「景気の実感」という言葉やめませんか

 日本経済の景気拡大の長さが「いざなぎ(4年9カ月)」を超えた、という報道が出ています。

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こうしたものと常にセットで(主にアベノミクスに否定的な側から)言及されるのが「でも景気が良い実感がない」というお決まりの反論(?)です。
この「景気の実感がない」という表現は、直感的にはより実態に即した景況感を論じているようで、実際には全く無意味・無内容なものです。また、景気の実感の有無を理由とするアベノミクスの評価に付き合う必要はありません。理由は以下のとおり。

  

前提:「実感」って何?


「景気の実感がわかない」という時の「実感」ってなんでしょう。

「実感」を辞書で調べると「 実際に事物・情景に接したときに得られる感じ。」とありますが、「実際に接し」ということは、個人個人の体験から得られる感情という意味合いだと思われます。

そのように考えると、「景気の実感」というのは「俺の感情的に景気が良いか悪いか」ってことになります。

 

1つ目の指摘:そもそも政治は「実感」に基づくべきではない。


それを踏まえた1つ目の指摘として、そうした「個人的感覚」に、重大な意味なんてありませんし、少なくとも、経済政策の立案過程で用いられるべきではありません。

政策の根拠とするのは正しいデータであって、個人の「俺はこう思う」ではないのです。

しかし、朝日新聞等のメディアでは、誰だかわからん人の個人的意見として「実感なき景気回復」などと言いつつ、「だからアベノミクスだめ」という政策提言(?)が行われています。

 

この手の論理の誤りは色んなところで見られます。
例えば、データ上で「朝ごはんを食べない子供は、成績が低い傾向にある」という結果が出た時に「え、でも俺の兄ちゃん常に朝ごはん食べなかったけど学校でトップだったよ?」などという反論(だから何?)が行われることがよくあります。

こういうやり取りはとくにツイッターで見かけますが、以下のことを喉が枯れるまで繰り返しておきたいと思います。

 

「データでそういう傾向がある」ことは「全部がこうです」「あなたもそうです」ということを意味しない(傾向とはそういう意味です)。
そして、
「わたしはこうでした」という個人的な意見は、「だからその傾向はウソです」ということを立証しない。

 

それを踏まえ、改めて次のやりとりを見てみましょう。

・生産や消費の推移などのデータから計算した景気回復の期間が、いざなぎ景気を超えました。→「でも【実感】ないですよ。」

だからなに?

 

このように言うと「個人の意見なんてどうでもいいんですか」というクレームがつくものですが、そもそも、何らかの宗教で国民の精神を統一でもしない限り、世の中全ての人の「実感」を満たす方法なんて絶対にありません。どこかには必ず現状に満足していない、恵まれていない人というのは一定数存在します。

そのうえで「個人の意見を大切にする」ならば、どれほど景気が良くなったとしても、そのたった一部が「わたしには実感がありません」と言えば、その時点で「実感なき景気回復」となってしまうことになります。それで正しい政策決定ができるわけがないし、そもそもそれは民主主義ですらありません。

(なお、ここでの議論は、「個人の実感」は景気を表すかということであって、好景気の中で取り残される一部の貧困層は無視しろという話ではありません。そういう人たちはしっかりと再分配を通じて保護する責任が政府にはあります。)

 

とはいえ「俺はこう思う」という「意見」全てが無駄、無意味というわけではありません。

正しいアンケート方法でそれらを集め、統計的手法を用いて分析するというやり方は「景気ウォッチャー調査」などで見られるように有効なものです。それは、科学的に正しいアンケートにより、「意見」が「データ」となるからです。

 

これに対して、各新聞社の行う世論調査はどうかと言うと、購読層によって数字の出方が違ったりするうえ、そもそも『景気の実感がありますか』という問いかけ自体が不適切です。

というのも、『景気の実感』に明確な定義がないため、それは取り急ぎ、その人の最近の懐事情を聞くのと同義になるでしょう。

人の物欲は基本的に上限が無いので、『これだけお金持ってるので満足です』ということは基本的に無いと思われます。このことから、『景気の実感はありますか(お金たくさん持ってますか)』という問いには多くの人が『実感ありません(十分なお金があるとは言えません)』と答えがちなのです。

裏を返せば『景気の実感がある』とは、『もう十分なくらいお金貰っている』という人が回答する項目になりますが、通常、人はお金が増えるとそれに合わせて消費額が増すので、『これで十分』という状態 にはなりづらいものです。

そして、お金が不十分と感じれば(上記したように普通の人がそうです)、景気回復の実感は(なんとなく)無いと答えるものではないでしょうか。

なお、景気ウオッチャー調査では、景気の良し悪しについて複数の項目でその理由を付すようになっています。

これに対し、景気の実感という不明確な言葉で行った世論調査にどれだけの意味があるのかよくわかりません。

 

弥生時代とか古墳時代とかは、卑弥呼みたいなのがいて「占い」で政治を決定をしていたんでしょうね。
その頃は鹿の骨などを焼いて、そこにできたヒビの形で未来を占っていたんですって。
「実感」を用いて政治を語るというのは、その「鹿の骨占い」とまったく同じことだと思います。その方法は、第一に非合理的だし、時の権力者の都合の良いように解釈が加えられるものだからです。


それゆえ、人類は安定した生活のために、長い歴史の中で「数学」を開発し、これを応用することで「統計」を編み出しました。現在の政策運営はその方法によっています。
もう弥生時代から2,000年経過しているんだし、人の感性に頼る政治よりも、数学を用いた理性的な方法にしたほうがいいと思うのですが、どうでしょう。

 

2つ目の指摘:「実感」は反証不能であり無意味。

「実感」という言葉は上記したように「俺はこう思う」というだけの意味であって、それ以上でもそれ以下でもありません。
そのことから、重要なこととして、「俺はこう思う」を他人が否定することは絶対にできないことになります。


例えば、この寒い時期にコートを着ずに出かけた友人が「いやーぜんっぜん寒くないわ」などと強がっているのに対し「いやめっちゃ震えてるやん」などと指摘することは可能ですが、それでも「寒くない」と強硬に言われてしまうと、技術上どうやっても「いや、お前は寒くないとは思っていない」と証明することが不可能になります(こういうものを「反証不能」といいます)。

 

だから、例えばアベノミクス自民党が大嫌いな人にしてみれば、どれだけ周りの景気が良くなったとしても「実感がない」と言うことはいくらでも可能である一方、安倍晋三にはその意見を覆す方法がありません(「いや、お前には実感がある!」)。

「覆す方法」がなければ、もはやそれは「震えているのに寒くないと言っている人」を説得しようとするごとく「無意味な議論」です。

 

