なつやすみの えにっき
8がつ1にち (はれ) 【あしたは はなびたいかい】
「夏休みの日記」という宿題が、ガキの頃の自分にもあったかどうか覚えていない。皆さんはどうですか。
俺の知り合いは毎年のように宿題として持たされていたというけれど、自分にはそんな記憶がまるでない。
これは、
「本当にそんな宿題は無かった」、「やったけど内容が無さすぎて忘れた」か、または「毎年さも当然のようにやらなかったので、宿題があったこと自体を認識していなかった」などいずれかの可能性があるけれど、多分最後のやつだと思う。
他の宿題も同様にやった記憶がまるでないというのがその理由だ。
ガキの夏休みに、そう毎日毎日何かイベントがあるわけでもなかろうに、いったい何を日記に付けろというのかわからん。しかも宿題でだよ。
40日連続でプールだの海だの行くわけないだろ。単にダラダラ寝て過ごすんじゃねえぞという戒めなのかもしれないけれど、それにしたって困るよなあ。
そして、まさに今これを読んでいるガキんちょ達も「夏休みの日記」どうしよう・・・などと困っているんじゃないかな? 俺からのアドバイスを贈ろう。こんなクソみたいなブログを読んでないで勉強をしろ。
これはお説教ではない。今日は○○の勉強をしました、という日記で怒る大人はこの世界にいないからだ。頭も良くなるし、こうしたものを難しい言葉で一石二鳥という。
どうしても何もしなかった日には、「しなかった日記」というのも良いぞ。これは、俺が学生時代に毎日つけていた「Yahooジオシティーズ」のブログにおいて、完全にネタが消失した際に活用していた手法だ。
使用方法はとても簡単で、要するに何かをするつもりが、しませんでしたと書くだけ。
8月1日(はれ):今日はプールに行こうと思っていましたが、行きませんでした。友達の高木くんと、石原くんと一緒に流れるプールに入らなかった後、プールサイドでサンドイッチを食べませんでした。楽しいか楽しくないかわかりませんでした(実際にはしていないので)。
この◎◎しませんでした日記のいいところは、理論上無限に書けることだ。
今日は宇宙旅行しませんでした、トランプ大統領と握手しませんでした、無差別テロを起こしませんでした。
そして更に、これは絵日記にも対応している。プールで楽しそうに泳いでいる自分たちの絵を描いたあと、その上から絵全体に大きく✕マークを描けばよろしい。後は夏休み明けに日記帳のカドで頭を殴られないことを祈るばかりだ。
そうそう、世間の小学校では、単に夏休みの日記ではなく、「絵日記」を提出せよという話もあるんだとか。
あのな、今どき芸大の夏休みだって毎日絵描いてよこせみたいな宿題出さないだろ(知らんけど)。
また、俺が人生で唯一描いた絵日記は、習い事のスイミングをサボりたい一心で描いた、本当は乗ってもいないウソのスクールバスの絵だとは以前書いたとおり。夏休み40日分の絵日記なんてどうしたらいいんだ?
そうして途方に暮れ、ウソのスクールバスの絵を描き始めている君に、とても良い方法をひとつ教えてしんぜよう。
まず、お父さんに頼み、近所にある、コーナンだのコメリだのというホームセンターへ連れて行ってもらう。で、次にそこで人参のタネを買う。
これは人参でなければならん。なぜそんなものを買うのかは後で説明する。
それから、腐葉土。さらにはプランターとジョウロなど、草木を育てるためのアイテムも、家になければ買って帰ろう。
何をしているかわかるかな? そのとおり、僕たちはこれから人参を育てる。
全部含めて1,000~1,500円くらいなんで、君のお父さんが「お父さんな、パチンコでお前達を食わせてやろうと思ってるんだ」などとのたうちまわるロクでなしでない限り、このくらいは買ってもらえる。
で、家についたらさっそくプランターに腐葉土を盛り、そこへ人参のタネを植え、ジョウロで水を撒こう。これで良い。
これで君は「人参を植える」という行為をしたことになるから、まず、初日の日記には「人参を育てた」という絵日記を書くことができる。こんな具合にだ。
8月1日(はれ):今日は ニンジン を そだてました。
翌日、君はまた人参のプランターに水をやる。水をやるのだから当然、「人参を育てた」という行為になる。
従って、やはり翌日の日記にもこのような絵日記を記すことが可能となる。
8月2日(はれ):今日も ニンジン を そだてました。
さてここで、やや時計の針をすすめて、8月20日の絵日記を見てみよう。
次のとおりだ。
8月20日(はれ):今日も ニンジン を そだてました。
勘のいい坊や達のことだ、これが一体何を意図するものか薄々気がついてきただろう。
人参の収穫期は12月。
これはすなわち夏休みの絵日記の対象期間となる7月~8月の間は芽のひとつも出やしねえってことを意味している。
つまり君は夏休みの間中ひたすら、このプランターに土だけが入っているどこか物悲しい風景をただ眺めながら同じような絵を描き、絵を描いてはただ眺めていればよろしい。
何ならカラーコピーしたっていい。現に俺もこのペイントで描いたこのへったくそな絵を次から次にコピー・アンド・ペーストしているだけだからな!
