「そんなのやめとけって言ってくれる屋」さん

俺の友人は占い師兼カウンセリング屋さんみたいなことしていて、今日その人と久しぶりに話した。

カウンセリングってか「なんでも相談のります」的なことで雑多な話を聞いて、一応解決までの道筋を付けた上で、30分3000円だか5000円だか受け取るビジネス。

 

こりゃいいぞ。俺もこれ気軽にやろうかな?

もっともその友人はあんまり気軽にやっていなくて、話を聞く以上は解決に導くために、心理学のほか、教育、お金、税務の知識、他には引きこもりの息子をどうにか部屋から引きずり出す方法みたいなのを勉強して、何とかお客さんのためになろうと頑張っている(そこそこ口コミもいいようだ)。

お客さんの対応のほか、そういうあらゆる方面の勉強ばっかりしているからかなり大変そうだ。

 

で、これは俺の思いつきなんだけど、相談ビジネスって、きちんと真剣にやるんじゃく、または相手に最大限共感して背中を押してやるのでもなく、相手の為を思わない、手軽に、目先の満足を得る方法を示してやるのが最も効率的だし、感謝されるんじゃ無いかと思う。

例えば、何か困難なことに挑戦しようかと迷ってる人に「そんなのやめておいた方がいいです」または挑戦しなくても大丈夫ですよ」って言って、甘い人生の選択肢を促す。

これは相談者の問題の解決には当然繋がらないが問題ない。なぜなら一般的なカウンセリングだって問題解決能力はほとんど無いし、「問題を解決させてやろう」っていう他人の助言ほど聞きいられないものだからだ。

 

そうではなくて、「そんなのしなくても、実は全然平気なんですよ」という囁きをすることは、相談者にインスタントな癒しをもたらすほか、こちらに専門的な知識も不要だというコスパが何よりも見逃せない。言うなれば「カップラーメン・カウンセリング」。

 

例えば「痩せられない」って相談をされたとする。

俺たちはこういうとき、「どうすれば目の前のドーナツを我慢しつつ、できるだけ長い時間自転車を漕ぎ続けられるだろう」を考えるだろう。

これが(いま皆さんお感じのとおり)全く非効率的で、しかも相手に感謝のされない方法だとしたら、ちょっとプロっぽい人だと「痩せられないことで、いま何かお困りなんですね」とか何とか言って、話を掘り下げていき適当に時間を潰すだろう。

それもいい。大抵の心療内科はそんな話をして薬を出しているようだ(Twitter調べ)。

 

さらに一歩進んだ「そんなのやめとけ屋さん」はここで、「痩せるのなんか絶対やめた方がいい」と、あらゆる根拠で力説する!

 

例えばこうだ。

痩せるのは何か目的があるのですね。

美貌を手に入れて恋人をゲットするためなんですね。

そうして出来た恋人は痩せたあなたが好きなんですよ、従ってその努力は死ぬまで継続しなきゃいけないんです。そんなのやらない方がいいです。

街を歩いていると、太ってても家庭を築いてる人を驚くほどよく見かけますね。見かけ次第私に報告してください。

その人からしたら、痩せるのはさぞ無駄な努力と思うでしょうね。

そうです。あなたが最初から感じていたとおり、痩せる努力はしなくても平気です。

むしろ痩せるのは、ただ辛くて虚しい、人生の娯楽の大半を放棄してるのと全く変わらないです。

痩せなくてもどうにかして幸せになることこそ、賢いあなたに可能な「知恵」ってものじゃないでしょうか。

 

 

今すぐには出ないけど数字などで論拠を示してもいい。

とにかく散々相手に甘い道を示したうえで、カウンセリングのお土産にクッキーを渡す。

そんなことしても、その人の人生に何らかの変化を起こすことには全くならない。

が、相手は多分気分が良くなることだろうと思うし、俺たちはその相談者の人生に何が起ころうが知ったことじゃない。

このカップラーメン・カウンセリングは、目先の癒しを30分3000円で受け取るものに過ぎないからだ。

が、それにもかかわらず、相談者は、次に何か別の人生の苦難や選択、挑戦する機会に差し掛かった時にも相談に訪れるだろう。

例えば起業、転職、結婚や恋愛、いろんな選択にぶつかっては、「もっと理想の高い道を頑張ってみた方がいいでしょうか?」とやってくる。

当然、その時に言うこともひとつ、「そんなのやめておいた方がいいです」。 *1

 

あんまり冗談めかしてばっかりじゃなくて真面目に言うと、今の世の中は、困難なことや、やりがいのあることに挑戦したり、明るい方にむかって歩いて行くことがまず前提で、相談やカウンセリングもその上でどうするかという話になっている気がする。

その不満を、心療内科に通ってるTwitterの人たちからよく聞くんだよな。心療内科に行ってストレスを溜めて帰ってきてる。

そうじゃなくて、「努力しなくていいですよ」「そんな挑戦しなくても大丈夫です」ってお金払うと全力で言ってくれる人がいたらいいなあと思う。よくない?? 俺やろうかな? やめといた方がいい?

