスでまとわりついたピーこそが至高なのだと言える。

つまり亀田製菓は「柿の種 ピーナッツなし」なんかではなくて「柿の種 柿なし、ただし柿のパウダーはうまい具合にまぶしておきましたピー」を発売するべきなんだ。

 

 

それか誰かうちにきて柿だけ食べてくんないかな。俺、ピー食うからさ。

 

 

 

iPadがぶっ壊れてApple修理カウンターへ持っていった話

iPadがぶっ壊れた。

 

2016年に買って3年以上使っているけどびくともしないぜ! なんて褒めてから90日後に全く使い物にならなくなった。

 

具体的にいうと、電源が入っているうちは正常に使えるのだけれど、いちどでも電源を落としたり、再起動したりすると、「リカバリーモード」というモード(俺はこれを「永遠の闇」と呼んでいる)に突入して、それ以降うんともすんとも言わなくなる。

 

それでも以前は、電源ボタンや音量ボタンを適当にカチカチ押していれば不思議と電源がついたものだけど、もはやそうした精霊的な力も無くなったようで、10万回ほどカチカチやっても、やはり10万回カチカチ言うばかりだった。

 

ネットで調べると、そういう場合はパソコンつなげることで初期化すれば良いという。ただし気をつけてほしい。初期化はすべてのデータを失う最終手段だ。

全く困らない。俺のiPadなんてラーメンやラーメンの写真しか入っていないからというのがその理由だ。iPadいらなくね。


で、初期化を試みたのだが、これでもだめ。

初期化の最終段階で自動的に再起動がかかるのだが、やはりそうしたら最後、また永遠の闇が広がるばかりだ。

こうなるともう、まるで円盤のように遠くへ投げては犬に取ってきてもらうことしかできない。世界で最も時価総額の高い会社の技術の結晶としてはやや物足りない遊び方だ。

 

もう買い換えようか。

つい先日3万円台で新型のiPadが発売されたところで、ちょうどいいタイミングなのかもしれない。

ただ、もう少し粘ってみようということで、アップルストアの修理センターに持ち込んでみることに決め、俺は犬の歯型まみれになったiPadを持って銀座へ行ったのだった。

 

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Appleストア銀座店に着くと、iPhone発売からかなり経つにもかかわらず、店の外には長い行列ができていた。あいつらは一体なんだってあんなところに並んでるんだ?


最近iPhoneが発売されたことに合わせてあの連中は並び始めたものだから、当然iPhoneを買いに来てるんだろう。
きっと、つい数百メートル先の有楽町ビックカメラで全く同じものが買えることを知らないのだろう。次にいったら先頭の人から順番に「それビックカメラで売られてますよ」って教えてやろうと思う。俺は常に誰かの親愛なる隣人を目指しているからだ。


話がややそれたが、Appleの修理センター(これには「ジーニアス(天才)・バー」という世界一頼りになりそうな名前がついている)に持ち込んだ。
ちなみにここは完全予約制なので気をつけてほしい。ジーニアスなのだから当然だ)。

 

で、俺がiPadを出して症状を伝えると、担当の人は「オッケー!」と元気よく言って、俺のiPadを治すためにMacBookを一台持ってきてくれた。そしてMacBookで何するのかと思ったら、初期化してみますとのこと。
うん、それしかないよな。初期化は自分の家のパソコンでも散々やってきたからどうせ駄目だろうと思ったけど、MacBookでやったら何か違うかもしんない。
そういう淡い期待を旨にiPadを眺めていると・・・・やっぱり、うんともすんとも言わない。
すると、Appleの店員さん、「オッケー!」

何がオッケーなのかはよくわからない。ただ、きっとお客を前に「あーw これ無理っすわw」などのネガティブな発言を決してしないよう、社内教育を受けているんだろう。でも「オッケー!」ってどっちかというと君たちのライバル会社の掛け声な気もする。


