6月は平和に過ごしていたこともあり、何も書くこともなかった。
・子どもがいよいよ「虫デビュー」した。
説明しよう、「虫デビュー」とは、公園に生息しているダンゴムシに心を奪われ、拾って親に見せては「捨ててきなさい!!」と悲鳴にも似た怒られ方をされることである。
公園に行くと、彼はブランコや滑り台には見向きもせず、公園イチのバカでかい岩の影まで一目散だ。そして、岩の根本あたりを指でつっつく。こうすることで彼は友達である大量のダンゴムシに会えるのだ。
この前、俺は子供の案内に従い、上記のデカ岩の影まで行って、仲良しのダンゴムシたちを見せてもらった。
想像の10倍くらいいた。
俺が思わず、本当に素朴な感想として、「うげげげ~~~」と言ってしまったところ、その言葉の意味はわからずとも、なんとなく大切な友達を嫌悪されたのではないかということを察知したのかその場で大泣きされた。ごめんなさい。でもめっちゃいたんだもん虫が・・・。
それにしても、子育てをしていると、誰に言われたわけでもなく、男の子であるという運命からは逃れられず、電車、バス、虫に行き着くものだと思い知らされる。なんでなの?
電車バスはいい。なんで虫?! それもなぜ決まってダンゴムシなんだろう!
俺達の趣味や性癖が、太古の昔からの「遺伝」により決定づけられているのだとしたら、石器時代頃のご先祖様は、ダンゴムシに命を助けられるような経験をしたか、またはダンゴムシと共存できる人間(とくに男子)のみが生き残ったという歴史があるのかもしれない。
まるでナウシカのオームのごとく、巨大なダンゴムシたちを引き連れて狩りにでかけていったのかもしれない。
そうかと思うくらい何故か自然とダンゴムシを好きになる。
そして、こうした遺伝の宿命を思えば、俺たちの趣味嗜好は石器時代の昔から継続しているものであって、多様性というのは幻想に過ぎない。*1
・新しい担当部署への異動も適った。その意味でも6月は平和に過ごせた。
これまで資格を取り、社内公募にも応募した甲斐があったというものだ。人事は適当だから、こんなふうに、デッチあげでもいいから自薦するだけで希望がかなったりする。他方でもっとも不遇なものは何も言わない人だ。
同期のうちの1人の競馬仲間は、そのように何もいわず、黙々と働く仕事ができる人間であったが、今回の異動では予告無しに出向を告げられ、聞いたこともない場所での勤務が決まった。
可哀想である。
可哀想だが、やはり平和な生活は他人から与えられるものではないと思った。外形的には資格を取ったりして、行動的には公募に申し込んだり、または転職を選んだりなどしないと、行き着く先は人事にとっての都合の良い場所しかない。
詩作に励んでいる俺の最近の作品に「お前が消えて喜ぶ者に、お前のオールを任せるな」という一節がある。これは単に意識高い系からくる積極主義ではない。平和のためにやることがあるというだけのことだ。
というわけで(?)明後日にネットワークスペシャリスト試験の合格発表があるから、無事に受かっていたらまた合格体験記を書く。落ちていたら、公園にダンゴムシを探しに行く。