 

*1:もっとも、「起業」だけはたいていの場合止めたほうが良いんだが、起業熱にうなされている人はこんな相談屋の門を叩きはしないだろう。そういう起業熱を「アニマルスピリット」という。

子供の名前をつけるときに考えたこと。

ツイッターのフォロワーも含めて無事に出産を終えているようでとてもめでたいし安心している。
今ごろ、みんな夫婦の願いが込められた名前を赤ちゃんにつけて、存分に愛情を注いでいると思う。

 

というわけで今日は、自分の子供の名付けのうえで考慮したことを書こうと思う。

この話題はかなり微妙で、これまでずっと書きたかったのに控えていた。

というのも、名付けにあたってこんなこと考えたよと言うと、逆にそれを考慮していない家庭の名付けをディスっているように、どうしてもなってしまう。

なので、こんなの書いても誰も得しないなと思って生後半年が経過してしまったけれど、俺はいまでも世間の皆さんがどんなふうに名付けをしているのかとても気になるから(二人目ができるかもしれないし)、まず、うちはこう考えたという記録から世間に公開しておこう、と思った次第。

よかったらみんなも教えてね。

 

 

 

1.どっちが名前を決めるか問題


まず、どんな名前にするかという前に、夫婦のどっちが名前を決めるかという問題があるだろう。


「うちは二人で相談して決めたよ」
仲の良い夫婦は顔を見合わせてそう言うかもしれない。結構なことです。


でも、各々が思っている「良さげな漢字」とか、赤ちゃんを見たときのイメージが、夫婦間で完全に一致することは無いんじゃないだろうか。


その場合、やっぱりどっちかが主導権をもって「これがいい!」となり、もう片方が「まあ、そんなに良いっていうなら・・・」と応じる関係性になってしまうんじゃないだろうか。皆さんはどうでした。

 

俺は独身時代から(結婚も、ましてや子供を持つ計画もないうちから)この問題に取り組んできた。
そして、ある経済学的アプローチから、この問題を解決する方法を編み出した。次の方法による。


その「ある経済学的アプローチ」とは、「絶対に喧嘩にならないケーキの分け方」だ。

例えばAさんとBさんの二人で、ホールのケーキを切って分けようとする。

ここで、自分が食べるケーキは大きめに切るに決まっているから、絶対に二人で喧嘩になる。

どうしたらいい?


この答えは、「Aがケーキを2つに切り、どっちを食べるかBから先に決める」

これならば、Aは自分の責任で切り分けたのだから、どちらを取られても納得するし、Bも自分が先に選べるのだから不満が出るはずもない。

 

この方式を子供の名付けにも採用する!!

つまり、片方の親が候補をたくさん考え、もう片方の親が候補から選ぶ。

我が家はこの方法に基づき、俺が候補をいくつか出し、パワーポイントにまとめた上で妻にプレゼンテーションを行い、その中から妻が選ぶ形式を採用した。

 

候補を出しても何度かやり直しになるかと思っていたが、妻としては「この名前、前から私が良いって言ってたじゃん」などと言ってすぐにきめてくれた。

が、もしかしたら気を使っていたのかもしれない。とにかく夫婦間で大きく揉めることはなかった。

 

(※)妻に対して提示した実際のプレゼンテーション資料【抜粋】

 


2.読める名前(PCで変換できる名前)

 

本当かどうか知らないが、母親の話によると、俺の名前は、両親がお世話になった2人の人物に、漢字と読みをそれぞれ別々に考えてもらったそうだ。


そのため、当然ながら、どこをどう考えてもその漢字から読みが類推できない。
この漢字でその読み方をするのは、この地球をとりまく天の川銀河の中でもただ俺一人だと思う。
どんな願いが込められているのかはさておき、実務上、不便なことの方が多い。

誰にも読めないのは当然ながら、最近ではWEB入力フォームに名前を入力するときも不便な思いをしている。

最近のWEB入力フォームはご丁寧なことに、漢字を入力すると、よみがな欄は自動的に入力してくれることがある。
たとえば「青山太郎」と入力すると、よみがなには「あおやま たろう」と自動入力される。