俺のiPadが全く反応なかろうが、MacBook上に「不明なエラーが生じました」という表示がバンバン出ようが、常に「オッケー!!」と言ってくれる店員さん、いやジーニアス。
そして、また何か違うことを試してくれる。

小さく、しかし力強い意思を感じられる「オッケー・・・!」 
俺の心もこうした言葉で支えられたところがある。やっと新しいブログのネタができたんだ


でも、「オッケー!」といいつつ、店頭でしてくれることといえば、パソコンを次々と変えては初期化処理をしてくれることのみ。このことは、これからApple製品を修理に持ち込もうとしている人は知っておいたほうが良いだろう。
彼らは基本的に家でやれる事以上の修理をしてくれるわけじゃないのだ。
それなら「Appleジーニアスバー」じゃなくて「Apple・家」とかって名前にしてほしい。


永遠の暗黒を映し出すiPadに「オッケー!!!」と言って戦っていた担当のお姉さんも、そろそろやばいと思ったのか俺のiPadを「ちょっと預かりますね」と言って店舗の裏へ。

さすがに何か、特別な通電処理をして直してくれるんだろうか・・・と思っていると・・・戻ってきて開口一番、先程の力強い「オッケー!」ではなく「これ交換になりますね」。オッケー!!!!!!!

 

 

追記

なお筆者はAppleCareにも加入していなかったので、おそらく交換については新品同様の物を購入するのとほぼ同じ料金がかかったことだろうと思う(少なくとも無償でやらせてもらう感は店員さんから感じなかった。もしタダだったら、店内に響き渡る「オッケー!!」だったろう。)

なので、見積もりも貰わずに「アップル・家」を後にし、有楽町のビックカメラで今年発売された第7世代iPadを買い直しました。画面おっきい!

 

「ジョーカー」見たけど(感想)

話題のジョーカーを見てきた。以下その感想。

ネタバレ含むので、すでに見た人か、見るつもり無い人だけホムペの文字を反転させてください(インターネット黎明期のネタバレ防御手法)。

 

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ジョーカーといえばバットマンの宿敵とされている悪の人物で、とにかく残忍な犯罪者として知られている。

それも、彼にはヒーロー物にありがちなとてつもない力も無ければ、大富豪だったりするわけでもない(むしろ、腕力に乏しい浮浪者だ)。
そんな矮小な人物が、しかし、バッドマンも手を焼くほどの絶大な悪の力を持つに至る。


その原点は---------?


ってまあ、こういう「いかにして悪のヒーローは生まれたのか」って話は、映画や小説などでもかなりありがちな話になっている。

 

そんで、そのストーリーもだいたい同じで、


①:もともとは罪のない、恵まれない環境にある善人が主人公
②:たくさんの理不尽なことが起こる
③:社会を恨みたくなるようなことがこれでもかってくらい起こる
④:悪に染まるための決定的な出来事がおこる(だいたい母が死ぬ)
⑤:復讐の鬼となって殺しまくる

 

スター・ウォーズアナキン・スカイウォーカー(つまり、エピソード1から3まで)がまさにこのテンプレート。

「悪はいかにして生まれたのか」というキャッチフレーズを聞けばすぐ、僕らの頭にはこうしたストーリーが浮かんでしまう。否応なしに。

 

で、まさにそうした「悪はいかにして生まれたのか」をキャッチフレーズとする「ジョーカー」を見に行ったんだけど、、、

 

1.テンプレどおりの闇落ち物語

 

ほんと~~~~~~~にそのまんま上記の①~⑤な! ほんともう、次に何起こるか全部わかる映画だった。


こう言うと「はいはい、いかにも知ったふうな口な、上から目線のコメントでしょ?」と思われそうだけども、いやもうホント、テンプレートどおりの闇落ち物語。

 

①恵まれない家庭と身体に生まれたジョーカーは、しがないピエロのバイトを続けながら、いつかはスターのコメディアンになることを目指している。でも、精神的な障害もあって全く実を結ばない。