また、反証不能なことは「科学」ではありません。
科学というのは「AをやるとBになる。もしBではなくCになったら、この理論は間違っている」という『何がどうなったら間違いかがわかる』ものですが、「AをやるとBになる。これがCになったとしても俺がBだと言ったらBなんだ」というのは科学ではありません。そして、「実感」はその類の「非科学的」な言説で、政治運営ではそうしたものを参照すべきではありません。

 

従って「景気回復の実感がない」という言説は無意味で、相手にする価値はありません。

 


3つ目の指摘:「実感」の定義が無いので、発言者の好きに使える。

 

上記の話は「実感=わたしはこう思う」という前提で、「そんなものは政治に活用できない」「反証不能だから無意味だ」という話をしました。

でも、中には「いやいや、実感っていうくらいだから、普通は(?)お給料の額のことでしょう」と言う人がいるかもしれません。


そうした人は「景気実感派」の中でもまだ紳士的なほうです。
このように定義を示すことができれば、その人にとっての「景気の実感」は「雇用者報酬」あるいは「名目賃金」のことなんだとわかるから、長期的な推移をデータで確認するなどの方法が可能となりますし、景気の実感を生み出すにはどうしたらいいのだろうという建設的な対話に繋がります。

 

でも、そうではなく「実感」が「なんかよくわかんないけど雰囲気悪いよね」という話であれば、給料がどれだけ上がろうが、失業率が下がろうが、そんなの全く関係なく、どんな状況だって「実感がない」と言うことが理論上可能となります。

万が一、そのような「景気の実感」を重要視する人に絡まれた場合は、定義がない議論に勝つことが不可能なので取りあう必要はありません。

冷静に、

「1.景気の実感ってそもそも何なのよ」

「2.何がどうなったら景気の実感が「ある」って言えるのよ」

「3.景気の実感が無いから何なのよ」

「4.政治って実感に基づいてやるべきなの?」

と聞ききつつブロックするのが最善です。

 

すでに述べたことの繰り返しとなりますが、定義のない言葉について議論する価値はありません。従って「景気の実感」という言説は無意味です。


ちなみに:「景気拡大」は「好景気」とは限らない。


ちなみに、政府の発表で「景気拡大」と言った時、それは「景気の方向が良くなっている」(傾き)というだけで、必ずしも「好景気」(状態)を表さないことに注意が必要です。
「拡大」というのは「傾き」の話であって、状態を示す言葉ではないのです。

分かりづらいだろうから図にしてみました。

 

 赤線から上が「景気が良い」、下が「景気が悪い」ゾーンで、緑の線が実際の景気の流れを示しています。

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最初の時点では「景気悪い」ゾーンですが、景気の傾きとしては上向きの矢印で表されています。これを「景気拡大」といいます。
逆に、次の矢印では「景気良い」ゾーンでありながら下向きになっており、これを「景気縮小」といいます。

つまり「景気は拡大」しつつも悪い状況にある場合もあり、このことから「景気拡大」という言葉だけでは今がどういう状態なのかは不明なのです。


それにも関わらず、「景気拡大」という言葉をもって即座に「好景気」だという発表と解釈しつつ、「好景気というけどちっとも実感がない!」「アベの命令で内閣府がウソ言ってるだけ」などと言うのは、そもそもこうした統計を理解していないことになります。

2ちゃんねるで言う「スレタイしか見ずにカキコ」というやつです。


景気の状況について議論したい場合は、例えば失業率や賃金の水準、地価、消費者物価指数、株価などを考慮して「今は好景気か不況か」を議論する方法があります。
そして、もちろんそこに「実感」などという個人的感情が入り込む余地は一切ありません。

 

 

※「実感ある?」という問いかけ(いちゃもん)をしておきつつ、全く無内容な記事です。俺もこうした意味不明な記事を書いてお金儲けがしたい。

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今年買わなきゃよかったもの などの小話。

 このごろネオリベの手先みたいな日記(?)ばっかり書いていたから、今回は日常あったことをいくつか。


沖縄返還

 

家から駅まで向かう途中に沖縄料理屋がある。

そこでは沖縄出身の歌手やらがたまに来て、沖縄民謡なんかのライブサービスを行なっているらしく、いつも盛り上がっているようだった。で、この前ここを通りすがったとき、10人くらいの子供たちが元気な声で歌っているのが聞こえてきた。

子どもたちを集めた沖縄民謡のイベントでもやってるのかな?  と思ってよく聞いてみたら、子どもたちみんなで「カーモンベイビー!!!アメリカ!!」と大合唱していた。

たぶんだけどこれ沖縄返還前の民謡だと思われる。

 


今年買わなきゃよかったもの(2018ワーストバイ)

 

去年もやった、『今年買ったものでコレが良かった!年間ベストバイ3』を次回の更新にしたいと思ってるんだけど・・・今年何買ったかほんとおぼえてねー。

Amazonの購入履歴を見ても「俺こんなん買ったっけ?!」ってのがかなりある。
これはつまり、俺が何か買おうとするたびにハンマーで殴られて、買うことをすっかり忘れてしまったとしても1年間全く影響がなかったということだ(その反面お金はたまるから、次回あたりの年間ベストバイはハンマーになると思われる)。

 

そんなことを思いつつAmazonの履歴を見ていたら・・・逆に今年「買わなきゃよかった」もの断然のワーストがあったわ・・・。

 

 

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この針金みたいなヘッドマッサージャーがそれだ。

 

デパートの美容品売り場とかで、これの類似品(いやこっちが類似品だけど)が置いてあって試してみたら気持ちいい!俺は美容師さんのしてくれるヘッドマッサージが大好きだし、頭のツボを刺激すると肩こりとか目の疲れに効くというから自宅でもやってみたい、と思ってポチったんだろうと思う。


クソ。針金の部分が貧弱すぎて全然頭皮を圧迫してくれない。ひたすら優しく頭を撫でられているような感じがする(父さんにもされたことないのに)。
それがゆえにゾワゾワする怪しげな快感もあってこれが最初は楽しかった・・・のだが、人間の体はそうした刺激にすぐ慣れるので、「3撫で」くらいからはうんともすんとも感じず。


もはや家のどこを探しても無いから2日目あたりで怒りとともに廃棄したんだと思われる。
しかもこれ1個買うとなぜか2個ついてくんだよな。こんなの家族間でシェアしてまでやんねーよ!