漢字とよみが一般的に対応している場合、この機能はとても便利だ。
が、例えば「太郎」と書いて本当は「グレーテル」と読む場合(ふざけた例だと思うだろうか。俺の名前はこれより酷い)、この機能は大きなお世話になる。


「太郎」と入力すると、本当はグレーテルなのに、勝手に「たろう」と表示されるから、いったんそれをバックスペースキーで削除してから、正しい(???)読みを入力しなければならない。

 

また、今後は、手書きはもとより、手入力ではなくて「音声入力」が普通な世の中になってくるだろうと思う。


例えば役所にいって申請を行うとき、受付口でマイクに向かって「あおやま たろう」と言うと、氏名欄に「青山太郎」と書かれた申請書が自動的に表示されるとか。

「青山太郎」と書いて「あおやまグレーテル」だったらどうだろう??
一般的な音声入力プログラムでは対応できず、「音声入力不可」として手入力の列に回されるだろう。

これを避けるために、PCの変換機能(IMEや、Google日本語入力)で素直に検索できるような読みが合理的だと考えた。

 


3.姓名判断で良い結果が出ること。

 

はい、俺はこういう手の占いは一切信じていない。が、重要なのは占いの信憑性そのものではない。
皆さんも子供の頃、友達と一緒に、各々の名前を占いサイトに入力しては、自分の運勢を確かめあったりした経験はないだろうか?? 無いとは言わせない。その時の結果があまりに不幸なものだったらどうだろう、最悪イジメにつながるのではないか。


そのような恐怖心に駆られた俺は、姓名判断のサイトを巡って、運勢が良くなる画数を相当調べた。
やや詳しめに言うと、姓名判断に用いる画数は、姓および名のすべての漢字の画数(総画)のほか、姓名の漢字一文字ずつをとった「外格」だの「人格」だの、考慮すべき画数は全部で5パターン存在する。


その5パターンのすべてで良い結果になる画数は、連立方程式で導くことができる。
その結果、どんな姓名判断のサイトで検索しても必ずすべて「大吉」になる画数を導き出すことができ、その条件で漢字を選ぶことにした。

ただ、悲しいかな、この制約をつけると使用できる漢字の画数が相当制限される。自由な名付けなんかできようもない。だから一般的にはこんなの考慮しなくて良いと思う。こんなのに左右されて、本当は名付けたかった美しい名前を諦めるなんてバカバカしい。

が、我が家は、夫が上記のような経済学的な考えを重んじるのに対し、妻のほうは姓名判断をそれなりに信じて重要視していたから(姓名判断の結果を考慮するように、との指示は妻からもあった)、この取組も夫婦にとって良い結果を招いた。

 

(※)妻に提示したプレゼンテーション資料(画数検討の部分)。

 


4.その名前をGoogleで検索したときに、同名の犯罪者などが出てこないこと。

 

これからの世の中、罪を犯した場合、懲役刑が終わったとしても、ネット上には罪をおかした自分の名前が残り続けるから、一生不利益な扱いをされる。こうしたものを「デジタル・タトゥー」という。

何の罪もない自分の子に、こうしたタトゥーを背負わせるのは可哀想(下手するとイジメに発展したりする可能性もある)と思ったので、これが良いのではという名前を決めたとき、念のためGoogleで検索してみた。

これらの取り組みは考えすぎかもしれない。だが子供はとにかく何でもいいからイジメのネタを探すものだ。付け入るスキを与えてはならない。


5.その他細かい事。


いわゆる令和の流行だとかは全然考慮しなかった。たとえば、ジェンダーレスっぽい名前であったりとか、はやりの漢字だとか。

強いて言えば、海外の人が呼びやすそうな名前であることくらいは多少考えたくらい。


この点、妻も俺も流行りものにあんまり興味が無いのは似たもの同士で良い家庭だと思った。

 

以上のようなことがあって、これしかないという名前がストレートに決まった、かというとそんなことはなく、いったん別の名前で決めて、その名前が入った歯固めも購入した後で、妻がやっぱり別の名前が良いということになって変更した。

その別の名前が書かれた歯固めは、二人目以降の子供に与えようと思う(まだかじられてないし)。

 

 

みなさんも、名前を決めるにあたって考慮したことなんかがあったら面白いのでぜひ教えてくださいな。

AV女優への規制と、カカオ農園で働く子の話、どこがおんなじ?

