玉木議員の言う「最低賃金引き下げ」について

国民民主党の玉木代表がこんなことを言っている。

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 (よく見たら最近の話じゃなくて、8月のツイートだった! でも昔のツイートだからって、この記事の内容に影響があるわけじゃないから気にしない。)

 

さて、僕は玉木議員を支持していないが、この内容には概ね同意できるとともに、この発言に対する批判的なリプライの嵐(案の定炎上しとるが)についてはどちらかというと同情している。

 

とりわけ「高齢者への最低賃金規制の緩和」については、炎上の主な原因となっているものの、前に僕が最低賃金について書いたことに近いし、「高齢者と言わずもっとやれ」とすら思っている。

最低賃金が上がって困る人達のことを考える - 青山日記

 

この記事では「地方都市のコンビニ店長が困る」というちょっと狭い範囲での話をしたので、今回はもっと一般的な話をすることで最低賃金の影の部分を指摘し、最低賃金が上がることで困る人も(けっこう)いるということを説明したい。

(なお、説明のためにここでは900円を最低賃金と仮定する。)

 

 

 

最低賃金でみんな幸せ論の暗黙の前提

 

世間で見る「最低賃金を上げればみんな幸せ」論の人たちが暗黙の前提にしていることがひとつある。

それは「今まで900円で働いていた人たちも、最低賃金が1,000円になれば、みんなが自動的に時給1,000円で働けるようになる」というものだ。

 

自分が今900円貰っていたら、それは間違いなく1,000円に上がるだろうと、彼らは思っているふしがある。確かに直感的にはそう思うけれど、これは正しくない。

以下で説明する。

 

 

人が900円で働く理由

 

そもそも何で、会社は人を900円で雇うんだろうか。 

それは、

 

1.その仕事を900円でやらせたとしても、会社は損をしない(採算がとれる)。

2.その仕事を900円で募集すると、その時給でいいから働きたいという人が応募してくる。

 

という理由による。

この場合、企業は900円(最低賃金ね)でバイトを募集する。

 

さてそこで、最低賃金を900円から引き上げた場合に、これら「1.」と「2.」がどのように変化するかを考えてみよう。

 

 

最低賃金を上げるとバイトの募集は減る。

 最低賃金上げることで、まず1.の「会社の採算」は、ストレートに影響を受けると考えられる(それも悪い方に)。

 

これまで時給900円ならば採算が取れていた仕事が、時給1,000円になったことで、会社にとって「割に合わない」仕事となる場合があるのだ。

たった100円でと思うかもしれないが、一日6時間シフトで月に20日入るとしたら、1年間で15万円弱のコスト増になる。

 

そして、それを法律で定めることにより、900円で働いていた人「全員に必ず」このコスト増が起こることになる。

そうなると、バイトを雇うことでむしろ損をするような状態となりうる。

 

すると、会社はどうするか? 

最低賃金アップでみんな幸せ論」が前提とする世界ではこうだ。

「法律で決まったんだから仕方ないよね。これからもよろしくね」などと、自分たちがどんどん赤字になるにも関わらず、バイトみんなに1,000円を支払い続ける

こう言うと直感的にも何かおかしいと思うだろうし、そういう会社は遅かれ早かれ倒産して、みんな仲良く職を失う。その場合の時給は0円だ。会社はバカじゃないので、そういうことはしない。

 

では実際の会社はどうするか?

普通は、採算の合わない分のバイトを減らしたうえで、店長が代わりにやるとか、減らしたバイトの分の仕事を他のバイトたちに少しずつ分担させるとか、そういう判断が起きる(実際に経験がある人もいるだろう)。

なんだってそんな酷いことを?? 会社というのは慈善事業でやるものではないという話に尽きる。900円ならギリギリ働かせてあげられた人を、1,000円でも働かせてあげなきゃいけない理由はどこにもない(クビにする自由がある)。

 

以上の話をまとめると、最低賃金が上がると、採算のとれない会社が出てきて(少なくとも得をする会社はない)、それによってバイトの数は当然に減る(少なくとも増えはしない)。つまり、900円だったら働けていた人たちが、1000円になった途端にクビになることが起こるのだ。

そして、クビになった人たちを待ち受ける時給(?)は0円だ。

 

 最低賃金を上げると、最低賃金以下の能力しかない人が失業する。

 

2.「募集」の面はどうだろう。

これまで「900円でも働きたい」と言っていた人は、最低賃金が1,000円になったらそれは嬉しいだろう。当然、1,000円で募集しているバイトに喜んで応募すると考えられる。

 

で、ここで一つ考えたいのは、これまで、何でその人は時給900円で働いていたのってことだ。

言い換えれば、他にも1,000円だの1,300円だのという求人があるなか、なんで900円で働いていたの?