 

ついでに言うと、こいつのAmazonのレビューで「自分の頭でやったらすぐに慣れて何も感じなくなりました。とても残念です。それからは友達の後頭部に突然使ってびっくりさせるのに使っていましたがその遊びにも飽きました。★☆☆☆☆」ってのがあった。好き。

 

 

引っ越し先のマンションの人と話せるサービスがあればいいのに


引っ越しを考えている。

理由は上の階に相撲部屋があるからだ。

 

これまで暮らしていた中で力士を見かけたとか、忘れ物した付け人にキレてぶん殴ってる貴ノ岩なども見たことはない。でも、たまに関脇でも目指して稽古つけてんのかってくらいの大きな音がすることがあるから上の階には相撲部屋があるに違いないと思っている。

で、とにかくこれに悩んでいるから、次は鉄筋コンクリートのしっかりしたマンションに引っ越しすることを考えている。

 

……この年の瀬、他に引っ越しするヤツなんていませんな。
新規の空き物件なんてそうそう出なくて、あるのはたまたまこの時期に工事が終わる新築物件くらい。
新築が悪いってわけじゃないんだけれど、家賃も高いし、礼金もヘタすりゃ家賃2ヶ月分くらいはかかる。

だから築10年くらいで、そろそろ礼金取ることも止めたような物件(築20年くらいのボロアパートで礼金をとっているところを見ると殺意が湧く)を探しているんだが、、、無い。

あってもすぐに他の人に契約されちゃう。

 

緑色の不思議な生物がマスコットの不動産屋のサイトで、自分の求める条件に合致した物件に空きがでると「新着通知」くるよう設定してあるのだが(これ自体は実に便利だ)、これが募集がくると同時にすぐ埋まる。内見可能なのが1ヶ月後とかなのにだよ??(ということは、内見せずに契約しているような人たちが普通にいるってこと。)


不動産屋もそういう状況を知りつつ「内見できるまでに大体決まっちゃうから、今すぐ申し込みしろ」とか言うんだが、たとえ内見しても失敗続きなのに、内見しないで決めるなんて絶対ありえない(内見しても失敗続きなんだから内見なんて無駄だからさっさと契約しちまえという話もあるが)。

 

でも、内見ができる(=今住んでいる人が退去する)まで待ってると、内見なんてせずにぼんぼん部屋を決めちゃうような冒険家たちに先を越されてしまう。どうしたら?

 

問題は、物件の募集は、その部屋が退去予定となった時点から開始されるものの、部屋が見られるのはその人が退去してからになるというタイムラグだ。裏を返せば、まだ住んでいるにも関わらず、その部屋の中が見られたらいい(そのうえ、部屋を見せた人も得をする)。さらに言えば、リアルな住み心地なんかも教えてくれたらもっといい(上に相撲部屋があるからやめとけなど)。


そこで、以下のようなサービスを作って欲しい。

マンションの現住人と自分とをマッチングさせることで、内見はもちろん(居住中の部屋が見られる)、利便性、不満点などを聞くことができるサービスだ。流れは以下の通り。

 

①:利用者(引っ越しを考えている人)はサイト運営者に課金することで、他のマンションの居住者に連絡することができる。


②:マンション居住者は無料でサイトに登録することができて、利用者からの連絡に応じて部屋を見せたり、住心地などを伝えて、運営サイトから1件あたりの手数料を得る。

 

このようにすると住む前から部屋の中が見られたり、住んでるやつは寝ながらお小遣い稼ぎできるしいいんじゃね・・・・って思ったけど、これサービス開始後半年以内に女性被害の事件5億件くらい出るだろうし、一年も経てばお手軽な売春宿提供サービスに成り下がるわ


それに、たとえ立会人(不動産仲介業者)をつけても家に上がられたときに何されるかわかったもんじゃないし、こちらが弱そうなヤツかどうか見定めて、後日強盗にくるかもしれないし・・・だめだ! 思いついたとき「やった」と思ったんだけど・・・。

でも、不動産屋からではなく、まさに居住中の人から話を聞けるサービスはあっていいよなと思う。不動産は高価なのにも関わらず、情報の非対称性がありすぎるのが問題だ。
誰か俺に部屋を見せてくれ。お礼はヘッドマッサージャーだ。

 

※マンションノートっていう口コミサイトは前からあって、とても良い試み。
でも閲覧するには今住んでいる(昔住んでいた)マンションの口コミを投稿しなくちゃいけなくて面倒だし、実家からはじめて一人暮らしするって人には使えないのでもうちょっと使い勝手よくしてください!

 

玉木議員の言う「最低賃金引き下げ」について

国民民主党の玉木代表がこんなことを言っている。

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 (よく見たら最近の話じゃなくて、8月のツイートだった! でも昔のツイートだからって、この記事の内容に影響があるわけじゃないから気にしない。)

 

さて、僕は玉木議員を支持していないが、この内容には概ね同意できるとともに、この発言に対する批判的なリプライの嵐(案の定炎上しとるが)についてはどちらかというと同情している。

 

とりわけ「高齢者への最低賃金規制の緩和」については、炎上の主な原因となっているものの、前に僕が最低賃金について書いたことに近いし、「高齢者と言わずもっとやれ」とすら思っている。

最低賃金が上がって困る人達のことを考える - 青山日記

 

この記事では「地方都市のコンビニ店長が困る」というちょっと狭い範囲での話をしたので、今回はもっと一般的な話をすることで最低賃金の影の部分を指摘し、最低賃金が上がることで困る人も(けっこう)いるということを説明したい。

(なお、説明のためにここでは900円を最低賃金と仮定する。)

 

 

 

最低賃金でみんな幸せ論の暗黙の前提

 

世間で見る「最低賃金を上げればみんな幸せ」論の人たちが暗黙の前提にしていることがひとつある。

それは「今まで900円で働いていた人たちも、最低賃金が1,000円になれば、みんなが自動的に時給1,000円で働けるようになる」というものだ。

 

自分が今900円貰っていたら、それは間違いなく1,000円に上がるだろうと、彼らは思っているふしがある。確かに直感的にはそう思うけれど、これは正しくない。

以下で説明する。

 

 

人が900円で働く理由

 

そもそも何で、会社は人を900円で雇うんだろうか。 

それは、

 

1.その仕事を900円でやらせたとしても、会社は損をしない(採算がとれる)。

2.その仕事を900円で募集すると、その時給でいいから働きたいという人が応募してくる。

 

という理由による。

この場合、企業は900円(最低賃金ね)でバイトを募集する。

 

さてそこで、最低賃金を900円から引き上げた場合に、これら「1.」と「2.」がどのように変化するかを考えてみよう。

 

 

最低賃金を上げるとバイトの募集は減る。

 最低賃金上げることで、まず1.の「会社の採算」は、ストレートに影響を受けると考えられる(それも悪い方に)。

 

これまで時給900円ならば採算が取れていた仕事が、時給1,000円になったことで、会社にとって「割に合わない」仕事となる場合があるのだ。

たった100円でと思うかもしれないが、一日6時間シフトで月に20日入るとしたら、1年間で15万円弱のコスト増になる。

 

そして、それを法律で定めることにより、900円で働いていた人「全員に必ず」このコスト増が起こることになる。

そうなると、バイトを雇うことでむしろ損をするような状態となりうる。

 

すると、会社はどうするか? 

