寝ている間に耳栓が外れにくくなる方法

どんな物音にも敏感に反応してしまって満足に眠れず日々人間としての生きづらさを実感している神経質のみんな~!

 

そんな人間に向いてない(もともとアメンボとして生まれるはずが神様がクリックをミスして人間となった)俺たちにとって、眠るときの耳栓は必需品だ。

これまで耳栓を使っておらず、なかなか寝付けずに困っている人がいたらぜひ試してほしい。400円程度で人生が大きく変わる。


ちなみに俺が使っているものは「サイレンシア」だ。機能に優れ、女性向けの小さいサイズもあり、耳も痛くなりづらい素晴らしい製品だ。

たいていのドラッグストアで購入することができる手軽さも良い。

 

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が、サイレンシアに限らず、耳栓には重大な欠点が1つ存在している。

「寝ている間に外れてしまうというのがそれだ。

 

これのおかげで、睡眠時間にとって最も重要な時間帯である「朝方」に、たとえば近所の雨戸の開け締めや、散歩している犬の鳴き声(人と犬はなぜ朝に散歩をするのだろう)などで不快な目覚めをすることになるのだ。


仮にそれまで安定的に眠れていたとしても、目覚めが最悪だったおかげですべてが台無しになる感がある。

したがって、耳栓を装着したまま眠るうえで、この「耳から勝手に取れる」問題を解決する必要があり、俺はこれまでにいろいろと検討を重ねた。

 


方法1.外れるたびにつけ直す。


 根本的な解決につながらず、最もセンスがない方法がこれだ。
 俺はずっと、これをしていたのだ!
 深夜に目覚めるたびに外れた耳栓を探しては、面倒臭さそうに耳にはめ直して眠る。

 その1時間後に目覚めては耳栓を探し、探しては1時間後に目覚める。そうしているうちに朝が来る。


 しかも、どのように酷い寝相をすればこんな場所に潜り込むかねえ!? ってな場所に毎回耳栓が落ちているから、それを拾ってこなければならない。
 引っ越すときにベッドをどかすと、その下から大量の耳栓が出てくる!! 俺は毎晩ベッドの下に潜り込んでるのか!?

 そんなわけで、外れるたびに耳栓をつけ直すというのはむしろストレスのたまる無力な方法だ。 なぜ俺はアメンボに生まれなかったのだろう?


方法2.耳栓をした上からセメダインを流しこむ。


 1.の欠点を修正しようとしたのがこの案だ。これで耳栓ごと耳をカチコチに固めてしまえば、もはや外れる心配もなくスヤスヤと朝まで寝られるという寸法だ。
 しかもセメダインならば、耳栓の僅かな隙間も固めてくれるから、より完全完璧な静寂を体験できることになる。 というか耳栓自体が不要かもしれない。
 その後、耳を原状回復できないのが唯一の難点だ。

 

方法3.耳栓をつけ直してくれる執事を雇う。


 悪くない案だが傍に人がいるとそれはそれで寝られないからボツ。

 

方法4.部屋の空気を抜く。


 音の原因は、空気などの『揺れ』だ。すなわち、『揺れ』を伝搬するものがなければ音は出ない(正確には「伝わらない」)のだ。
 例えば宇宙戦争モノの映画やアニメで、爆発シーンで炎があがり(酸素がないのに)、あまつさえ「どかーん!」とか音が鳴っているのはすべてウソだ。
 このことから、部屋を完全な真空状態にすることでも完全な静寂を得ることができると考えられる。理科の教科書から得たライフハックだ。
ただし専用パジャマが絶望的に可愛くない。

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以上のとおり、耳栓の遺失を防ぐための最高の方法がセメダインだと結論付けたあとで調べてみると、もっと簡単で、安全で、効果的な方法が見つかった!


早速、今朝その方法を試したところ、朝まで全く外れることなく、素晴らしい静寂とともに心穏やかな朝を迎えることができた。

今回はその方法をお伝えしよう。ここまで無駄話


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サイレンシアに限らず、最近の耳栓というのは、だいたいスポンジ(ポリウレタン)素材で、このような型をしている。なんていうの? 円錐? 高校まで算数の教科書開いたこと無いから図形の名前がわからん。

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それはともかく、このスポンジを細く潰して、耳の中に入れると、中で膨らんで密閉し、音を遮断してくれるというシステムだ。

 

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で、寝返りを打つたびに、耳から飛び出した部分のスポンジが枕とこすれて、そのまま外れてしまうというわけ。

 

で、ここからがライフハック

この耳栓の、お尻から3分の1程度をカットする。


こんな感じ。

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こうすることで、耳栓全体が耳の中に収まり、なんど寝返りしようが宙返りしようが、ベッドの下に潜り込もうが、こすれて外れてしまうことが無くなるのだ!