 

いろんな事情があるだろうとは思うけれど、基本的に給料というのは、その人の生産性で決まる。つまり、原則として、その人は900円の能力があって、900円分の仕事が出来るから、900円の給料を貰っている。

 

そして、この(言い方は差別的だが)「900円の能力の人」が、1,000円のバイトの面接にいって採用されるかというと、残念ながらさっきも言ったように企業は慈善事業じゃないから「900円しか稼げないけど、法律で決まってるから1,000円あげるね」という話にはならないんだ。この点、「最低賃金みんな幸せ論」の前提では、この「900円の人」は、ありがたい法律の加護によって1,000円のバイトに採用されるらしいのだが、それが誤っている。

 

というのも、重要なこととして、1,000円で働きたい人の中には、もともと1,000円の能力を持った人もいるだろう。そういう「1000円以上の人たち」に混じって、法律によって強制的にランクアップさせられた時給900円の人が面接を受けて、採用されるかというと・・・かなり難しい。

なぜなら、お店の立場になってみても「1,000円分働けます」という人と、「900円で働いてたけど今日から法律で1,000円になりました」という人が同時に面接に来た時、間違いなく1,000円の人を雇うからだ。

ここで900円の人を雇うのは「可哀想だから」以外の理由が無い(そして、通常、会社というのはそういう判断をしない)。

 

更に言うと、これまで時給が900円だった仕事が1,000円になったことで、これまでもっと高い能力があって(例えば時給1,200円)、でも900円では働きたくなかった人たちも、1,000円の仕事になら手を挙げるかもしれない。

そうなるとますます「900円の人たち」にとっては狭き門になってしまう。

 

従って、これまで時給900円で働いていた人が法律によって時給1,000円になったからといって、彼らがそのまま働き続けられるわけではない(むしろ働けなる人が大勢出てくるだろう)。

 

1,000円の能力があって仕方なく900円の仕事をさせられていた人は得をする。

 

ただし、上記したように、この想定は「他にも1,000円で働ける人がたくさんいる」という前提にたったものだから、裏を返すと、他に働き手がいない場合、900円の人は1,000円でも働けるチャンスはあるだろう。

また、本来は1,000円の能力があるのに、やはりバイト先が少なかったなどの理由で900円で働かざるを得なかった人も、同様に1,000円で働ける(とは言え、それが企業の採算にあっていればという話にはなるが)。

彼らにとってみれば最低賃金が上がる恩恵は大きいと考えられる。

 

世の中にはそういう人ばかりがいて、かつ、現在の企業の余力からすれば1,000円を最低ラインにしても全く問題はない、というのであれば、最低賃金を上げても問題はないという理屈は通るだろう。

 

 

老人はどうか。

 

定年退職後の高齢者となっても引き続き働くパターンは、暇つぶしだったり、年金では暮らしていけないような貧困層が仕方なく働く場合だったり、いろいろ考えられる。

 

そして、冒頭の玉木議員の提案は「後者の理由によって働く人たち」をより苦しめるものとして「老人差別」「弱者を更に酷い環境に追いやるとんでもないもの」という反論がされている。

 

僕は、これらの反論は理にかなっていないと思う。理由は以下のとおり。

 

まず、老人というのは基本的に、体力がなく、ゆえに長時間労働できず、また生産性が低いために最低賃金で働かざるを得ない状況にある。実際、「貧困層で苦しんでいる老人」というのはそういう人たちだ。

 

で、彼ら(最低賃金でしか働けない人たち)の給料(900円)を、法律で強制的に1,000円に上げるとどうなるか・・・。

最低賃金「なら」雇われていた体力のない老人たちが、時給1,000円の他の人たちと一緒に採用面接を受けることになる。

君が店長なら、あえて老人のほう採用します? まさか。

貧困層であれば栄養に乏しく、従ってただでさえ病気がちだと考えられる。それが若者に混じって、同じ賃金で比べられてしまうと確実に負けてしまう。

 

そのようにして、新しい最低賃金で負けてしまった老人たちはどこへ行く?

最低賃金は法律なので、もはや以前の「900円」で自分を雇ってくれる(まともな)会社はひとつも無いだろう。

かろうじて900円貰えていた収入は、最低賃金が上がったことによってゼロになる。

こうなれば、この話は経済的でも、そして正義ですらなくなる。

 

最低賃金を下げるとどうなるか?

