「景気の実感」という言葉やめませんか

 日本経済の景気拡大の長さが「いざなぎ(4年9カ月)」を超えた、という報道が出ています。

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こうしたものと常にセットで(主にアベノミクスに否定的な側から)言及されるのが「でも景気が良い実感がない」というお決まりの反論(?)です。
この「景気の実感がない」という表現は、直感的にはより実態に即した景況感を論じているようで、実際には全く無意味・無内容なものです。また、景気の実感の有無を理由とするアベノミクスの評価に付き合う必要はありません。理由は以下のとおり。

  

前提:「実感」って何?


「景気の実感がわかない」という時の「実感」ってなんでしょう。

「実感」を辞書で調べると「 実際に事物・情景に接したときに得られる感じ。」とありますが、「実際に接し」ということは、個人個人の体験から得られる感情という意味合いだと思われます。

そのように考えると、「景気の実感」というのは「俺の感情的に景気が良いか悪いか」ってことになります。

 

1つ目の指摘:そもそも政治は「実感」に基づくべきではない。


それを踏まえた1つ目の指摘として、そうした「個人的感覚」に、重大な意味なんてありませんし、少なくとも、経済政策の立案過程で用いられるべきではありません。

政策の根拠とするのは正しいデータであって、個人の「俺はこう思う」ではないのです。

しかし、朝日新聞等のメディアでは、誰だかわからん人の個人的意見として「実感なき景気回復」などと言いつつ、「だからアベノミクスだめ」という政策提言(?)が行われています。

 

この手の論理の誤りは色んなところで見られます。
例えば、データ上で「朝ごはんを食べない子供は、成績が低い傾向にある」という結果が出た時に「え、でも俺の兄ちゃん常に朝ごはん食べなかったけど学校でトップだったよ?」などという反論(だから何?)が行われることがよくあります。

こういうやり取りはとくにツイッターで見かけますが、以下のことを喉が枯れるまで繰り返しておきたいと思います。

 

「データでそういう傾向がある」ことは「全部がこうです」「あなたもそうです」ということを意味しない(傾向とはそういう意味です)。
そして、
「わたしはこうでした」という個人的な意見は、「だからその傾向はウソです」ということを立証しない。

 

それを踏まえ、改めて次のやりとりを見てみましょう。

・生産や消費の推移などのデータから計算した景気回復の期間が、いざなぎ景気を超えました。→「でも【実感】ないですよ。」

だからなに?

 

このように言うと「個人の意見なんてどうでもいいんですか」というクレームがつくものですが、そもそも、何らかの宗教で国民の精神を統一でもしない限り、世の中全ての人の「実感」を満たす方法なんて絶対にありません。どこかには必ず現状に満足していない、恵まれていない人というのは一定数存在します。

そのうえで「個人の意見を大切にする」ならば、どれほど景気が良くなったとしても、そのたった一部が「わたしには実感がありません」と言えば、その時点で「実感なき景気回復」となってしまうことになります。それで正しい政策決定ができるわけがないし、そもそもそれは民主主義ですらありません。

(なお、ここでの議論は、「個人の実感」は景気を表すかということであって、好景気の中で取り残される一部の貧困層は無視しろという話ではありません。そういう人たちはしっかりと再分配を通じて保護する責任が政府にはあります。そしてアベノミクスについていえばこの点についてやや力不足な部分があると認識しています。)

 

とはいえ「俺はこう思う」という「意見」全てが無駄、無意味というわけではありません。

正しいアンケート方法でそれらを集め、統計的手法を用いて分析するというやり方は「景気ウォッチャー調査」などで見られるように有効なものです。それは、科学的に正しいアンケートにより、「意見」が「データ」となるからです。

 

これに対して、各新聞社の行う世論調査はどうかと言うと、購読層によって数字の出方が違ったりするうえ、そもそも『景気の実感がありますか』という問いかけ自体が不適切です。

というのも、『景気の実感』に明確な定義がないため、それは取り急ぎ、その人の最近の懐事情を聞くのと同義になるでしょう。

人の物欲は基本的に上限が無いので、『これだけお金持ってるので満足です』ということは基本的に無いと思われます。このことから、『景気の実感はありますか(お金たくさん持ってますか)』という問いには多くの人が『実感ありません(十分なお金があるとは言えません)』と答えがちなのです。

裏を返せば『景気の実感がある』とは、『もう十分なくらいお金貰っている』という人が回答する項目になりますが、通常、人はお金が増えるとそれに合わせて消費額が増すので、『これで十分』という状態 にはなりづらいものです。

そして、お金が不十分と感じれば(上記したように普通の人がそうです)、景気回復の実感は(なんとなく)無いと答えるものではないでしょうか。

なお、景気ウオッチャー調査では、景気の良し悪しについて複数の項目でその理由を付すようになっています。

これに対し、景気の実感という不明確な言葉で行った世論調査にどれだけの意味があるのかよくわかりません。

 

弥生時代とか古墳時代とかは、卑弥呼みたいなのがいて「占い」で政治を決定をしていたんでしょうね。
その頃は鹿の骨などを焼いて、そこにできたヒビの形で未来を占っていたんですって。
「実感」を用いて政治を語るというのは、その「鹿の骨占い」とまったく同じことだと思います。その方法は、第一に非合理的だし、時の権力者の都合の良いように解釈が加えられるものだからです。


