最近、子どもを寝かしつけた後で、妻とアマプラの映画やアニメなどをだらだら見ている。
先日、あるアニメの第10話(だったかそのへんの佳境の回)を見直した。
なぜ見直したのか?
それは、その前の晩に第10話を見ていたのだが、俺が上機嫌に酒(ジンソーダ)をパカパカ飲みまくって泥酔していたおかげで、全く内容を覚えていないからだった。
そういう理由によるものだが、それはまた新たな疑問を生み出す。
なぜ俺は記憶をなくすまで家で飲んでいるのか?
だがこうした当然の疑問は今回のテーマじゃないからとりあえず置いておく。
複雑な事情はあれど、俺と妻は、2夜連続で第10話を見た。2回目となる視聴であっても記憶が全く無いから初見感覚であり非常に新鮮な気持ちで楽しめた。
こうして考えると、同じ作品を視聴する場合であっても、泥酔して記憶をなくしさえすれば何回でも新鮮に楽しめるわけだから、アニメや映画を見る時は常に記憶を失うまで酒を飲むのが合理的なのではないかと思う。第10話に何回でも感動しながら肝硬変で死ぬことだろう。
それはともかく、その第10話の内容というのが、主人公がクラスメイトの女友達(A子)と近所のショッピングモールに出かけて、A子の弟へのプレゼント選びをするというものだ。古き良き典型的な青春アニメだ。
だが、例によって主人公には他に仲の良い女の子(B子)がいる。そして、その女の子(B子)へのプレゼントを、上記のA子との買い物の最中に買うのだ。
こいつ、女とのデート中に、他の女へのプレゼント買ってるよ!!
そのような感想を妻に対して言ったところ、妻から「昨晩、それと一字一句変わらないことを言っていた」という。俺にはまったく記憶はない。
この奇妙な現象は、このシーン以外でもたびたび発生した。
「それも昨日言ってた」「本当に覚えてないの?ふざけてない?」「だからそれも聞いた」などと、俺が初見の感覚で述べている感想は、すべて、一字一句変わらず昨晩の俺によって述べられていたことだったのだ。
「わざとでないならば、神秘的ですらある」とは妻の感想だ。
俺の容態ではなくアニメの感想を言ってほしい。
これはどういうことだろう?
脳に全く同じ情報(アニメの同じ話)を、同じ状況(妻と一緒に酒を飲みながら見ている)で与えれば、全く同じ結果(アニメの感想)が生まれるということだ。
これで俺は、自分が以前から感じていたある思いをまた強くした。
ある思いとは以下のとおりだ。
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人はよく「過去のあの場面に戻ってやり直したい」「あんなことしなければよかった」という過去の後悔を口にする。
「もういちど高校生活が送れたら、次もっとアレしてこうしたい」というのが典型だ。
だが、俺はそういう「過去に戻ったら」的な後悔はだいたい無意味であると思う。
それは世の中にタイムマシン的なものが存在しないという無粋な根拠ではなく、冒頭の体験で得られた示唆のように、全く同じ脳の構造をしている物体に、同じ状況を与えても、全く同じ結果にしかならないと思うからだ。そしてこれは、「こうしたら将来どうなるか」ということを知っていたとしても、きっと同じことしかできない。
それが性格というものだ。
俺に同じ人生を与えても、俳優になったり、F1ドライバーになったりせず、おそらくだいたい今と同じようなところに住み、そして同じような仕事をしているだろうと思う。
やり直したって、性格が変わらなければ、結局同じ選択になる。
そして、性格は変わらない。
半分は遺伝(気質と呼ばれるもの)であり、もう半分はだいたい産まれてからわずかな期間に決まるようだ。このため、もう一度人生をやり直しても、「はっ」と気がついた時にはすでに同じ人生を送っている。それ故に(外的な環境を変えずに)自分だけが人生をやり直したいという願望は無意味だ。
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でも「あのときこうすればよかった」という後悔がある人に、「それはあなたの性格だから無理」と突きつけるような、冷たい決定論をしたいわけじゃない。
そうではなく、過去の選択は、性格という【私の定数】によって何度人生を繰り返したって、やり直したって、「その時点でそれしかできなかった」、そう思うことができるんじゃないか。
例えば卑近な例でいうと、小・中学生の頃に好きだった人にもっとアプローチしておけばよかったと思うかもしれない。しかしそんな積極的な性格は、昔はもちろん、今の自分にもない。故に、過去に戻ってもせいぜい会話が増えるくらいだ。「もっとこの人と話せればいいのになあ」と言って顔をじろじろ見つめることくらいだ。
それ以上のことは起きないと断言できる。だからこそ、それが自分にできる唯一のことだった。
「こうしていればよかった」は、自分ではない別の性格を持った人物にしか達成できない幻想だ。だから、裏を返すと、それ以外の選択ができなかった自分を責める必要はない。その定数を抱えて、不器用にもがいでいた自分に未来から鞭を打つのはやめよう。
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なので過去のことから未来に目を向けようぜ、とは中々言えませんわな。
その定数である自分の性格を心底憎んでいたり、複雑な感情を抱いている人もいるだろうから。
そのうえでよく自己啓発で見るのは、性格は変えられないから住む場所を変えましょうとか、付き合う人を変えましょうとかそういう話だけども、「もうそういう選択すらもできない」と感じている人が多いだろう。
だからこの話に続けて、こうしようぜみたいな話はあまりしない。
でも、「なんであんなことしたんだろう」「もっとああしていればよかった」と思った過去が、少しでも「絶対にああなるしかなかった」という過去の自分への赦しにつながれば、今からでも呼吸のできる余地が広がるんじゃないかと思う。
それが、冒頭の「酒飲んで内容を忘れたアニメを見直したら一字一句同じ感想を言った」という神秘的なエピソードとともに読者の心に届けばいいなあと思った。
過去の自分を受け入れて、それを踏まえて明日どうしていくか。それを考える余地があることが人生の希望だ。そして、まだ希望はある。