②そんなジョーカーを気持ち悪がったり、馬鹿にする街の住人から暴力を振るわれ、同僚にもいじめられる。


③生きがいだったバイトも首になって、心理カウンセラーもクビになる。更には、自分のコメディアンとしての能力をかってくれていたと思っていた憧れの人が、実は自分のことをバカにしていたことも分かってしまう。


④そして決定的なことに、唯一の心の拠り所だった自分の母親が、過去にずっと自分のことを虐待し続けていた、憎むべき人物だったこともわかり、これで本当に世界で一人ぼっちになってしまう。いわゆる「無敵の人」の出来上がり。

 

・・・以上、こんな、世界を憎むための「理不尽の土台」を作る胸くそ悪い話が、2時間の映画中1時間45分くらい続く。ずっとジョーカー可哀想。ジョーカー可哀想。というだけ。


で、


⑤最後にプッツンして、ジョーカーが人殺しを開始する。それは、本来なら犯罪として非難される行動なはずだけど、むしろ人々はジョーカーを悪のシンボルとして褒め称え、ジョーカーもそれによって自分の生きる道をやっと見つけたのでした。めでたしめでたし(そう、めでたし)。

 
・・・うーん、ツイッターでは楽しみにしているフォロワーの手前「面白かった」とか言っちゃったけど(俺は常に「親愛なる隣人」を志している)、正直ちょっと・・・あえて劇場で見るようなものでは無かったなあという感じ。

 

2.ジョーカーが何でその人を殺さなきゃならないのかよくわからない。

 

テンプレ①~④で積み上げた理不尽の土台を踏み越えて、どんどん自分の内面が邪悪になっていき、⑤で最後に猛烈な仕返しをする、それで観客もスカっとする(ほんとは犯罪だけどね~)! ならば、娯楽映画としてアリだし、そもそもそういう映画を見に行ったつもりだった。

 

でも、いよいよ⑤となってジョーカーが殺すのは、電車でウザ絡みしてきたやつとか、テレビでちょっと自分の悪口言った人とか、もう放っておいても死ぬだろう病床の母とか、自分にいたずらした職場の同僚だとかで、なんかスケールが小さい。見てる方としては「え、その人のこと、そんなに恨みます?」という人物たちを殺していくジョーカーのことを応援できないんだよね。

特に母殺しのところは、ずっと自分が愛していた肉親について、あんなカルテ1つ見ただけで殺意に変わるかね? と全く理解できず。

テレビのスター(名前忘れた)についても、自分のことを笑ってネタにしていたのは事実だけど、それで結果的にテレビに出られたじゃん! 

さらに言えば、最終的にジョーカーがプッツンする理由として、実の母が過去に自分のことを虐待していたという事実があるんだけれど、そういうこと(虐待)がありふれている世の中で、「これがそんなに怒ることかねえ」と思ってしまう。

・・・という具合に、「その人、べつに殺さなくてもよくない?」という疑念がどの殺人についても湧いてしまう。「決まった正義も悪もない」というお題目は立派かもしんないけど、だからこそ誰の気持ちの中にも入っていけない状況になっている。

 

3.ジョーカーに哲学があるのか、単なる気違いなのかハッキリしない。

 

このように、ジョーカーの殺人はずっと「それでこんなことする?」という疑問だらけで、何かジョーカーの目線に立てないまま終わってしまった。

最後の心理カウンセラーを殺害した(ことを匂わせる)シーンなんてのもそう。

あれをやってしまうと、それこそジョーカーのはもはや哲学も信念もない単なる気違いのシリアルキラーになってしまう。

 

「気違い」という点でいえば、今作のジョーカーは酷い精神病を患っている人物として書かれていて、最初から最後まで彼が何を考えて行動しているのかいまいちよくわからない。彼の狂気ともいえる殺意が、散々理不尽な目にあった結果生じたものなのか、精神病が悪化して本当に頭がおかしくなってしまったからなのか・・・よくわからないんだよね。

