本当の望みの話

「自転車を貸してくれ」と言われたとき、あなたが親切な人だったなら二つ返事で鍵を渡してあげて「良いことをした」という満足感に浸ることだろうが、実はそれが「東京から大阪に行きたい」という目的のためであれば、あなたは一転、「本来、新幹線を使えとアドバイスすべきなところ、無情にも何も言わず自転車を提供した気の利かないヤツ」として扱われてしまうかもしれない。

 

仕事ではこんなことがよくある。

 

だいたい発注する側が悪いんだが、次のような依頼や頼み事が多くある。

 

「○○って資料がほしいんですけど」

「このシステムにはXXっていう機能を入れてください」

「今週中に△△まで連絡したほうが良いでしょうか」

 

これらはみんな「本当は何がしたいのか」が隠されている(または無意識に伝えていない)から、冒頭の(本当は東京から大阪へ行きたいのに)「自転車を貸してくれ」という話が起きている。

言ってくれればもっときちんとした対応ができたのに。

 

「醤油とって」と言われると「手元の魚に味をつけたいのだな」という「本当の望み」を状況から推察することは可能だが、仕事だとそうはいかない。

そうはいかないんだが、こういう話が溢れかえってきて、特に他人や部署間の調整をしていると非効率なことが多くある。

 

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以前ツイッターでこんなネタ話が流れてきて感心した。

 

警察「立てこもり犯に告ぐ! お前の要求は何だ!!」

立てこもり犯「金を1億円用意しろ!それから逃走用の車もだ!!」

警察「それは要件であって、要求ではない!!!」

 

このとき、「要求」が何だと聞かれた立てこもり犯が答えるべきだったのは、次の2点だ。

 1.お金がほしいです。

 2.捕まりたくありません。

 

1億円も車も、こういう本当の望みを叶えるための道具(要件)であって、そっちの方だけを伝えられても、それが相手の本当の望みを叶えられるものなのか、本当にはわからない。

「要件」だけを積み上げても、必ずしも「要求」にたどり着くとは限らない。

そうすると両方が損をする。

 

そうではなくて最初から「要求」を伝えてもらえれば、そこから最適な要件にたどり着くことができる。*1

 

俺たちはなんとなく、そういう「自分が本当に実現したいこと」という願い・望みのようなものを隠し、オブラートに包んで相手に伝えるような「奥ゆかしい」文化があるのかもしれない(または、きちんと相手に伝える訓練をしていない)。

 

自分が抱えている悩みも同じかもしれない。

何かがしたいのだけど、それやるべきか悩んでいる時、本当の願い(俺は本当はどうなると幸せになるんだろう)って何なんだろうと、意外と考えていないのかもしれない。

 

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だから最近、俺はこういう「要件」の提示にあった時

 「君が本当にしたいことは、何なんだい?

と訪ねることにしている。そろそろ職場で妙なあだ名がつく頃だ。

 

*1:「醤油とって」の例でいえば、「お魚の味が薄いです」「僕はテーブルの周りを歩き回るのが面倒くさいです」と伝えたほうが誤解がないどころか、そのお魚に合う塩や、大根おろし、または「自分で取れ」の言葉とともにビンタをいただけることもあるだろう。