最近、「AV新法」が、むしろAV女優たちを苦しめているとして話題になった。

AV撮影の1ヶ月以上前に契約が必要だったり、撮影後も4ヶ月間は公表することができないなどの規制が、AVの業界そのものを萎縮させ、結果としてAV女優として働いていた人たちから仕事そのものを奪う結果となっている。


この法律を作った人たちは、AV女優を守りたいという気持ちが少なからずあったのだと思う。
でも、結果を見ると、「意に反して撮影させられた人」の権利は守られるだろうが、多くのAV女優から職を奪い、むしろ彼女らを苦しめかねない状況になっているようだ。

 

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これとおんなじよう(なことになるだろう)話を、最近見た。
国内のあるチョコレートメーカーが、原料に使うカカオを児童労働に頼らず収穫されたものに切り替えたんだそう。


こういう「不買運動」は、上記したAV女優に対する規制とだいたい同じような事になる可能性がある。


カカオを使う子どもたちとAV女優と、どこがおんなじなのか。

 

カカオ農園から【解放】された子供たちは、学校へ通うのか?


ろくに学校へ通わせてもらえず、小さい頃からカカオ農園でこき使われるアフリカの子供たちは、哀れというほかない。
できれば救済してあげたい。


SGDsという流行り病にかかった崇高な使命を抱いたチョコレートメーカーのみならず、俺だってそう思う。

が、そこで「そういう子どもたちが作ったカカオは買いません」としてしまうのが、本当に良い結果になるか、俺は甚だしく疑問なんだ。


チョコレートメーカーの考える素晴らしい未来は次のとおりだろう。

 

①メーカーが、子どもたちの作ったカカオを買わない。
②アフリカの悪徳カカオ農園は、もはや子供たちを雇用していると損だから、彼らを解放する。
③子供たちは学校に行けて幸せ、カカオ農園も心を入れ替えてまっとうな経営を始めるだろう。

 

①と②は、たぶんそうなる。
でも、③は本当に言えるだろうか。

 

===

そもそもなぜ子供たちはカカオ農園で働いていたのだろうか。
皆さんはどう思う?

 

子供たちはカカオ農園で働く理由、それは、極貧の家計を助けるため、家族を養うために子供ながら仕事場に送り込まれているのだと思う。

そうした子たちから「労働」を取り上げました。

で、その子たちはめでたく学校に行くんだろうか。

 

「農園の労働から解放された子たちは、もちろん、高額な学費を支払った上で勉強して、将来は立派な人物となってアフリカの発展に貢献するだろう」

チョコレートメーカーはそう考えたに違いない。

学校に通うことは将来への投資だから、貧困から脱出する最適な方法の一つだというのは同意する。
が、そもそもそうした事ができないくらい貧しいからこそ、農園で働いていると考えられないだろうか。
だとしたら、カカオ農園から追い出された子供たちはどうなる?

 

状況は今よりも悪くなるだろう。
収入源を奪われた家庭は更に貧しくなり、学校へは当然通えず、もはや児童労働「させてくれる」場所もなくなってしまった。
そうなれば、残ったのは「労働」とも呼べないような、例えば男子は奴隷として売られたり、女子は売春するしか無くなってくるだろう。

 

それらのひどい扱いと「カカオ農園」と、どっちがマシかね? 

それを考えた結果として、彼ら子どもたちは、今日も仕方なく農園で働いているのだ。*1


もちろん、子供たちは自分の意志で働いているわけではなく、だいたいは親に送り込まれているのだろうが、それでも話は違わなくて、彼らの環境では、より稼げる、より継続できる選択肢として、あの悪徳カカオ農家は存在している。

 

日本で不自由なく暮らす俺からしたら、可哀想な話だと思う。
でも、それを他人が「まぁかわいそうに」といいながら、子どもたちから「カカオ農園で働く」という選択肢を奪い去ることは、本当に正しいことなんだろうか。


個人的に、チョコレートメーカーがやるべきなのは、子供たちから選択肢を奪うことではなくて、そういう選択肢しか用意できない環境そのものを改善させることなんじゃいかと思う。


(例えば、子どもたちへの直接の就学支援、金銭面での支援だ。こうした給付が、結果として【早急に】子どもたちをカカオ農園から追い出すことに繋がるのでは?*2


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AV女優をAVから【解放】したら、何して働く?