それゆえ、人類は安定した生活のために、長い歴史の中で「数学」を開発し、これを応用することで「統計」を編み出しました。現在の政策運営はその方法によっています。
もう弥生時代から2,000年経過しているんだし、人の感性に頼る政治よりも、数学を用いた理性的な方法にしたほうがいいと思うのですが、どうでしょう。

 

2つ目の指摘:「実感」は反証不能であり無意味。

「実感」という言葉は上記したように「俺はこう思う」というだけの意味であって、それ以上でもそれ以下でもありません。
そのことから、重要なこととして、「俺はこう思う」を他人が否定することは絶対にできないことになります。


例えば、この寒い時期にコートを着ずに出かけた友人が「いやーぜんっぜん寒くないわ」などと強がっているのに対し「いやめっちゃ震えてるやん」などと指摘することは可能ですが、それでも「寒くない」と強硬に言われてしまうと、技術上どうやっても「いや、お前は寒くないとは思っていない」と証明することが不可能になります(こういうものを「反証不能」といいます)。

 

だから、例えばアベノミクス自民党が大嫌いな人にしてみれば、どれだけ周りの景気が良くなったとしても「実感がない」と言うことはいくらでも可能である一方、安倍晋三にはその意見を覆す方法がありません(「いや、お前には実感がある!」)。

「覆す方法」がなければ、もはやそれは「震えているのに寒くないと言っている人」を説得しようとするごとく「無意味な議論」です。

 

また、反証不能なことは「科学」ではありません。
科学というのは「AをやるとBになる。もしBではなくCになったら、この理論は間違っている」という『何がどうなったら間違いかがわかる』ものですが、「AをやるとBになる。これがCになったとしても俺がBだと言ったらBなんだ」というのは科学ではありません。そして、「実感」はその類の「非科学的」な言説で、政治運営ではそうしたものを参照すべきではありません。

 

従って「景気回復の実感がない」という言説は無意味で、相手にする価値はありません。

 


3つ目の指摘:「実感」の定義が無いので、発言者の好きに使える。

 

上記の話は「実感=わたしはこう思う」という前提で、「そんなものは政治に活用できない」「反証不能だから無意味だ」という話をしました。

でも、中には「いやいや、実感っていうくらいだから、普通は(?)お給料の額のことでしょう」と言う人がいるかもしれません。


そうした人は「景気実感派」の中でもまだ紳士的なほうです。
このように定義を示すことができれば、その人にとっての「景気の実感」は「雇用者報酬」あるいは「名目賃金」のことなんだとわかるから、長期的な推移をデータで確認するなどの方法が可能となりますし、景気の実感を生み出すにはどうしたらいいのだろうという建設的な対話に繋がります。

 

でも、そうではなく「実感」が「なんかよくわかんないけど雰囲気悪いよね」という話であれば、給料がどれだけ上がろうが、失業率が下がろうが、そんなの全く関係なく、どんな状況だって「実感がない」と言うことが理論上可能となります。

万が一、そのような「景気の実感」を重要視する人に絡まれた場合は、定義がない議論に勝つことが不可能なので取りあう必要はありません。

冷静に、

「1.景気の実感ってそもそも何なのよ」

「2.何がどうなったら景気の実感が「ある」って言えるのよ」

「3.景気の実感が無いから何なのよ」

「4.政治って実感に基づいてやるべきなの?」

と聞ききつつブロックするのが最善です。

 

すでに述べたことの繰り返しとなりますが、定義のない言葉について議論する価値はありません。従って「景気の実感」という言説は無意味です。


ちなみに:「景気拡大」は「好景気」とは限らない。


ちなみに、政府の発表で「景気拡大」と言った時、それは「景気の方向が良くなっている」(傾き)というだけで、必ずしも「好景気」(状態)を表さないことに注意が必要です。
「拡大」というのは「傾き」の話であって、状態を示す言葉ではないのです。

分かりづらいだろうから図にしてみました。

 

 赤線から上が「景気が良い」、下が「景気が悪い」ゾーンで、緑の線が実際の景気の流れを示しています。

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最初の時点では「景気悪い」ゾーンですが、景気の傾きとしては上向きの矢印で表されています。これを「景気拡大」といいます。
逆に、次の矢印では「景気良い」ゾーンでありながら下向きになっており、これを「景気縮小」といいます。

つまり「景気は拡大」しつつも悪い状況にある場合もあり、このことから「景気拡大」という言葉だけでは今がどういう状態なのかは不明なのです。


それにも関わらず、「景気拡大」という言葉をもって即座に「好景気」だという発表と解釈しつつ、「好景気というけどちっとも実感がない!」「アベの命令で内閣府がウソ言ってるだけ」などと言うのは、そもそもこうした統計を理解していないことになります。

2ちゃんねるで言う「スレタイしか見ずにカキコ」というやつです。


景気の状況について議論したい場合は、例えば失業率や賃金の水準、地価、消費者物価指数、株価などを考慮して「今は好景気か不況か」を議論する方法があります。
そして、もちろんそこに「実感」などという個人的感情が入り込む余地は一切ありません。

 

 

※「実感ある?」という問いかけ(いちゃもん)をしておきつつ、全く無内容な記事です。俺もこうした意味不明な記事を書いてお金儲けがしたい。

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