異論を許さない褒め方を考えた

SNSという有害なサービスを使っていると、人々は大体「あれがダメだ」「これがダメだ」「バカだ」「アホだ」といった悪口ばかりを口にするようになる。が、年に1回は何かを褒めたくなる場合もあるだろう。

 

ただし、そうした有害な場で何かを褒めた場合、意地悪な第三者から

「そんなものが良いと思っているんですか」

「それは全然大したことないですよ(それを褒めるあなたも知れてますねー)」

といった心ない言葉を投げかけられることがある。

この結果、何かを自信満々に褒めづらい状況が生まれる。君にもそんな経験があるだろう。

 

こちらが何かを褒めているのに、それに反論してくるような全く無関係の人間にどう対応すればよいのか。どうすればギャフンと言わせられるのか。*1

いや、ギャフンと言わせるのにも精神的なコストがかかるから、できればそもそもそんな意地悪な奴らを呼び込ませることなく、何かを褒めたい。

俺はこの問題(何かを褒めたときに、それは低レベルだよと罵られる問題)について長らく考えていたのだが、ある時、よい言い回しをSNSで発見した。

その言い方とは、「○○よりもダメなものはたくさんある」と一言添えることだ。

 

例を挙げよう。

この惑星の全てのフードコートには、ラーメン屋「ラーメン花月嵐(かげつあらし)」という店が入っている。これに例外はない。

で、このフードコートのラーメンはそれなりに美味いのだが、なかなか他人がいる前(特にSNSでは)褒めづらい。何といってもフードコートにある店だからだ。

SNSというのは、基本的に他人に対して見栄をはるか、悪口をいうか、さもなければ禁止薬物を売買するだけのツールである。

その場において「いやーフードコートで食ったラーメンがうまかったよ」なんて投稿しようものなら、瞬く間に炎上し、激しい批判の嵐が巻き起こることだろう。そしてその中には「そんなゴミみたいなものがうまいと思っているなんて、あなたは相当なバカ舌ですね」という悪口も当然のように含まれているだろうね。

 

それを防ぐために、次のように記載するのが良いと思う。

「今日、フードコートでラーメンを食べたが、かなりうまかった。少なくとも、あれよりまずいラーメン屋は世の中にたくさんある」。

この言い方であれば、「うまくない」という反論はあり得るとしても、後半部分――「これよりもダメなラーメン屋がたくさんある」という指摘――に反論することは困難だ。

というのも、そのためには世の中のラーメン屋のほとんどすべてを知っているという知識を前提にしなければならない。SNSで、呼ばれてもいない人のところへいって悪口を言っているような連中に、そんな知識はないし、そして現実に、ダメなラーメン屋は確かに多数存在する。

 

さらに、「そんなの全然おいしくない」と辛口の評価をしてくる人物は、他の多数のラーメン屋に対しても同様に「全然おいしくない」という評価を下すことがあるはずだ。そうであるならば、その人物はフードコートのラーメンよりもダメなラーメン屋をたくさん知っていることになるから、こちらを肯定せざるを得ない。

「○○よりもダメなものはたくさんある」という言い方がこうした効果を生む結果として、意地悪な反論が寄せられる可能性は大幅に減るものと考えられる。

さらに、この言い方は非常に論理的に聞こえる。本当は何の比較もしていないにもかかわらず、比較分析の結果として評論しているような印象を与える。そのため、客観性を伴った知的な言い回しのように感じられるのだ!

 

また、こうしたこうした言い回しを、他人に対して使ってみたらどうだろう?

たとえば、何か作品を見せてもらったときに、「君ってすごいね」「とても上手だね」と褒められた場合、それは根拠の不明な評価であり、場合によってはお世辞のように聞こえてしまうこともあるだろう。

だが「君はすごい。少なくとも君より下手な人は凄くたくさんいる」と言われたとしたらどうだろう。なんかいい気分しないか?? 

 

・・・まあ、あんまり嬉しくないだろうね。別に頼んでもないのに何かと比較されているというのは。

この「○○よりもダメなものはたくさんある」は、自己防衛のための無根拠な言い回しであって、他人の評価に積極的に使うものではない。

それに、本来的には、何かを褒めるために、何か他のものを堕とすというのも上品なやり方ではない。こんな言い回しで自己の身を守らなきゃいけないSNSがすべて悪いのだ。

そうした意味だと、「○○よりもダメなものはたくさんある」の具体例を出してはいけない。例えば「フードコートのラーメンがうまかった、具体的には駅前の○○っていうラーメン屋よりもうまい」などと言ってはいけない

この手法のキモは、具体的に言及しないけど世の中にはこれよりダメなのって存在するよね、という曖昧がゆえに反論が困難なレトリックにあるので、その曖昧さをなくしてはいけない。

そもそも君が何かを褒めたいときに、具体的なほかの物をけなす必要は全くない。

それに、そういう具体的な事例を挙げた時点で、きちんとした比較(?)が始まってしまい、「いやそんなことはない」「さすがにそれはない」みたいな議論を呼び込むことにもなるからだ。

 

話をまとめると、このように「○○よりもダメなものはたくさんある」という言い方は、一見すると根拠を示しているようにも感じる(だが実際には反証不能なものである)ため、意地悪な人の反論を封じる効果があると同時に、知的な表現としても機能すると思う。こんなの褒めたらバカにされるんだろうな~・・・と不安な時にぜひ使っていきたいと思う。

*1:事前にこの記事をChat-GPTに読ませ、誤字や不自然な箇所はないかと聞いたところ、【「ギャフン」という表現は親しみやすいが、年齢層や読者層によっては理解できない場合もある。注釈や言い換えを加えるとより広い読者に対応できる。】との助言をいただいたことから、本脚注を追加しました。