最低賃金アップでみんな幸せ論」が前提とする世界ではこうだ。

「法律で決まったんだから仕方ないよね。これからもよろしくね」などと、自分たちがどんどん赤字になるにも関わらず、バイトみんなに1,000円を支払い続ける

こう言うと直感的にも何かおかしいと思うだろうし、そういう会社は遅かれ早かれ倒産して、みんな仲良く職を失う。その場合の時給は0円だ。会社はバカじゃないので、そういうことはしない。

 

では実際の会社はどうするか?

普通は、採算の合わない分のバイトを減らしたうえで、店長が代わりにやるとか、減らしたバイトの分の仕事を他のバイトたちに少しずつ分担させるとか、そういう判断が起きる(実際に経験がある人もいるだろう)。

なんだってそんな酷いことを?? 会社というのは慈善事業でやるものではないという話に尽きる。900円ならギリギリ働かせてあげられた人を、1,000円でも働かせてあげなきゃいけない理由はどこにもない(クビにする自由がある)。

 

以上の話をまとめると、最低賃金が上がると、採算のとれない会社が出てきて(少なくとも得をする会社はない)、それによってバイトの数は当然に減る(少なくとも増えはしない)。つまり、900円だったら働けていた人たちが、1000円になった途端にクビになることが起こるのだ。

そして、クビになった人たちを待ち受ける時給(?)は0円だ。

 

 最低賃金を上げると、最低賃金以下の能力しかない人が失業する。

 

2.「募集」の面はどうだろう。

これまで「900円でも働きたい」と言っていた人は、最低賃金が1,000円になったらそれは嬉しいだろう。当然、1,000円で募集しているバイトに喜んで応募すると考えられる。

 

で、ここで一つ考えたいのは、これまで、何でその人は時給900円で働いていたのってことだ。

言い換えれば、他にも1,000円だの1,300円だのという求人があるなか、なんで900円で働いていたの?

 

いろんな事情があるだろうとは思うけれど、基本的に給料というのは、その人の生産性で決まる。つまり、原則として、その人は900円の能力があって、900円分の仕事が出来るから、900円の給料を貰っている。

 

そして、この(言い方は差別的だが)「900円の能力の人」が、1,000円のバイトの面接にいって採用されるかというと、残念ながらさっきも言ったように企業は慈善事業じゃないから「900円しか稼げないけど、法律で決まってるから1,000円あげるね」という話にはならないんだ。この点、「最低賃金みんな幸せ論」の前提では、この「900円の人」は、ありがたい法律の加護によって1,000円のバイトに採用されるらしいのだが、それが誤っている。

 

というのも、重要なこととして、1,000円で働きたい人の中には、もともと1,000円の能力を持った人もいるだろう。そういう「1000円以上の人たち」に混じって、法律によって強制的にランクアップさせられた時給900円の人が面接を受けて、採用されるかというと・・・かなり難しい。

なぜなら、お店の立場になってみても「1,000円分働けます」という人と、「900円で働いてたけど今日から法律で1,000円になりました」という人が同時に面接に来た時、間違いなく1,000円の人を雇うからだ。

ここで900円の人を雇うのは「可哀想だから」以外の理由が無い(そして、通常、会社というのはそういう判断をしない)。

 

更に言うと、これまで時給が900円だった仕事が1,000円になったことで、これまでもっと高い能力があって(例えば時給1,200円)、でも900円では働きたくなかった人たちも、1,000円の仕事になら手を挙げるかもしれない。

そうなるとますます「900円の人たち」にとっては狭き門になってしまう。

 

従って、これまで時給900円で働いていた人が法律によって時給1,000円になったからといって、彼らがそのまま働き続けられるわけではない(むしろ働けなる人が大勢出てくるだろう)。

 

1,000円の能力があって仕方なく900円の仕事をさせられていた人は得をする。

 

ただし、上記したように、この想定は「他にも1,000円で働ける人がたくさんいる」という前提にたったものだから、裏を返すと、他に働き手がいない場合、900円の人は1,000円でも働けるチャンスはあるだろう。

また、本来は1,000円の能力があるのに、やはりバイト先が少なかったなどの理由で900円で働かざるを得なかった人も、同様に1,000円で働ける(とは言え、それが企業の採算にあっていればという話にはなるが)。

彼らにとってみれば最低賃金が上がる恩恵は大きいと考えられる。

 

世の中にはそういう人ばかりがいて、かつ、現在の企業の余力からすれば1,000円を最低ラインにしても全く問題はない、というのであれば、最低賃金を上げても問題はないという理屈は通るだろう。

 

 

老人はどうか。

 

定年退職後の高齢者となっても引き続き働くパターンは、暇つぶしだったり、年金では暮らしていけないような貧困層が仕方なく働く場合だったり、いろいろ考えられる。

 

そして、冒頭の玉木議員の提案は「後者の理由によって働く人たち」をより苦しめるものとして「老人差別」「弱者を更に酷い環境に追いやるとんでもないもの」という反論がされている。

 

僕は、これらの反論は理にかなっていないと思う。理由は以下のとおり。

 

まず、老人というのは基本的に、体力がなく、ゆえに長時間労働できず、また生産性が低いために最低賃金で働かざるを得ない状況にある。実際、「貧困層で苦しんでいる老人」というのはそういう人たちだ。

 

で、彼ら(最低賃金でしか働けない人たち)の給料(900円)を、法律で強制的に1,000円に上げるとどうなるか・・・。

最低賃金「なら」雇われていた体力のない老人たちが、時給1,000円の他の人たちと一緒に採用面接を受けることになる。

君が店長なら、あえて老人のほう採用します? まさか。

貧困層であれば栄養に乏しく、従ってただでさえ病気がちだと考えられる。それが若者に混じって、同じ賃金で比べられてしまうと確実に負けてしまう。

 

そのようにして、新しい最低賃金で負けてしまった老人たちはどこへ行く?

最低賃金は法律なので、もはや以前の「900円」で自分を雇ってくれる(まともな)会社はひとつも無いだろう。

かろうじて900円貰えていた収入は、最低賃金が上がったことによってゼロになる。

こうなれば、この話は経済的でも、そして正義ですらなくなる。

 

最低賃金を下げるとどうなるか?

 

ここで全く逆に、最低賃金を下げる方向の話を考えてみる。

そうすると、これまでとは逆の話が起こる。

すなわち、900円「でさえ」働くことのできなかった低い生産性の人たちが、800円ならば働くことができるかもしれない。最低賃金1,000円の世界では確実に見放されていたような人たちが働ける環境が現れる可能性があるのだ。これがさらに700円だったらもっと働ける人は増えるだろう。

 

じゃあこれが、500円だったらどうだろう?