AV女優の話に戻る。

AV規制を考えた議員さんたちとしても、次のストーリーを考えただろう。
 ①AVメーカーに大きな規制を課す。
 ②規制の負担に耐えられない(資金力がなかったり、売れない)メーカーは潰れていく。
 ③女性がAV業界から解放されて、輝く生活を手に入れ、幸せになる。

 

これも①、②までは実現するだろう。③はどうだろう。


女性たちは、そもそもなぜAV業界で働いているのだろう。
プライドと想像力を持ってAV業界で働いている人にとって、この話は侮辱以外の何にも感じられないだろうが、個人的な印象では、十分に豊かであれば、性産業(セックスワーカー)を仕事には選ばないように思える。


裏を返すと、性産業で働こうとする人の大部分は、労働時間に対して収入が良かったりする仕事に魅力を感じたからだろう。

 

このように、人は、基本的に、いろいろ他の選択肢を比較して「他よりもマシだから、辛くてもやる」という決定をする。
とくに経済学を重んじる俺は、このような人間の理性や自己決定権を重視する。

 

でも、AV規制を強くしようとしている人はそう思っていないようだ。

「AV女優はひどく知能が低くて、正常な判断が行えないか、または男性から脅迫されたり、騙されている」
実際に、誰とは言わないが、AVは「女性を性的に支配することを目的に、購買者がそれを楽しむ『加害映像』」とまで言っている活動家もいるようだ。
加害映像に好き好んで出演するような人は頭がおかしいというわけ。*3

 

「だから、私達が法律で救ってあげなきゃいけない」

こういうのを「パターナリズム」とかいう。
賢い私こそが「彼女らにとって何が一番いいのか」がわかっていて、彼女らは私に従ったほうが良いに決まっている、というわけ。

 

こんなの、親子間の関係でも少々ウザいものがあると思うが、それを全く見ず知らずの他者にやろうとしているんだから大胆だなと思う。*4


で、AVから【解放】された女性たちは、その後どうする??

「たくさんお勉強して、司法試験に合格して、将来的には恵まれない女性たちを救済する正義の弁護士となるでしょう」
「介護のお仕事と繋がる方法があります」
活動家の連中はそのように言う。

かつどうかからすると、AVから解放された女性は、まるで羽を伸ばした鳥のように「まっとうな」社会に羽ばたいていくものだと思っていることだろう。
でも本当にそうだろうか。

AVから追い出された彼女たちに残されたのは、もはや規制も何もない、危険で、人権なんか全く考慮されないような、売春や、撮影であっても「個人撮影」や「同人AV」などという、いわゆる地下とよばれる業界で活動していくしかなくないのじゃないかと思う。
そこには、もはや、これまで彼女たちを曲がりなりにも守ってきた業界慣習すらも存在しないだろう。*5

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「その人が決めたこと」を重視するのが効率的だし、人権の保護だと思う。

 

さっきも言ったけど、俺は経済学を重要視する人だから、たとえ客観的には「可哀想」と思える道であっても、自分が決めた事なのだという「自己決定性」を重視する。

それに対して、

「そうではない、あいつらは、何が自分にとって一番良いのか分かっていないんだ。」
「私はあの人達にとって一番良い選択肢が何なのか分かっている。」
と言うのは、ひどく傲慢な態度のように思える。

 

(自分の基準からいって)可哀想だから、そこから解放してやる、という
のであれば、少なくとも、彼ら・彼女らの、その後の生きる道も用意してあげなきゃいけない。

それが責任だと思う。

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子供が働いているカカオ農園の不買運動も、結果的にAV女優を追い出すことになるAV業界規制も、実際にそこで働いている人の動機や状況をあまり考えない、逆効果になりうる行動という点で、よく似ているものだと思う。


過干渉というか、「毒親」的というか。

で、他方の極には「放っておいて、なすがままにしろ」という意見もある。
これはこれで問題がある。
放っておかれすぎている(=まともな行政が無い)から貧困が発生するのだ。

 

「正しい選択肢を全部私が与えてやる」という極端と、「全部放っておいてなすがままにしろ」という極端の、どのあたりかでバランスをとって試行錯誤するのが政治の役割なんだが、「イデオロギー」という別の問題に飲み込まれ、あまりうまくいっていないようだ。

 

*1:こう言うと、「そんじゃあお前がそこで働いてみろ」という話に少なからずなる。
俺は働きません。なぜか? カカオ農園よりももっと割の良い仕事を選んでいるからだ。
「自分の技能や環境から、まだマシな選択をしている」
この理屈で働くのは、カカオ農園の子たちも俺も同じだ。

*2:とは単純にいかないらしい。発展途上国では「教育投資」はひどく軽視されている。来週の食べるものに困っているのに、何十年後かの収穫なんてアテにできないのは当然だ。
だからそういう状況で、子供に金銭面の支援をしたところで、必ずしも学校へ通うようになるとは限らない。ただ、そうして教育が軽んじられている状況にあって、単純に労働の場を奪うことで、子供が学校に通うことはなおさら無いように思われる。