もちろん、すっぽりと耳の中に入り込んでしまうことで「そのまま取り出せなくなるのでは」という一抹の不安も生じる。
これが意外と大丈夫。カットするのは枕とこすれる3分の1だけで、残り3分の2があれば取り出すのも容易だ。
それでいて、遮音性も全く失われることはない。

毎朝、耳栓が耳から外れて悲しい思いをしている皆さんにはぜひお試しいただきたい。

 

そして仮に、耳の中から取り出せなくなってしまっても問題ないじゃないか。もともとセメダインを流し込むつもりでいたんだから。

 

ワクチンの予約をした。

引っ越しのことなんざどうでもいい。

ワクチン接種の予約したぞ!

 

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接種券はずいぶん前に地元の自治体から貰っていたんだが、肝心のワクチンが届かないとかで、長いこと予約ができないでいた。

が、この前知ったんだが、地元自治体の接種券でも、大手町の大規模接種センターで予約できるのな! これ知らなかったの俺だけか?!

ワイドショーも、誰の役にも立たない感染者数の発表などして遊んでないで、こういう事実を俺に教えてほしいってもんだ、まったく。

 

というわけで、早速17日(火)にワクチンを打ちにいく予約を行った。

職場でも、家族でも、ワクチンを打っていない人がもはや俺だけとなり、最近では「あ~、副反応で腕あがらんわ~w」などというワクチンマウント*1に心を痛めてもいたが、これで俺もみんなと同様の腕上がらない仲間に加われるってもんだ。

俺の翌日の腕の上がらなさっぷり、見てろよ! *2

 

*1:俺の後輩などは「ぼくは若者で比較的副反応がつらいと思うので明日休みます!!」などと会社の会議で高らかに言い放っていた

*2:ブログ仲間によると「接種部分にふいに圧力がかかったら痛みで叫んだあとガチ泣きする。」くらいに辛いらしいのであんまり茶化さないでおく。片手でブラを外せるようになっておいた方がいいらしい。

引っ越し事件(騒音トラブルの顛末)

タイトルのとおり、つい最近引っ越した。

 

 

はじめて引っ越しをした就職時から通算して、多分8回目くらいの引っ越しとなる(±1~2回くらい誤差あり)。

 

もっとも、以前まで住んでいたマンションはとても良いものだった。

鉄筋コンクリート造でしっかりしているし、6階だからほとんど外からの目が気にならない。シャワーを浴びて、ほとんど裸でうろちょろしていても警察に捕まらない。

 

そういう利点もあり(利点の説明が「裸でうろちょろできる」というだけなのは残念だが、探せば他にもある)、人生ではじめて1ヶ月分の家賃を支払って更新まで行ったのだが*1、その更新からわずか3ヶ月後に引っ越すことになった。

 

原因は騒音トラブルだ。

2年たっていきなり騒音が気になったのかと疑問に思うかもしれないが、騒音を気にしたのは俺ではない。

これはマンションに入居する人に知っていてほしいのだが、自分は気にならない騒音でも、周りは気になるかもしれないということ、そして、周りの人は入れ替わるということだ。

 

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事の起こりは今年6月に遡る。60日ほど前だから言うほど遡らない。

 

俺が住んでいるマンションの1階には商業施設が4店舗ほど入っているのだが、それらがまとめて内装工事をすることになった。4店舗まとめてだから、かなり建物の基礎的な部分の修繕が入ったのかもしれない。

 

で、平日の日中はずっとカンコンカンコン作業している。

この音が、6階の俺の部屋まで結構響く!

鉄筋コンクリートとはいえ、マンションの基礎的な柱にハンマーを打ち付ければ音が鳴るのである。

 

しかし、工事はいずれ終わる。長くても1ヶ月~2ヶ月程度だろうし、休日には作業しないからガマンできないことはない。

俺はそう思っていたのだが、俺の部屋の真上に入居している人はそうは思わなかったようだ。

こともあろうに、その騒音の原因が俺の部屋にあると誤解して、工事の音がするたびに「うっせえわ!!!!」とばかりに床をドンドン叩いてくる!