500円でもいいから働きたいという人って、相当困った状況であるイメージが思い浮かぶ。最低賃金幸せ派の人たちは、「切迫した貧困層が、その恵まれない状況につけこまれて、無理やり500円で働かされることになるのだ」と主張する。だから、500円でなくもっと高い賃金を支払うよう法律で義務づけるべきだと。

 

でも、そこで「だから最低賃金を上げるべき」とだと言えるのは、上がった最低賃金でもその人が働ける場合だけだ。

 

言い換えれば、500円で働いていた人が、800円でも引き続き働かせてもらえるか?

これが「難しい」というのは上記したとおり。

 

そんでね、世の中で本当に困っている人ってそういう「500円」の人たちなんだよな。

500円の人たちをきちんと500円で雇ってあげられる環境を「酷い」と言って最低賃金を上げた結果、そもそも雇われなくなる可能性についてどう考えているのだろうか、僕にはわからない。

900円貰えている人の時給を1,000円に引き上げるより、彼ら500円の人たちが500円を貰える機会を確保してあげるほうが、よっぽど社会のためになるんじゃないかな。

そう考えると、むしろそういう「相当困った貧困層」にとっては、なるべく最低賃金は「低い」ほうがありがたいことになる。

  

さてここで、共産党などが主張する「弱者を守るため」の最低賃金は1,500円だ。

引退後の貧困にあえぐお年寄りが、いきなり1,500円で雇われるかなあ? 僕は非常に難しいか、ほとんどムリではないかと思う。それよりは、せめて彼らの生産性に応じた時給をきちんとあげられるほうが、経済的に正しいのはもとより、社会のためじゃないかな?

このように、給料が「高すぎて」働けない人たちというのもいて、彼らをどう救済するかというのも考える必要があるんだ。

 

貧困層への支援は「貧困対策」として行うべき


このように言うと、決まって「こいつは貧困層はそのまま野垂れ死にしても構わないヤツ」「格差がどれだけ広がっても気にしないのか」「ネオリベ氏ね」などと言われるものだが、なぜこうした意見が出るか考えてみると、彼らにとって「最低賃金制度」は貧困層の保護を意図したものだからだ。

でも、上記のとおり、最低賃金というのはむしろそうした貧困層を逆に苦しめる結果となる可能性がある。
他方で、貧困層対策の政策としては、「生活保護」「就労支援」「勤労控除」などの諸制度もある。
貧困層を助けたいのであれば、最低賃金などという副作用の大きい制度ではなく、そうした貧困層に直接給付するような制度をもっと充実させるべきだ。

 

最低賃金が高いと「ちょっとしたお手伝い」もできなくなる。

 

また、ちょっと話を変えると、以前の記事でも指摘したこととして、最低賃金が高いと、例えば、夫婦ふたりで経営しているようなコンビニで「1時間でいいからお小遣い500円でお店見ておいて」なんていう便利なことができなくなる。何故なら、お手伝いだろうが何だろうが、世の中のいかなる仕事も1,000円支払わないといけないからだ。

その結果、この夫婦は1,000円で人を・・・・雇わないだろう。

だって、そもそも500円程度の仕事なんだもの。その結果、どんなときもバイトを雇わず、ふたりだけで店を切り盛りしていくことだろう。

 

「それはそれでいいじゃん。500円で人を雇おうとするブラックコンビニなんてつぶれちまえ」と思うかもしれないが、ここで大事なのは、500円で人を雇おうとしたこのお店のほか、「500円だったらお手伝いしてもいいかな?」という人の働き口も1つなくなったことだ。

 

日本は強制労働の国じゃないから、500円で募集したら、必ずそれに応募したうえ、安月給に涙を流しながら働かなきゃいけない・・・ということはない。

この例でいう「500円で1時間店番する」ことがそんなにも不当な条件だったら、誰も応募しないで終わる。ただそれだけのことだ(それが「市場経済」というものだ)。

そこで自分の意に反して無理やり働かされる人なんて出てこない(出てきたとしたら、それは労働基準法という別の法律違反だ)。

それにも関わらず、最低賃金を法律で決めてしまうと、「その賃金以下で仕事を頼みたかった」お店は求人を止めてしまうのと同時に、「その賃金以下でも働きたかった」人は何も仕事が得られなくなる。この場合は全員が損をする。

 

それ以外にも、病気から回復したばっかりとか、妊娠していたりとか、何らかの理由で「みんなと同様に働くのはムリだけど、店のお手伝いして、時給半額でもいいからお金を稼ぎたい」という人たちの働き口も奪われてしまうだろう。そうした柔軟な働き方も、この最低賃金があるおかげで潰されてしまう。

 

最低賃金を下げると労働環境は悪くなるか?

 

最低賃金を下げることによって、これまで900円で働いていた人の給料が800円になる可能性はあるか?

ある。

 

上でも述べたように、給料は

1.その仕事を800円でやらせたとしても、会社は損をしない(採算がとれる)。

2.その仕事を800円で募集すると、その時給でいいから働きたいという人が応募してくる。

から決まるのであった。

 

で、その仕事を「いや僕は700円でもやる」「600円もくれるんですか?!」という人がたくさんいれば、もともとその仕事を800円でしていた人たちの給料は下がるだろう。

だって、もっと安くて働いてくれる人がいるんだから。早い話「600円でもやってくれる人が現れる仕事は、600円でも出来る程度の仕事」だということだ。

最近、日本の企業がどんどん海外に工場を移設して、現地の安い労働力を頼るようになっているのは、まさにこの理由による。そしてそれが、最低賃金以下でしか働けなかった人たちの新しい働き口になるのは上記した通り。

 

「それが嫌だ」という理屈もあるにはある。

「800円以下でしか働けない人たちのことなんて知らん! 僕は800円がほしいんだ!」という理屈ならば、まだわかる。

でも、最低賃金幸せ論の人たちがそんな(あさましい)考えをしているとは僕には思えない。とはいえ、逆に最低賃金を上げれば、今度は自分がクビになる可能性もある。それはどうします?

 

なお、最近の外国人研修生(という名の奴隷扱いを受けている人たち)を引き合いに出し、最低賃金が下がることによって、給料をはじめとして他の面でも酷い扱いを受けるのではないかとという意見もある。

安い給料で雇われた人が酷い扱いを受けるとは限らない(論理的につながらない)ことに目をつむったとしても、それは労務面での違法行為であって、その問題は最低賃金とは違う法律によって解決すべことだ。

  

まとめ

 

最低賃金があがって、みんながもっと高い賃金で働ける世の中というのは、世の中に希望を見いだせない子どもたちの前で披露する話としてはウケがいいかもしれない。

ただひとつ残念なのは、それが誤っていることだ。

 

最低賃金が上がれば「働きたかったのに働けなくなった」人は必ず出てくる。

そうした人は、最低賃金どころか無収入になる。そしてそういう人たちは、まさに最低賃金みんな幸せ論の人たちが一番救いたかったはずの貧困弱者だ。

  

また、「老齢になっても働かないといけないような国がそもそもおかしい」的な意見もあるけれど、それはそうかもしれない。でも老人になって引退してあとは遊んでいけるって、そんなに簡単なことじゃないと思うんだよね。

もっと年金を増額しる! 国民負担率を2倍にしてベーシックインカムを! というならわかる。 だとしても、それは「最低賃金制度」とは直接関係ない話なので、ここでは触れません!