 

ここで全く逆に、最低賃金を下げる方向の話を考えてみる。

そうすると、これまでとは逆の話が起こる。

すなわち、900円「でさえ」働くことのできなかった低い生産性の人たちが、800円ならば働くことができるかもしれない。最低賃金1,000円の世界では確実に見放されていたような人たちが働ける環境が現れる可能性があるのだ。これがさらに700円だったらもっと働ける人は増えるだろう。

 

じゃあこれが、500円だったらどうだろう?

500円でもいいから働きたいという人って、相当困った状況であるイメージが思い浮かぶ。最低賃金幸せ派の人たちは、「切迫した貧困層が、その恵まれない状況につけこまれて、無理やり500円で働かされることになるのだ」と主張する。だから、500円でなくもっと高い賃金を支払うよう法律で義務づけるべきだと。

 

でも、そこで「だから最低賃金を上げるべき」とだと言えるのは、上がった最低賃金でもその人が働ける場合だけだ。

 

言い換えれば、500円で働いていた人が、800円でも引き続き働かせてもらえるか?

これが「難しい」というのは上記したとおり。

 

そんでね、世の中で本当に困っている人ってそういう「500円」の人たちなんだよな。

500円の人たちをきちんと500円で雇ってあげられる環境を「酷い」と言って最低賃金を上げた結果、そもそも雇われなくなる可能性についてどう考えているのだろうか、僕にはわからない。

900円貰えている人の時給を1,000円に引き上げるより、彼ら500円の人たちが500円を貰える機会を確保してあげるほうが、よっぽど社会のためになるんじゃないかな。

そう考えると、むしろそういう「相当困った貧困層」にとっては、なるべく最低賃金は「低い」ほうがありがたいことになる。

  

さてここで、共産党などが主張する「弱者を守るため」の最低賃金は1,500円だ。

引退後の貧困にあえぐお年寄りが、いきなり1,500円で雇われるかなあ? 僕は非常に難しいか、ほとんどムリではないかと思う。それよりは、せめて彼らの生産性に応じた時給をきちんとあげられるほうが、経済的に正しいのはもとより、社会のためじゃないかな?

このように、給料が「高すぎて」働けない人たちというのもいて、彼らをどう救済するかというのも考える必要があるんだ。

 

貧困層への支援は「貧困対策」として行うべき


このように言うと、決まって「こいつは貧困層はそのまま野垂れ死にしても構わないヤツ」「格差がどれだけ広がっても気にしないのか」「ネオリベ氏ね」などと言われるものだが、なぜこうした意見が出るか考えてみると、彼らにとって「最低賃金制度」は貧困層の保護を意図したものだからだ。

でも、上記のとおり、最低賃金というのはむしろそうした貧困層を逆に苦しめる結果となる可能性がある。
他方で、貧困層対策の政策としては、「生活保護」「就労支援」「勤労控除」などの諸制度もある。
貧困層を助けたいのであれば、最低賃金などという副作用の大きい制度ではなく、そうした貧困層に直接給付するような制度をもっと充実させるべきだ。

 

最低賃金が高いと「ちょっとしたお手伝い」もできなくなる。

 

また、ちょっと話を変えると、以前の記事でも指摘したこととして、最低賃金が高いと、例えば、夫婦ふたりで経営しているようなコンビニで「1時間でいいからお小遣い500円でお店見ておいて」なんていう便利なことができなくなる。何故なら、お手伝いだろうが何だろうが、世の中のいかなる仕事も1,000円支払わないといけないからだ。

その結果、この夫婦は1,000円で人を・・・・雇わないだろう。

だって、そもそも500円程度の仕事なんだもの。その結果、どんなときもバイトを雇わず、ふたりだけで店を切り盛りしていくことだろう。

 

「それはそれでいいじゃん。500円で人を雇おうとするブラックコンビニなんてつぶれちまえ」と思うかもしれないが、ここで大事なのは、500円で人を雇おうとしたこのお店のほか、「500円だったらお手伝いしてもいいかな?」という人の働き口も1つなくなったことだ。

 

日本は強制労働の国じゃないから、500円で募集したら、必ずそれに応募したうえ、安月給に涙を流しながら働かなきゃいけない・・・ということはない。

この例でいう「500円で1時間店番する」ことがそんなにも不当な条件だったら、誰も応募しないで終わる。ただそれだけのことだ(それが「市場経済」というものだ)。

そこで自分の意に反して無理やり働かされる人なんて出てこない(出てきたとしたら、それは労働基準法という別の法律違反だ)。

それにも関わらず、最低賃金を法律で決めてしまうと、「その賃金以下で仕事を頼みたかった」お店は求人を止めてしまうのと同時に、「その賃金以下でも働きたかった」人は何も仕事が得られなくなる。この場合は全員が損をする。