 

確かに床が直接響くような衝撃がくるので、工事していることを知らなければ、階下である俺の部屋が原因だと思わなくもない。

でも、だとしたら俺はなんで天井をガンガンやっているんだ?

 

この階上の住人は最近入れ替わったようで(それこそ、俺の更新に合わせて)、それまで静かだったのに、入れ替わり以来、かなり音が響くような生活をする。音が響くような生活をする一方で、周りの音には神経質で、抗議のためにやたらドンドンするような人物だ。

 

先月、改装工事が佳境を迎えるにあたって、ついに階上の住人のガマンも限界を迎えたようで、かなり殺意のこもった意思表示を階下である俺の部屋に向けて行ってきた。

事ここに至るにあたって、俺も身の危険を感じ(今にも包丁を手に怒鳴り込んでくるかもしれないと感じるほどだった)、警察に通報して、警察官から階上の人物に対して事情を説明してもらったのだ。

事情聴取の結果、やはり「下の階の人がうるさいから、報復のために床にものをぶつけた」と供述していたそうな。

 

その一件以来、階上の住人の抗議は止んだ。

でも、そのように攻撃的な住人がいるところでは暮らせないし(同じエレベータに乗り合わせるかもしれない)、ただでさえその住人自体の騒音がひどい。

 

このため、そんな事件があった当日から物件探しを行い、1週間ほどで新居を決め、2週間目で引っ越した。夜逃げレベルの猛烈なスピード引っ越しだった。

 

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これまでの7~9回の引っ越しを経て俺が悟ったことは、分譲マンションならともかく、賃貸レベルではどんなマンションに住もうが、騒音トラブルとは無縁ではいられないということだ。

当初は問題がなくても、マンション内のどこかで急に工事が始まることもあるし、すぐ真上または真下に極度に神経質な人物が引っ越してくる可能性もある。今回はそれが同時に起こった。

また、たとえ最上階の角部屋に住もうが同じことで、今回の工事の一件で俺の部屋に攻撃を行った人物は、まさに最上階の角部屋だったのだ(それにも関わらず、我慢が限界にきたということ)。

 

このトラブルで俺はマンション暮らしに愛想が尽き(というか怖くなり)、人生で始めて戸建ての賃貸(つまり「貸家」)に引っ越すことに決めたのだ。

 

その話はまた明日する。

とりあえず、今は平和に暮らしているから、安心してほしい。

 

 

*1:つくづく思うが、あの「更新料」ってのは一体何のために支払わなければならないんだ?月の家賃なら支払ってるじゃないか。商品を大量に買うと、普通は安くなる。これをリベートという。「これからも商品を買いますね」と言うと余計にお金がかかる異常な業界は、賃貸業界だけだ。(あっ、【消費税】とかいう謎のシステムがあった)

百人一首の話

今となっては昔のことだが、和泉式部(いずみしきぶ)って歌のうまい人がいた。

で、その娘で小式部(こしきぶ)って子がいたんだが、これも歌が上手で、いわゆる天才キッズ的な扱いを受けていたそうな。

でも、やっぱりそんな状況を面白く思わない大人もいるんだな。
(あいつの歌って、実は全部、母ちゃんが作ったものじゃねえの??)って。

例えば藤原定頼ってやつがそうだ。
ある時、ミュージックフェスに小式部がやってきた時、定頼はこんな意地悪を言った。

「おめーの母ちゃん、いま遠く(生野という土地)にいるんだってなあ。こんなフェスなんか来て大丈夫か? 母ちゃんに、【作詞してくれよ~ママ~(´;ω;`)】って文(フミ)は送ったか?笑」

超いじわるな大人な。

それに対して、小式部は、その場でラップ風にこんな返しをした。

 

 あそこに見える、大江山
 行く野の道は、生野の道
 アタシにとっちゃ 遠い道
 母ちゃん向こうに いるからよ
 文(フミ)もまだ見ちゃいねえのさ・・・

 

普通、こんなバトルをしかけられたら、相手もそれなりの応酬をするのが礼儀ってもんだが、当の藤原定頼は才能ないガキだと思ってた小式部に即興でこんな歌詠まれたもんだから、びっくりして尻尾巻いて逃げた。これはほんとに逃げた。


他方で名を上げたのが小式部で、この歌は即興なのにも関わらず、一発で小倉百人一首入りを果たした。


かっこいいよなー小式部。
俺が百人一首で一番好きな歌でもある。
成功したものに対して、品性下劣に絡んでくる者は必ずいる。
それを「サラっと」才能パワーで撃退したエピソードとして大好き。