 

(ついでに)玉木について

 

この「最低賃金」というのは、あまりに僕たちの生活に身近なゆえに、これに言及するとかなりヒステリックな反論を受けるようだ。

それにも関わらず玉木議員はよく現役政治家という立場でありながらこうした発言をしたと思う。えらい! いや支持してないけど。

 

だから、これだけに限って言えば玉木は、表層的な自分の評判よりも、正しい国のあり方について恐れること無く主張をする真の政治家だと感じた。仮に上記の最低賃金論に大反対であっても、それは認めてほしいよ。

そして、僕のように一部、玉木議員の評価を見直す人たちもいるから、玉木議員もこれにめげないでほしい。まだトータルでは支持してないけど。

 

立憲民主党も今や(最初から?)プチ共産党社会党2世で、つまんない揚げ足ばっかりとる一方で国会をサボるような連中で大いにがっかりしていたところに、彼は一筋の風を起こせるんじゃないかと密かに期待している(これまでの加計学園問題における大いなるクソみたいな追求はとりあえず脇に置く)。だからあんまりいじめないであげてね♡ おわり。

 

食料自給率なんてどうだっていい(少なくとも心配しすぎ)

その昔、爆笑問題が司会をしているTV番組で「食料自給率」がテーマとなった時に、「日本の食料自給率は40%程度ととても低い水準」だと紹介するのに合わせ、「現在の日本の食料自給率に基づいたカレー」を作ってみるという企画があったのをやたら覚えている。

 

日本は豆とか油、そしてカレーには欠かせない肉(12%)の自給率が低いから、その結果出来上がったカレーは、米に(スパイスのない)水っぽいルーをかけて、そこへジャガイモと人参を浮かべただけの貧相なものだった。

それを出してきて「いやーこんなカレー食べたくないですよねー、食料自給率上げなきゃヤバイですよねー」というのが番組の趣旨だったんだが…。

 

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俺が大人になってもこのエピソードを記憶しているのは、それを心の底から「くだらねー」と感じたからだと思う。テレビのやり口としては大成功なんだけれど・・・あまりにバカにしすぎてる。

 

 

その理由は以下のとおり。

40%の食料自給率だと、こんなにみすぼらしいカレーしか作れないんですねー、うんそれはわかった。で、そこですぐに思いつく疑問が以下の3つ。

 

 

1:現時点ですでに食料自給率40%なんだよね? じゃあ今、僕らはどうしてそういうカレーを食べないで済んでるの? 

 

2:こんなカレーを食わなきゃいけない状況があるとしたらなに?

 

3:そんなの状況ってほんとに起こるの?

 

 

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疑問に対する答え

 

1:貿易をしているから。

2:貿易ができなくなるような状況。

3:起こらない。

 

おわり。あほくさ。

 

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あほくさ。で終わってもいいんだけど、一応、食料自給率を引き上げなきゃいけない理由として使われる「食料安全保障」について触れておく。

食料安全保障というのは、「何かあった時に食べるものがなくて国民が餓死したりしないように、自前で食べ物を調達できるようにしときましょう。自給率は国を守ることと同じことなのです」という考え方。

 

で、この「何かあった時」ってのは、農林水産省によると「凶作」「輸入の途絶」などの不測の要因なんだそうで、つまりは、

 

①:食料自給率が低い時、何かの間違いがあって戦争が起きた時に食べ物が輸入できず、つまり兵糧攻めのような感じになって国民が餓死してしまう。

 

②:そうでなくても、輸入だけに頼ると、世界的な凶作期には輸入品(たとえば大豆とか)が猛烈に値上がりして日本国民の生活が困る。

 

ということを指す。

 

これは、直感的にはそうかもしれないと思う。

でも、落ち着いて考えてみると、

 

①:戦争や国家間の紛争が原因で、戦争相手の国との貿易が停止する可能性はある。

例えばアメリカと戦争になったら大豆が輸入できなくなる。でも・・・ブラジルとかカナダからだって輸入してるじゃん。普通に考えたらそっちから輸入すればよくない? アメリカと戦争したってそっちは止まらないよね?  

ある食べ物を特定の国からしか輸入してなくて、そのうえでその国と戦争が起きた場合はちょっと困るかもしれない。でもそれにしたって、他の国交のある国を経由して、その戦争相手から輸入する方法(迂回貿易という)だってある。

 

こう言うと必ず「全世界と戦争になったらどうすんだよ!!」や「アメリカからの経済制裁で世界との取引が禁止されたらどうするんだ」というヒステリックな反論(?)になるんだが・・・そんな時になったらもう「美味しいカレーライスがたべたいよお(汗)」とか言ってる場合じゃないよなどう考えたって。

 

日本が大きく輸入に頼っているのは(こういうのを「対外依存度」という)、もちろん食料だけじゃなくて、「鉄」「石油」「羊毛」などいろんなものがある。日本って資源がないのよ。

ここで全世界との戦争なんかになったら、美味しいカレーライスが食べられなくてひもじい思いをする・・・・・その遥かずっっっっっっっっっっっっっっっっっと前の段階で石油が供給されなくて無条件降伏するに決まってる。

 

以上のことから「戦争などが原因で食料の輸入が止まったらどうするんだ」という問題は考慮に値しない。

ちなみに言うと、全世界と戦争して輸入が途絶えたその瞬間にめでたく「日本の食料自給率100%」に(強制的に)なるよ。

 

 

②:世界的な凶作期に輸入品の価格が上がる、というのももちろんあるだろうね。

例えば、世界的な日照不足とかでトウモロコシ(自給率ほぼ0%)が不作になって、アメリカから輸入する価格がとても高くなって、塩ゆでしたトウモロコシが大好きな俺たちが困る。

 

でも、よくよく考えてみると、その場合ってたとえ日本でトウモロコシ作ってても同じじゃないかなあ。 だって世界的な凶作だよ? 日本も無事で済まないよきっと。

で、日本でも凶作になるとしたら国産の価格も輸入品と同じように上昇すると考えられるんで同じことだ(冷夏でレタスがバカみたいな値段で売られているのを目にしたことあるでしょう)。

 

そもそも、「凶作に備えて日本国内でも食べ物を作りましょう」と言っている人の暗黙の前提となっているのは「その世界的な凶作のなかで、何故か日本だけが無事」ということなんだが、その理屈が俺にはどうしてもわからん。

 

わからんが、ここで、「不作はアメリカだけなんだよ! アメリカだけ局地的に不作になって、トウモロコシが輸入できなくなって、日本が困るんだよ」という主張も可能性としてなくはない。