*3:こう書いたが、もちろん、AV出演への強要などは社会問題として存在するんだろう。
が、それは現行法ではなぜ処分できないのか、俺にはよくわからない。
そもそも今回のAV新法は、民法成人年齢が18歳に引き下げられたことで、これまで20歳まで認められていた「取消権」がなくなっちゃったのが議論の始まりだったのだという。20歳までは、AVに出演しても、あとから「やーめた」ができたのに、いまやそれができるのは18歳までとなってしまった。このおかげで「20歳まではまだガキなんだから、分けもわからず、またはちょっとしつこく勧誘されただけで断れずに出演しちゃうかもしれない」という問題意識が生じたようだ。

そんなら民法を改正してまた20歳を成人にしたらどうなの。18なんざ、まだガキだというわけだから。それはさておき、少なくとも、業界全体を激変させるような設計変更を行う正当性は無いように感じられる。

*4:もっとも、たまに、本当にそういう措置が必要な人はいる。
身が破滅するまでギャンブルを止められず、消費者金融や他人から金を借りまくってしまったりする人だ。
そういう「ギャンブル中毒」という病人に、法律で借金出来なくさせるのはまだ合理的だろう。
それでも過保護だという人もいる。

*5:個人撮影にもAV新法は適用されるというけど、販売メーカーでもないのに、本当に実効性が担保されるのだろうか。

妻の実家(巨人軍宮崎キャンプ地)

赤ちゃんも生後5ヶ月を迎え、首もしっかりしたので色々お出かけすることが増えた。

まだ流行り病も怖いところだけど、家に閉じこもっていないで外の世界を色々見せたいなと思っている。さもなければ大学生の頃に家の中で1日のうち22時間くらいネットゲームをやるようなろくでもない人物(この子の父)のようになってしまうことだろう。

(自分のことを棚に上げて何だが、我が子もそうなったらどうしよう、俺の親はよくもまあずっと見守っていたもんだ。今更ながら見上げた親だと思う)

 

そんなわけで、長らく行けていなかった妻の実家に行くことになった。
妻の実家は隣りの県にあり、車で1時間も行けば辿りつくちょうど良いお出かけ先だ。


ちょうど良いお出かけ先なのだが、あんまり妻は赤ちゃんを連れて行きたくないようで、理由が「猫がいるから、赤ちゃんがアレルギーにならないかが心配なんだよね」とのこと。

 

猫アレルギー、それは小麦アレルギーなどと並びこの世界で最も残酷なアレルギーのひとつとされる。

また、俺には猫アレルギーの友人もいるから、妻がそのように心配する気持ちもよくわかる。

でも、昔は「一定のアレルゲンに触れることでアレルギーが発症する」と言われていたようだけれど、たしか今は違って、赤ちゃんの頃からそれなりに触れていたほうが、大人になってからむしろアレルギーになりにくいと聞いたことがある。

そんな話を妻にしたうえ、赤ちゃんが動物に触れ合う練習にもなるからむしろ良いんだ、人は冒険で成長するのだとかどうでもいい事を言って出かけることにした。

俺自身も猫ちゃんに会えるの楽しみだからな。

懐いてくれるといいなあ。オスかな、メスかな??

 

 

 

 

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そこは人ではなく猫に支配された家だった。

これらのほかにあと3,4匹はいる。

四方を猫に囲まれ、全数を把握するに至らなかった。


かわいい! 

が、聞いてた話の7~8倍くらい猫いる。


ここへ来る前に「これもアレルゲンに触れる練習^^」だとか抜かしたが、例えるなら野球これから始めようって子供をいきなりプロ野球巨人軍の宮崎キャンプに連れて行ったくらいの話だろうと思う。 大丈夫かなこれ?? 猫はかわいい。

 

(とりあえず、実家に訪問している最中も、帰ってからも、赤ちゃんの様子には変化はなかった。妻の妹の子、つまり俺にとっての甥っ子は基本的にこの環境で猫に育てられたらしい。そのように、たくましくありたい。猫はかわいい)

ベビーカーを押す時に怖い顔してるって話

ごぶさた。
子供が生まれると、インスタグラムもTwitterも子供の話ばっかりになるというが本当だわ。
中でも俺のTwitterなんて、ちょっと子供のことから話題を逸らしても国葬がどうとかってロクでもない話しかしないから、もはや誰からも見放されているかもしれん。

 

