俺のトットちゃん(的な)エピソード

最近「窓際のトットちゃん」を初めて読んだ。

トットちゃんこと「黒柳徹子」の自伝的小説(というかノンフィクションの自伝)であり、とにかく途方もなく売れた本なのだが、これまで名前しか知らず、今年アニメ化するというから読んでみた。

俺は「トットちゃん」を読んだことが無かったものの、トットちゃんとはそれなりの因縁がある。なぜか? 俺は小学校に上がってからずっと、担任の先生から「お前はまるでトットちゃんのようだ」と言われてきたからだ。

トットちゃんは、明るく素直で、人生を楽しく生きる気質に満ち溢れた黒柳徹子なのだが、落ち着きがなく自由気ままで、なんと小学校を一年生で退学となる。

だから担任の言う「トットちゃんみたい」も、決して良い意味では無かった(当時であっても、何となく侮辱されてることだけは感じ取れた)。

 

「失礼しちゃうわ」

これまでずっとそう思いながらも読めていなかった「トットちゃん」を、30代も中盤を迎えた頃に初めて読み、自分の子供の頃と対比させてみた。

「これマジで俺だ」

文庫本を片手に俺はそう思ったのでした。

 

俺の少年時代が黒柳徹子と同じだったと言うと、黒柳徹子に悪いかもしれない。と言うのも、本当のトットちゃんは、超絶お嬢様らしく気品があって、優しく、だけどとにかく好奇心旺盛で、行動力があり、そのおかげでハチャメチャなことばかり引き起こす子であった。

俺はそこから、「ハチャメチャなことをする」以外の要素を取り去ったような、つまりどうしょうもない少年だった。

 

トットちゃんを読んでいたらその頃の事を多少思い出したので、ここに記載しておく。

 

 

小学1年生の頃、青山くん(=俺)はテストが嫌で嫌でしょうがなかった。テストが好きな子というのも珍しいかもしれないけどな。
自分の知識を試されるのが嫌だとか、問題がわからないのが嫌だとかいうまっとうな理由ではなく、たぶん、数十分の時間をじっとしていられなかったのだと思う。

なんで学校というのは、こんなに嫌なことを無理やりさせるのだろう?(そして誰も文句を言わないのはなぜなんだ?)
そう思った6歳の青山くんは、「こくご」だか「さんすう」だか忘れたが、あるテストの最中、いよいよ行動を起こす。

まず、テスト用紙を半分に折る。
そして、さらにもう半分に折る。
これを何度か繰り返すと、やがて、もうこれ以上は折れないくらい小さな四角形の塊になる。
それからテスト用紙を元の形まで戻すと、きれいな四角の折り目のついたテスト用紙ができあがるから、青山くんはご機嫌に、その折り目にそってテスト用紙をハサミでジャキジャキに切り始めた。

静かなテストの時間中、青山くんがせっせと細かい正四角形のテスト用紙だったものを量産していると、先生がそれに気がついて、走り寄ってくる。
普段から穏やかで、嫌な感じがしない女性の先生だったと思う。
その先生が、いきなり青山くんの肩を掴み、問答無用で顔にビンタした! 人がせっせと図工をしてる時にだよ?

その後なんやかんや人生を諭されるようなことを言われたのだろうが、そっちは全く覚えていない。わけもわからず、ただ悲しかった。


青山くんは、学校なんていうとんでもないところに来てしまったことをただ悔やんだのだった。

悔やむと同時に、青山くんは痛い頬をさすりながら、これまで通っていた保育園の園長先生のことを思い出していた。


青山くんは、先生からトットちゃんみたいだと言われるくらいだから、当然、保育園でも問題児だった。
保育時代(つまり3~5歳)に自分がしでかしたことで、よく覚えている事件がある。
当時、ユリ・ゲラーの影響だか何だかわからないけれど、青山くん(たぶん、4~5歳)はスプーン曲げの大ブーム!

ご飯の時間は、まず出てきたスプーンをぐにゃぐにゃに(もちろん超能力ではなく、腕力で)曲げてしまうことから始まる。曲げるスプーンについては、家のものはもちろん、保育園で配膳されたスプーンでも何の躊躇いもなく力ずくで曲げまくっていた。

 

そして、ぐにゃっと曲がったスプーンでは食べにくいから、また腕力で元の形に戻す。
そんなことを何度か繰り返していくと、やがてスプーンは根本からポッキリ折れてしまう。
折れてから、どのように食事を続けたのかよくわからないけれど、たぶん新しいスプーンがもらえたのではないかと思う。
甘すぎる。
調子にのった青山くんは、もう世界中のスプーンを折り曲げてやろうと決心し、何本も何本も折ってしまった。

何でそんな馬鹿な事を? 本人としては、そのうち、テレビ番組のスタジオに連れて行かれ、ユリ・ゲラーと会えるのではないかと思ったのかもしれない。
しかし、スプーン曲げを熱心に続けていた青山くんが連れて行かれたのは、キラキラしたテレビ番組のスタジオではなく、薄暗く寒い、保育園の園長先生の事務室だった。

これほど知能に問題がある子どもでも、きっと、「これから酷く怒られる」くらいのことは想像できていたと思う。
青山くんは、病院で座るような合皮の冷たい丸椅子の上に座らせられ、その前の椅子に、園長先生が向かい合って座った。


これまでほとんど接したことがない、「偉い人」だという事は知っていたけど、それ以外のことを何もしらない女性の方を前に、青山くんが何も喋れないでいると、園長先生は、おもむろに、青山くんが普段曲げているスプーンとおんなじスプーンを取り出して、青山くんに見せた。
そして、園長先生は笑顔で、「見てて。こうするとね、ほら、折れちゃうの」と言いながら、自分の力でぐいぐいとスプーンを曲げて、ついに真っ二つに折ってしまった。
それだけで、園長先生との面談は終わったと思う。
園長先生のこの行為が、青山くんにどういう心理的な作用があったのか、今となっては想像でしか無いけれど、青山くんはきっと「なんだ、自分だけじゃなく、誰にでもできることなんだ」とか「大人もやるんじゃ、つまらない」とか思ったのだと思う。
青山くんは、それっきり、まるで魔法をかけられたようにスプーン曲げに対する熱意を全く失ってしまい、二度とスプーンを曲げて遊ぶことは無くなった。
その時に酷く怒られなかったことを、今思い返すと「いい先生だったなあ」と思うし(母も同意見のようだ)、別の見方では、それまで酷く怒られたことが無かったから、小学校でも問題行動ばかりしていたのかもしれない。


また、上記のエピソードのほかに、小学1年のときに目の前の席に座っていた子が真っ白の服を着ていたから、そこに何か絵を書いていいのかと思い、鉛筆でいろいろ描いていたら、その子の家に両親ともどもお詫びに行った記憶もあるんだが、それはまた別の話にする。

 

とにかく、中学まではこんな事を繰り返していたから、事によると小学校を退学になっててもおかしくなかったかもしれない。

自分が俺の親だったら何をするだろう? 少なくとも将来に絶望して、教育も諦めてしまうのではないかと思う。見捨てず、また酷く怒らなかった親に感謝するほかない。