 

殺人をはじめたのと同じ頃に向精神薬の処方が止まったし、アパートの隣人を勝手に自分の恋人だと思いこむような妄想を本当のことだと思いこんでいるし、この男は本当に狂ってしまったのか、それともやっぱり人として明確な目的や哲学に基づいて行動しているのか? わからない。

 

母親とのあれやこれやとか、友人やスターを殺害することとか、ラストシーンに至るまでの全部がジョーカーの妄想かもしれない。というかそういう疑問の余地が残るように作られている。でものおかげで、共感どころか、ジョーカーが観客をおいてどんどん暗闇の方へ走っていってしまう感じがする。 俺たちはいったい何を見てるんだ?

 

ジョーカーはきちんとモノを考えられて、善悪の判断があって、心優しくて、理不尽にきちんと傷ついている・・・という確証が持てない一方で、隣人の家に平気で入ったり、自分の家の冷蔵庫の中に隠れたり、そういう異常行動ばっかり見せられるもんだから、彼の中で積もり積もっていっているだろう殺意や恨みが殺人に繋がっているんだということが、僕らの中でしっくりこない。

要するに「頭のおかしいやつが、頭のおかしいことをしている」以上の感情が湧いてこない。

 

(でも、それが実は狙いで、製作者も観客の同情なんかかう意図は全くなくて、ただジョーカーという気持ち悪い殺人者が出来上がるまでの過程を見てもらって、ただ嫌な気分になってほしかったのかもしれない。それなら納得できる。)

 

そして、「ジョーカーはまともじゃない」と一度思ってしまえば、それまでの「理不尽の土台」が機能しなくなり、それどころか、それらの出来事が、観客からすればなんか単に嫌な気持ちにさせるジョーカーいじめでしかなくなってしまう。ぐったり。

 

(見どころ)

 

ただ、ずっと鬱屈していたジョーカーが、人殺しをすることによって自分の存在が認められ、だんだんと力強く、美しく、より生き生きと、そして更に残忍になっていく様子は、見ていてゾクゾクした。

人殺しをした夜、自分のアパートに戻ってきたジョーカーは、この映画で随一の美しい踊りをする。ここの、彼の満足感に共感するような人であれば、この映画はかなり響いたんじゃないかと思う。

 

劇中で、ジョーカーが最も嬉しそうにしていたのは、自分の殺人が報道されたり、周囲にもてはやされた時(そしてそれだけ)だった。

自分の存在が他人に認められることで、ようやく自分は生きていることになる。自分の存在価値に苦しんでいたジョーカーの見つけた唯一の答えだったのだろう。

 

人を殺すことで、やっと自分は人々に認められる。そしてやっと本当に笑えるようになる。そのためだったら何だってする。ツイッターで承認欲求がどうのこうの言っている連中を見ると、こうした思考がごく身近にあることに気が付かされる。

これが、他者との間に埋没していく中で、何も特別な存在でない俺たちが誰かに承認してもらうことで生きがいを感じるという、現代の恐怖だ。

 

自分に何もない(と思っている)人が、人から存在を認められてはじめて生を感じる、その手段が皮肉にも誰かを殺すことだった。それが物語の舞台である治安最悪な「ゴッサム・シティ」でバッチリ組み合わさった。だからジョーカーは生まれるべくして生まれたんだ。

そして「ダークナイト」では、その悪意にまみれた(とジョーカーは思っている)一般人たちが、心からの善意を示したことで、ジョーカーはバットマンに敗れたのであった。

その意味でこの映画は、ジョーカーの「悪」というラベルが貼られた生きる意味について知る手がかりにはなる。


でもまあ、そのために、それまで2時間にわたるジョーカーイジメや、精神病の描写とか、母親とのあれやこれやとか、大したこと無い人間の殺害とか、本当に必要だったかなという感じ。テレビでやったときに見たら良いです。