とりわけ、このブログは「こどもちゃれんじベビー」との完全タイアップ・アフィリエイトで運営されているから、むしろ赤ちゃん以外の話題なんか無いくらいだからな。なので今日も子育ての話をする。

 

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赤ちゃんは生後4ヶ月をすぎて、こちらがあやすと色々と反応してくれるようになった。
「いないいないばあ」が好きなようで、俺が「いないいない・・・」と広げたタオルで顔を隠してから「ばあ~!」と変顔をすると、大いに笑ってくれる。

笑ってくれるから、こっちも嬉しくなって何度も「いないいない・・・・ばあ~!」とやる。
でもやっているうちに「いないいない・・・」のくだりが面倒になって、「ばあ~!」っとだけやってみると、その省略手順でも大笑いする。
単に俺の変顔で笑ってただけじゃねえか。

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涼しくなってきたから、赤ちゃんをベビーカーに乗せて散歩に行くことが増えた。

電車に乗って出かけることもある。

電車に乗っている時に心配しているのが、ベビーカーの扱いだ。

 

ネットを見ていると「赤ちゃんは抱っこして、ベビーカーはたためよ!」などと言われたり、場合によっては蹴られたりすることもあるようだ。
電車の中だけでない、お店の中で、エレベーターで、ベビーカーを転がしている時は常に「何か言われるのではないか」という恐怖とともにある。

一応、一般的なマナーはわきまえているつもりなのだが、ベビーカーに対する世間の風は相当に冷たいとTwitterを見ていると感じる。
一度何か言われたらもうお出かけする気も無くなってしまうだろうと思う。

 

そこで俺は、ベビーカーを転がしている時は常に、眉間にしわを寄せて激怒している顔を維持している。

ちょっとしたお寺の入り口に、だいたい2体セットで飾られている「何とか風神・雷神像」みたいなのは想像できるだろうか。俺は、常にあれと同じ顔をしてベビーカーを転がしている。


ベビーカーを押しつつ、レタスやトマトを買い物かごに入れる時も、般若のような顔を絶えず維持している。

これにより、「怒っているのかはわからんが、なんか関わっちゃいけないヤバい奴」というのは十分伝わるだろうから、何か文句じみたことを言われるリスクも減る。

これを思いついた時は、まさに鬼の形相で「やった」と思ったものだ。

この話を同僚にしたら、「そんなしょうもない対策するよりも、マナー対策を頑張ったほうがよくない?」だとか、子育て世帯の悩みをまったく理解していない酷いことを言ったので、ちょっとしたお寺の風神・雷神像が片手にもっているトゲトゲの棒でひっぱたいてやった。

 

今のところ効果があるのかわからんが、怖い顔をしている時になにか言われたことはない。

これは良いと思い、妻にも同じことを提案したら「嫌でしょそんなの」で終わった。
よくわからないが、何らかの恥じらいがあるのだろう、まったく。


ただ、妻は妻で同じリスクについて考えているらしく、「タトゥーアームカバー」を買おうかと提案してきた。
タトゥーアームカバーとは、ヤクザさんがしているような入れ墨が描かれた腕巻きのようなもので、それをはめ込むだけで、「絶対に何があっても声をかけてはいけない人」になれるというわけ。

こんなの。

 

UVカットもできるよ。

まさに「ベビーカー押している時にナメられないように」という目的で、女性が購入しているようだ。

 

こんなのあるんだったら俺もほしいわ! いつも怒って顔してるのも疲れるし!

 

が、これを装着するうえで問題がひとつ。
女性が付けるにはまだ良いだろうと思う。
これに対し、男性が入れ墨だらけの腕を披露しながら外を歩いていると、何か別の危険を呼び込む可能性があるような気がしている。

 

「おいおい兄ちゃん、気合入った腕してるんやなあ笑」などと、俺の想像上の関西弁を駆使しつつ、本物の入れ墨をした、本職の方から絡まれたり。
そんなことになったら、情けない顔で「いやいや、これ手袋なんすよw ほら見て!」とか言いつつアームカバーをうにょ~んと引っ張って見逃してもらうほか無いだろう。

やっぱり俺は「常に怒ってるような顔」をしながらベビーカー押してるのがいいのかもしれない。
工夫をしている人がいたら情報求む。

 

お食い初めって離乳食はじめる日じゃなかったんだな。

5月に誕生日したうちの子も、この前、生後100日を迎えた。

生後100日になると、決まって行う儀式がある。それが「お食い初め」ってやつだ。

こんな儀式があるって知ってたか? 俺は知らなかった。少なくとも、絶対に、神に誓って、俺自身はそんな儀式をされたことなんかない。記憶にないからだ。

 