でも、それなら①でも言ったけどアメリカ以外の別の国(例えばブラジルとか)から輸入したらいいだけの話だ。アメリカだけ不作っていう前提なんだからブラジルは無事なんですよね。

 

以上のことから、凶作を理由に食料自給率を高めましょうというのは理由になっていない。

 

加えて言うと、これら2つのことは決して起こらない。

仮にこういうの(世界との全面戦争)を起こる前提で考えると「じゃあ明日、宇宙から隕石が落ちてきて日本以外の国が消滅したらどうするんだ」くらいのことも考えないといけないから、不毛というか、そもそも議論として不誠実だと思う。

 

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ところで、以前にもツイッターで「食料自給率なんてどうだっていい」と発言したところ、「じゃあお前の好きな日本酒が飲めなくなってもいいのか」というリプライが着たけれど、(日本酒の原料となる米の自給率が95%なのはさておき)なぜ食料自給率が低下していくのかについて理解していない。

 

食料自給率が低下している原因って、要するに需要と供給の関係で「外国のほうが安くていいから」なんだよな。

 

まあ「いいから」なのは、ちょっと疑問。

俺も中国産のニンニクより、青森県産のニンニクのほうがずっと美味いと思う。

そして、そうした需要が十分にあるなら、そういう良い国産品はきちんと市場に残って、その作り手も現れる。だって売れるから。

 

その逆に、日本での栽培にそもそも向かなかったり(作ったとしても不当に高価になる)、この値段だったら外国のものと勝負にならないよねといった国産品は、日本のスーパーマーケットから姿を消していき、外国のものに置き換わる。

その結果、だんだんと(世界中で貿易が発達している成果ということもあって)日本の食料自給率が下がっていく。これは市場原理であって良いとか悪いとかの話じゃない。

 

米はどうだろう?

他の国に分けてやるくらいはあるようだし、今のところ「外国のほうが安くていい」という状況にはなっていない。

まだ日本酒も安心だ。が、この先「外国のほうが安くてうまい」という状況になるかもしれない。でも、その時は、安くていい外国のものを食う。ただそれだけの話だ。

ここで「俺は外国のものなんて嫌だ」というのは自由だし(俺だって(今のところは)絶対に国産でしか買わない食べ物がある)、みんながそう思えば、きっと国産のものが(高い価格で)スーパーマーケットに並ぶことになる。需給の関係というのはそういうものだ。

 

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こうした食料自給率論にあるのは「何となく自分たちのことは自分でやらないとダメな気がする。自立できていない気がする」という素朴な感情ではないかと思う。

それはそれで立派な心がけだと思う。ただ残念なのはそれが誤っていることだ。

それを言うなら俺たちが明日から食うパンの小麦も自分で育てたらいい。それをスーパーで用立てているなら……国が他の国から安い小麦を輸入したっていいはずだ。

 

食料の他に目を向ければ、例えば鉄鉱石とかどうします?   お洋服の加工だってほとんど日本じゃなくて中国とかベトナムの人にやってもらってるけど、そっちはなんで「いざという時に備えて自給しましょう」にならんのかな。

 

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最後に付言すると、この「食料自給率」の計算自体も合理的ではないとよく言われる。

 

よく「カロリーベースの食料自給率」と目にするけれど、このカロリーってのは、例えばマクドナルドでポテト食べたら500キロカロリーとかっていうカロリーと同じもので、俺たちが1日に食べたものの総カロリーの中に、国産のものがどれだけありますかねっていう計算方法だ。

これを重量にしちゃうと米と肉とかで重さが全然違って合計ができないからこういう方法にしてるんだと。

 

でも、カロリーベースにしちゃうと、例えば白菜なんかは食料自給率が100%だけど低カロリーだから、いくら自給してたって全体の食料自給率にあんまり影響しない。その他、キャベツとかカブとか、食料自給率が100%近いものをいくら集めても貢献度は微々たるもの。だって低カロリーだから。

それに対して牛肉は高カロリーでしかも自給率が12%くらいだから、食料自給率全体を大きく引き下げる。

 

たくさん作っててもそれが低カロリーな食べ物だと食料自給率を高めることはないってこと。で、日本は、そういう低カロリーな農作物をたくさん自給している農業国なんだ。

 

じゃあ逆に、白菜とかキャベツとか全部作るのやめて、高カロリーの牛ばっかり育てれば食料自給率めっちゃ増えることになる。あるいは国民に対して「肉食うなカブ食え」と制限するだけで(国内の生産状況は全く変えずに)大幅に食料自給率は改善することになる。でもそれってどう? 

 

更に言えば、牛の自給率を計算するとき、牛のエサに使われている穀物が輸入品だと、たとえ牛を国内で育てても輸入されたものとして扱われるんだって! 日本では穀物の生産に向いてないからエサは輸入してるんですな。だから牛肉の自給率が低くなる。え、日本できちんと育ててるのにって思うよな。

 

そんなよくわからん指標をもとに「日本の食は危険だ」「自給率をなんとかしなきゃいけない」っつってむやみに自給率を上げましょうというキャンペーンを貼るのは、消費者をむだに高い国産食品を買わせようとする、農家の保護政策以外の何物でもないと俺は思うんだがどうでしょう。

俺はこのブログの読者には以上のような観点で食料自給率の議論には疑ってかかって欲しいと思う。

 

 

 

 

マクドナルド仕事術

うつ病孫悟空)「おっすオラ虚空!」

 

ところで以下のコピペはツイッターリツイートで見かけたもで、読者のうちにも見たことがある人が多いかと思う。

何かのアイディアを出しやすくするための手法の一つだ。


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  1. みんなでランチする店を決めようとしているが、誰もアイディアを出さない。
  2. そこで「じゃあマクドナルドにしよう」と言う。
  3. そうすると「え?! マクドナルド行くくらいなら○○のほうがマシ」といったように、マクドナルドよりマシなアイディアがいろいろ出るようになる。
  4. そのうち、みんなが満足するランチお店が決まる。

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このように、アイディアが出ない状況では、とりあえず「それだけはナシっしょ」的な案をまず提案することで、「それよりはマシ」という反発のようなアイディアがどんどん出てきて、最終的にみんなが許容する選択肢に到達できるようになる。


こうしたものを「マクドナルド法」と呼ぶ。マクドナルドにしてみりゃこれ以上ないくらい失礼な話だ。

で、この方法は日常生活から仕事(企画書の作成など)でもそれなりに活用できることが知られている。

 

 

たとえば、『地元の商店街や役所と協力した、地域アピールのための物産イベント』を開くとする。


その場合、まずは、

 

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【企画書・・・・    】

目的:
日時:
方法:
特別ゲスト:
----------------------

 

のような、ごく簡単な様式を作りはするものの(それもしばしば前代の使い回しだが)、この後に延々と悩むことになる。

 