 

それ以外にも、病気から回復したばっかりとか、妊娠していたりとか、何らかの理由で「みんなと同様に働くのはムリだけど、店のお手伝いして、時給半額でもいいからお金を稼ぎたい」という人たちの働き口も奪われてしまうだろう。そうした柔軟な働き方も、この最低賃金があるおかげで潰されてしまう。

 

最低賃金を下げると労働環境は悪くなるか?

 

最低賃金を下げることによって、これまで900円で働いていた人の給料が800円になる可能性はあるか?

ある。

 

上でも述べたように、給料は

1.その仕事を800円でやらせたとしても、会社は損をしない(採算がとれる)。

2.その仕事を800円で募集すると、その時給でいいから働きたいという人が応募してくる。

から決まるのであった。

 

で、その仕事を「いや僕は700円でもやる」「600円もくれるんですか?!」という人がたくさんいれば、もともとその仕事を800円でしていた人たちの給料は下がるだろう。

だって、もっと安くて働いてくれる人がいるんだから。早い話「600円でもやってくれる人が現れる仕事は、600円でも出来る程度の仕事」だということだ。

最近、日本の企業がどんどん海外に工場を移設して、現地の安い労働力を頼るようになっているのは、まさにこの理由による。そしてそれが、最低賃金以下でしか働けなかった人たちの新しい働き口になるのは上記した通り。

 

「それが嫌だ」という理屈もあるにはある。

「800円以下でしか働けない人たちのことなんて知らん! 僕は800円がほしいんだ!」という理屈ならば、まだわかる。

でも、最低賃金幸せ論の人たちがそんな(あさましい)考えをしているとは僕には思えない。とはいえ、逆に最低賃金を上げれば、今度は自分がクビになる可能性もある。それはどうします?

 

なお、最近の外国人研修生(という名の奴隷扱いを受けている人たち)を引き合いに出し、最低賃金が下がることによって、給料をはじめとして他の面でも酷い扱いを受けるのではないかとという意見もある。

安い給料で雇われた人が酷い扱いを受けるとは限らない(論理的につながらない)ことに目をつむったとしても、それは労務面での違法行為であって、その問題は最低賃金とは違う法律によって解決すべことだ。

  

まとめ

 

最低賃金があがって、みんながもっと高い賃金で働ける世の中というのは、世の中に希望を見いだせない子どもたちの前で披露する話としてはウケがいいかもしれない。

ただひとつ残念なのは、それが誤っていることだ。

 

最低賃金が上がれば「働きたかったのに働けなくなった」人は必ず出てくる。

そうした人は、最低賃金どころか無収入になる。そしてそういう人たちは、まさに最低賃金みんな幸せ論の人たちが一番救いたかったはずの貧困弱者だ。

  

また、「老齢になっても働かないといけないような国がそもそもおかしい」的な意見もあるけれど、それはそうかもしれない。でも老人になって引退してあとは遊んでいけるって、そんなに簡単なことじゃないと思うんだよね。

もっと年金を増額しる! 国民負担率を2倍にしてベーシックインカムを! というならわかる。 だとしても、それは「最低賃金制度」とは直接関係ない話なので、ここでは触れません!

 

(ついでに)玉木について

 

この「最低賃金」というのは、あまりに僕たちの生活に身近なゆえに、これに言及するとかなりヒステリックな反論を受けるようだ。

それにも関わらず玉木議員はよく現役政治家という立場でありながらこうした発言をしたと思う。えらい! いや支持してないけど。

 

だから、これだけに限って言えば玉木は、表層的な自分の評判よりも、正しい国のあり方について恐れること無く主張をする真の政治家だと感じた。仮に上記の最低賃金論に大反対であっても、それは認めてほしいよ。

そして、僕のように一部、玉木議員の評価を見直す人たちもいるから、玉木議員もこれにめげないでほしい。まだトータルでは支持してないけど。

 

立憲民主党も今や(最初から?)プチ共産党社会党2世で、つまんない揚げ足ばっかりとる一方で国会をサボるような連中で大いにがっかりしていたところに、彼は一筋の風を起こせるんじゃないかと密かに期待している(これまでの加計学園問題における大いなるクソみたいな追求はとりあえず脇に置く)。だからあんまりいじめないであげてね♡ おわり。