この方法には更に良い点がもう一つある。
夏に目を蒔いた人参は、12月頃に収穫期を迎えると前述したが、すなわちこれは冬休みの日記のネタにもなるということだ。
お前の絵日記って一年中ニンジンばっかだな!
俺はこの方法を考案したとき、人参を両手にそれぞれ握りしめながら「やった」と台所で一人つぶやいたものだ。だが悲しいことに、俺は既に30歳を超える大人となってしまったので、こうした画期的な方法を実行に移すことままならん。
君たちのように、絵日記などというどうでも良い(と言ったら怒る人もいるだろうけれど)宿題をやることで貴重な時間が奪われてしまう子どもたちとって、この記事が有益になることを祈るばかりだ。
ただし、さすがに夏休み40日間通じて「土」の絵ばっかり描いたものを提出した日にゃあ、その午後には心療内科に連れて行かれるかプランターのカドで殴られるかのどっちかだろうから、本気で何も無かった日に「土」の絵を描く。このバランスが求められる。
具体的には次のとおり。
8月の日記
1日:登校日
2日:土
3日:花火
4日:土
5日:プール
6日:土
7日:土
8日:お祭り
9日:土
10日:土
11日:土
土多いな! もうちょっとどこか行けよ!
8がつ2にち (はれ) 【きょうは 花火たいかい】
以上が今回の更新で俺が述べたかったことのほとんど全てだが、ついでに最近花火を見に行った話をする。花火大会には毎年足を運んでいる。
Twitterユーザーは一般的に根暗なものと決まっているから、花火なんていうと「そんな激混みの場所によく行くわ」などと言われるものだが、全くそのとおりで、よくみんなしてこんな人の海みたいなところ行くわ。来年絶対来んじゃねえぞ。俺は来る。
大人になって如実に感じるんだが、過去の、いつ、どこでどうしたという記憶がほとんどなくなりかけている一方で、「この暑い日に何した」とか「桜の下でどうした」とかいう、季節の記憶は割とすぐ思い浮かぶ。その季節の、気温や湿度、それから匂いなどが記憶を刺激するんだろう。
で、やっぱり人生を生きるならば、そういう思い出がひとつでも多いほうが豊かなものだと思うから、とくに大人になってからそういう季節行事にはなるべく参加するようにしているというわけ。
俺たちの日々には季節の記憶となるようなものが無さすぎて危機感をもっておる。そんな危機感を持っているやつが夏にニンジンの絵日記なんか勧めてんじゃねえぞ。
今年の花火大会の特色としては、俺が一眼レフカメラを持っていることだ。
これは去年までとは違う大きな変化なのだが、なぜか花火大会のポスターには一言も触れられていなかった。今年は花火をきれいな写真で撮りまくるんだ。
こうしたことを会社の同僚に述べたところ、「実際に目の前で花火が上がってるんだからファインダー越しじゃなくきちんと自分の目で見れば?」などと今度ばかりは完全に理解不能なことを言いだしたので、その日の花火大会で最も大きな火薬玉に縛り付けて空に打ち上げてやった。まったく毎度毎度失礼なやつだ。
その日は7時からの花火だったけれど、会場には15時過ぎに到着。かなり早いと思われるだろうが、基本的にヒマだから家で寝ているか会場で寝ているかの違いに過ぎない。
で、花火大会が無事に始まって、よ~し早速撮影するぞ~! と思ってたら・・・・打ち上げ場所から近すぎた!! おかげで目で見る分には大迫力・・・なのはいいんだけれど、火薬の煙がすごくて(しかもこの日は風下だった)、撮る写真撮る写真みんな夜空を彩る素敵な花火ってより、その煙のおかげで「山火事」みたいな感じになる。こんな。
火事かよ。
テロかよ。
野焼きかよ。
次回は、もうちょっと遠くからの撮影で良い感じの写真を撮ってみたいと思うけど、もうこの夏は花火大会なんてどこも終わってしまったろうから、仕方なくプランターの土でも撮影していようと思う。俺、人参好きだし。
これは割合キレイに撮れた。