ここで、一番よくないのは空欄のまま悩むことだ。空欄は何も生み出しはしない。
そうではなく、ここがマクドナルド法を活用するポイントだ。


とりあえず「考えうる限り最悪なもの」を入れてみてから、「いやこれはさすがに嫌だろ」などと、ちょっとずつマシなものに改良しつづけることで、最終的にはそれなりのものに仕上がっている、というのがマクドナルド法から得られる示唆であった。何も思い浮かばない時、まずはおふざけでいいんだ。

 

その考えに基づき作成したデタラメの企画書が以下のようなものだ。

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【企画書・・・各市対抗ミカンぶつけ大会】

目的:○○県名産品(ミカン)の出来栄えを競い、最強の市町村を決定する。

日時:11月○日 午前4時から(荒天決行)

方法:①:各市町村の名産品(ミカン)を用意する。
   ②:台座の上ではりつけとなった市長に向かって全力で投げつける。
   ③:一番先に市長の意識を失わせたミカンを生産した市町村が優勝とする。

特別ゲスト:大谷翔平選手(出るか165km/h)
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まずはこのような実現が困難っぽい企画書を作っておいて、そこから「うーん、でもここはムリかなあ」という部分から修正していく。

「集合時間ちょっと早すぎん?」「大谷は来てくれるかな?」など。

 
このようにすると良い理由がいくつもある。

まず、まさにマクドナルド法の要点と言えることだが、【「作る」から「直す」に変わることでアイディアを出すハードルが低くなる】。
ツイッターでも、自分ではろくに呟かないのに、他人の誤字の訂正や、ツッコミばかりやたらしている者がよくいるが(怒)、それは、1から何かを作る労力よりも、何かを修正する労力のほうがずっと少ないし、やりやすいためだ。
そこで、まずその「1」をデタラメでもいいから作っておいて、後はやりやすい修正の積み重ねを行うようにすると楽にゴールまで行ける。


それから、「とりあえず出来上がる(?)ので心理的に楽になる」のも見逃せないメリットだ。
空欄のままだととにかく「焦り」が出てきて、ただでさえ浮かばないアイディアがさらに出づらくなる。ここで、めちゃくちゃな内容とはいえ、とりあえず書類の中身が埋まっていると、書かなきゃいけない全体のボリュームがはっきりして先が見通せるようになる。こうすると肩の荷が下りて、不思議と様々な考えや、それでも足りないものが出てくるものだ。

 

 

このように、デタラメでいいので全体をまず作ってみてから、以下のように細部の検討に入ればよろしい。

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  • みかんをぶつけるのは危険だから、せいぜい各市のミカン製品(果物のほかに饅頭だとか飴だとか)を持ち寄った物産展にしよう。
  • 参加型のイベントにしたいから無料で食べられるコーナーもつくろう。
  • でも、ただ試食するのはつまらないから、ある市のミカンをお題を設定して「利きみかん」をやろう。景品も出せば試食してもらいやすい。
  • 景品もミカン1箱とかにしたらええ。
  • 時間も10時くらいからでええ。
  • 大谷なんてこねーよ(ゆるキャラ借りてこよう)。

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さて、この方法を運用するうえで注意点が2つある。
1つめは、デタラメな企画書を書いている時点で、「何やら一生懸命頑張ってるな」と勘違いした上司が「途中でいいから見せてみなさい^^」と言われる可能性があること。
その場でクビになることはないだろうがこれから書く書類が企画書から反省文に変わる可能性がある。

 


2つめは、たとえデタラメであっても「修正できる範囲の」デタラメにとどめておくことだ。
あまりにどうしようもないと、せっかく書いたのにそれらを全部消して1からやり直しという無意味なことになる。

この前、ある会議で披露するためのプレゼン資料の作成を頼まれた時、【はじめに】がどうしても書けなかったから、このマクドナルド法を試してみたのが次のような文章だ。

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【はじめに】

おっす! オラ△△株式会社の悟空! 今から○○に関するプレゼンってぇのをはじめっけどよお、オラ何だかすっげえワクワクしてきたぜ!!

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その後、このページに戻ってきたオラは無表情でこの1文全てを削除し、また0から考えることとなったのであった。

 

 

 

What are you doing in front of my house?

 

Recently, I have written some VERY long articles.
Maybe You guys are thinking about this blog---“It takes a VERY long time to read your boring article" or "This is not a diary anyways?". 

 

So I wrote a short and interesting story this time!

It is a story of Disney Land that everyone loves♪

 

“What the hell are you doing in front of my house?"

The other day, I watched (while lying on the floor) the news that "Waiting time of Mickey Mouse's house has reached 11 hours because of his 90th birth anniversary.”.

 

That means if you lined up at 8am in front of his house, you could enter at 7 pm finally.
Can you believe it?  That is JUST a house of "rat"  !

 

On the contrary, there is a very scary point of view from the rat who lives in this house.
What would you feel if you had an 11 hours queue in front of your house?
It almost seems like a nightmare! Why they are putting me under surveillance???

 

He may open a small window (shaped like Mickey) every an hour, and scared about the outside situation. "Help me!!! They are still there!!"

Furthermore,He is an aged 90years old rat.

 

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I think the same thing about people who are running around "the Imperial Palace" every day.

There are a lot of runners who are orbiting the Imperial Palace, during lunch breaks or after work.
However,most importantly, the Imperial Palace is the house of the Emperor anyways.

This is a very scary thing.


If dozens of people are constantly running around your house day and night, it is nightmare.
He opens a small window (shape of the Emperor) every an hour in fear,and screams.


“They are still running!!!!   What the hell are they doing around my house !!??"

 

 

 

 

(ピアノで弾いた)ザナルカンドにて

 

前回の「(弾いた)FF10 素敵だね - 青山日記」からだいぶ時間がたったけれど、同じファイナルファンタジー10から「ザナルカンドにて」を弾いた。これは好きな人多いよね、FF10といったらこれ。


楽譜も前回と同じものから。

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ツイッターのフォロワーに教えてもらったが絶版らしい。

だから紹介してもどうしょうもないんだが。

 

 録音環境は通ってるピアノ教室のスタジオを借りた。ヤマハのなんとかってグランドピアノの上にiPadを載せてボイスレコーダーで録音している。30分500円だから超急ぐ。

 

Listen in  browser をタップで再生

soundcloud.com

 

 

左手がジャンプする箇所でタイムラグがあるけど、今のわたしにゃこれが限界です。
手を大きく動かした先が正確な音なのか、みんなどうやって確かめてるんだ? 誰かに「そこですー^^」って見てもらってる??

 

あと毎回思うけどサウンドクラウドのリンクでかいな!!不要な部分多すぎるだろ!

 

次は楽譜をずっと簡単にして「戦場のメリークリスマス」にしようと思う。