で、俺がやったことないからお食い初めなんて何をするのかよくわからん。

読んで時のごとく、「食い初め」なのだから、今はミルクを飲む他にやることがないこの赤ん坊が、いよいよ離乳食を食べ始める日なんだろうと思った。

 

仰々しいことに、そのお食い初めとやらをするには、その儀式専用の料理セットみたいなものが必要らしい。

そのために、家で料理を作るか、そういうセットを楽天で注文するか、法事などで使われる料理屋などで予約するとたいてい一式揃えてくれるらしい。

 

ところで、「インスタグラム」という世界見栄張り選手権大会の会場みたいなアプリがあるんだが、そこでは、赤ちゃんに袴のようなものを着せたうえ、料理屋などに行ったうえでお食い初めをしているさぞ幸せそうな見栄張り家族の写真がしばしばアップされている。うちもこうしよう。わけも分からず家で挑戦して中途半端に終わるより、慣れている料理屋でやってもらったほうが良いだろう。

赤ちゃんが口にするものだし、それこそプロにやってもらったほうが安心だ。

 

というわけで予約して、今日、赤ちゃんと一緒に行ってきた。

 

そしたらタイの塩焼きだよ!見てよこの料理!

 

おい、こんなド偉いもの食うのか? やったなあお前!! バブー! お前ちょっと食いきれんかったら俺がもらうからな! バブー!怒

俺と赤ちゃんは、二人で顔を見合わせてこのように喜びあったものだ。

誇張でなく、目の前に広がる豪華な料理を前に、赤ちゃんは本当に笑顔だった。

 

タイの塩焼きの他には、赤飯、お吸い物、ナスの煮付けのようなものから、歯固めをモチーフにした梅干し。歯固めってなんだ? まじで何もわからんな俺。

 

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店員さんに協力していただき、ひととおり写真を撮って、さあ食べましょうという段になった。

食べるにも順番など、儀式特有の決まりがあるようだ。

 

そこで、グーグルで調べてみると、このようにある。

ご飯、吸い物、ご飯、焼き魚、ご飯、吸い物の順に食べ物を赤ちゃんの口に近づけ、食べさせるフリをします。

 

え、フリなの!? 俺てっきりこれが離乳食なのかと思ったよ!

いや~たしかに、赤ちゃんの口のなか覗き込んでは「まだ歯がないよな~」って思っていたんだよな。

そういう真似事をするって話なのね。。

 

 

・・・

 

そんなわけで、ご飯を箸でつまんでは、赤ちゃんの口に近づける。

近づけては、また次のご飯を箸でつまむ。

これを何度か繰り返す。

美味しそうなご飯をただ見せられただけの赤ちゃんは、悲しそうに、舌をぺろぺろさせて少し舐めようとする。

そのたびに妻から「おい、ペロペロさせんな」と俺が怒られる。

ぺろぺろしているのは赤ちゃんなのに、怒られるのは俺というシステムだ。

 

この儀式でひとつ面白かったのは、赤飯も、タイの塩焼きも、ナスの煮浸しのようなものも、赤ちゃんの顔に近づけると興味深そうに見ては、舌をペロペロさせる。

が、「ひじきとしいたけの煮物」という、俺はもう絶対食べない、それっておかずなんですか的なものがあるんだが、これには見向きもしない。

「しいたけを親のカタキのように憎んでいる」という俺の因縁が遺伝したのかもしれない。

 

そんなこんなでお食い初めが終わって帰った。

帰りがけに妻がミスタードーナツに寄りたいというから、ドーナツを5個買ったら1600円という驚愕の値段で、何かと思ったら妻がこっそり「パイン&マンゴー&パッションフルーツティ」とかいうのを買っていた。

最初からこれが目当てだったという。これだけで1個550円もした。たけーよ!!!

 

次回は、これまでの子育てで買ってよかったものベスト3でも書こうと思う。

たしか、知り合いが8月中に出産すると言っていたから(無事でありますように)、8月中には書きたい。

 

オムツきた

Amazonプライムセールで大量に注文したオムツがきた。

 

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これらすべて使い切るまで本棚から本が取り出せなくなるのはまだいい。

 

これらすべて使い切るまで俺の寝る場所がないのは大丈夫なのか?

過去からのジャンプを貯めているやつがジャンプでベッドを作ったというニュースを見たことがあるが、オムツでベッド作ろうかな??

とりあえず、考えないようにしてしばらく過ごす。

ちなみにここに写っているブツのほか、あと水27本、炭酸水76本ある。