「役に立たない研究」を大事にするのは難しい

 いつもアルコールの話しか書いていないから今日はマジメな話をする。

 

ノーベル賞を日本人が取るたび,「一見すると役に立たなそうな研究でも,続けると何か思わぬ結果に繋がるかもしれない,だからそういうものを大事にしなきゃだめ」みたいなことを言う人達が現れる。それはそれで正しいのかもしれないけれど,でもどうやって? 

 

世の中で「役に立たなそうな研究」ってのは,恐らく作ろうと思えば無限大に作れると思う。例えば俺が「耳かきをしながら走り幅跳びの記録をのばす方法」を研究し始めたとしたら,今まさにそんな「役に立たなそうな研究」がひとつ増えたことになる。

いますぐ研究費用として1億円くれ(なお,一部あるは大部分が研究者の飲食代や交遊費に消える可能性あり),もしくは,俺のその研究に対し,ある程度の額の税金が投入されることになってもテロを起こさないでもらいたい。

 それに対して「バカもやすみやすみいえ」と言うなら,やっぱりどこかで「役に立ちそうな研究」と「役に立たなそうな研究」の仕訳が必要ですってことじゃないのかな。

で,まだ粘って「いや,お前の走り幅跳びの研究にもお金を出すよ!」という奴がいたとする。

しかし,問題はまだ終わっていない。
なぜなら,次は俺の友人が「片足で立ちながらスパゲッティを上手に食べる方法」の研究をし始めるから,それにもお金を出す必要がある。

そして,それは恐らく無限に続く。

他方,出せるお金は限りがある。ビルゲイルでも無限ドル持っているわけじゃないからだ。
有限なモノを,無限なモノに配賦することはできない。

従って,どうしても「役に立ちそうな研究」と「役に立たなそうな研究」の仕訳は必要なんじゃないかと思う。

「役に立たなそうでも認めてよ」というのは,自分の研究の説明が苦手あるいは放棄している研究者の叶わぬ夢だと思うんだがなあ。

 

本当に「役に立たない研究を続ける」ことが出来るのは,その研究にかかるコストがゼロであるか,あるいは研究者に十分な資金的余裕があるかのどちらかだけで,そうした「役に立たない研究」に対して企業や個人が投資するというのはありえない(何もインセンティブがないことを人間はやろうと思わない)し,それは国家の税金だって同じことだ。

だから「役に立たない研究でも大事にしよう」は正しくはこうだ,「役に立たなそうでも(自分でやる余裕があるなら,出来るだけ早期に諦めず)大事にしよう」。

 

また, 「役に立たない研究でも大事」な人は決まって「今まで役に立たないと思われていた研究が,いまどんな役にたっているか」という話を始めるなんだが,それは後知恵的な「結果を見てから手法を褒める」方法だと思うし,そもそも,そういう「役に立たなそうな研究」と呼ばれたものだって,「いやこれはいつか役に立つよ,すごいよ」って言ってインセンティブを見出し,お金出してくれた人がいたと思うんだけどなあ。


だいたい,「役に立たなそうな研究も大事」なんてみんなが言い出すのは,決まってノーベル賞を日本人が受賞した時のみだ。

俺はそれがとても不誠実に思える。なぜなら「役に立たなそうな研究」を続けてノーベル賞をとった「奇跡」の象徴をありがたがり,その奇跡を「みんなもやれ」と言いつつ,実際にそんな「役に立たなそうな研究」をして,そのまま役立たずのまま終わって露頭に迷った研究者のことなんて誰も考えてないからだ。

例えば「役に立たない研究」をしていた研究者10,000人いたとして,そのうち9,999人の研究者は案の定役に立たなくて,転職先も見つからないまま餓死してしまうとする。税金も返ってこない。

だが1人だけ,偶然の力が働いて大成功,ノーベル賞をとったとする。
ここでみんな言うわけ,「役に立たない研究でも続けることが大事だ!」
俺は,こういうものは「生存バイアス」だと思う。「たまたま」そうして生き残った方法が正しいと思えてしまう(それをやって死んだ人に,人間は注意を向けない)。

 

例えば俺がいつまでも大学の研究室に残って「ネコを怒らせずにしっぽをモフモフさせる方法」を研究していたとしよう。
「役に立たなそうな研究も大事」と言う人が,同じ口で「早く就職しろ」と言うのが俺にはとてもよくわかるし,そしてそれが正解だと思う。

 だから俺は,たとえノーベル賞受賞者が自分の口で「役に立たないと思われる研究でも大事なのだ」と言っても,「そりゃ成功した人(生き残った人)はそう言うでしょうねえ・・・」としか思えないんだよね。

 

とは言え,世の中で使われる技術というのは,どんな理論が元になるかなんて予測しようがない。科学技術にかぎらず,未来はかなりランダムな動きをしている。

そういうランダムな世界で「現在役に立たないことでも,将来役に立つ可能性はある」のは紛れも無い事実なんだが・・・俺たちに言えるのはそこまでだと思う。

これが「役に立たないことでも大事にしよう」となると相当怪しくなる。


俺だって「世の中に無駄な金はない。研究は全て経済学的見地から,将来のキャッシュ獲得に貢献するものだけを行うべき」なんて事を言ってるわけじゃない。でも,「役に立たないことを大事する」のは,口で言ってるよりずっと難しいことだし,科学に対して「それ何の役にたつの?」と言う人を「あいつらは何もわかってない」とか言って見下すのはよくない。