俺たちも、他人の才能を妬んだり、または自分の才能をひけらかしたりせず、彼女のようにスマートに生きていこう。


そんでなぜ急に百人一首エピソードなんか書いたか?
令和の子どもたちにとって一番の楽しみは、SwitchでYou Tubeを見ることだって報道を見たから。
その僅かな昔に生まれた俺たちは、変わった形の木の枝を振り回すか、カルタで遊んでいたんだよな。
そのカルタというのが百人一首というもので、その名のとおり100種類ある。お前たちがポケモンを数百匹覚えるのと同じように、この100首を暗記して無双したものだ。なんか悲しくなってきた。

 

なお小式部の歌った歌詞は、正確には次のとおり。

 

大江山いく野の道の遠ければ まだふみもみず天の橋立

 

独学でITストラテジスト試験に合格する方法

ITストラテジスト試験に受かってたぞ!

 

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ところでWikipediaを見ると、この試験に合格することで貰える報奨金に100円(!!!!)を超える額を設定している企業が世の中にはあるらしいんですが、それってどこですか??????

私、その企業にとても行きたい!

それはさておき、今回も例によって、独学でITストラテジストに合格するための勉強法を記載する。

 

ちなみに、これまでの資格試験に関する記事は次のとおり。

 

amemiya-a.hateblo.jp

amemiya-a.hateblo.jp

 

 

 

前提

 

受験者の想定

私自身は非IT系の仕事をしており、専門のスクールにも通っていない独学受験者である。

もっぱら趣味で勉強していて、前回(2020年秋季試験)で応用情報技術者試験に合格したところ。

ただし、金融・経済・経営・会計については資格試験レベルの知識があり、仕事でも活用しているから、その点はストラテジストの受験にあたって有利に働いたと思う。

 

スマートドラッグで記憶力アップ。

これも例によっての紹介となるが、記憶力、短期的な集中力を増大してくれるサプリメントであるスマートドラッグの有効性は、今回の試験においても大いに発揮されたと思う。

amemiya-a.hateblo.jp

 

試験でカンニングしたら失格だが、こういうサプリをいくら飲んだって当然ズルにはならない。

みんなもこういうのを飲んで、他の受験生を出し抜こう。

 

受けた感想

IPAの高度試験は初体験で、論文をがっつり書くタイプの試験も初めてだった。

とりあえず設問で要求されている事項には答えられたが、「あんなので良かったかな?」と手応えなし。しかし、きちんと受かっていた。

それなりの読解力・文章力さえあれば、追加的なIT知識に関する勉強はそんなに無く、難易度的には応用情報かそれ以下だと感じられた(少なくとも応用情報の勉強のほうが苦労した。)。

 

勉強方法

 

ここから本題。

ITストラテジスト試験など、情報処理技術者試験の高度試験は、択一試験(午前1,午前2)と、記述試験(午後1)、論文試験(午後2)に分かれている。

従って、それぞれの試験形態に分けて、独学での勉強法を記載する。

 

 

①.択一試験(午前1,午前2)対策

 

ただただ過去問をやる。

以上、終わり。

 

この勉強法(?)については応用情報でも述べたが、高度試験でも午前試験はほとんど同じ問題の使いまわしなので、過去10年間の過去問を暗記しておけば、問題なく合格点は取れる。現に私は88点(25問中3問ミス)でパスした。それが60点でいいんだよ!?

もっとも、中には新しい論点の出題もあるが(令和3年度試験でいえば、DX関係の出題など)、仮にそれら新傾向の問題を全て間違えたとしても余裕をもって合格する。だって60点でいいんだよ!?

ただし、ITストラテジスト試験などの高度試験ともなると、有能ウェブサイトである「過去問道場」が使えない(筆者が調べた限りでは「応用情報」までしか対応していなかった)ので、過去問集を買うべき。

また、これも繰り返し言っていることだが、分厚い「テキスト」は絶対に買わないほうがいい。過去問集とその解説で十分だし、そんなテキストを読む時間があったら鬼門の午後試験のために時間を使おう。だって60点でいいんだよ?

 

 

②.記述試験(午後1)

 

さて、ここから本番。

記述式となる午後試験は、さすがに過去問の繰り返しだけで受かるとは限らない。

それなりの「コツ」が必要になってくる。

 

ところで、同じ記述式でも、午後1(短答記述式)と午後2(論述式)の違いは、答えが1つに決まるかどうかだ。 

IPAが発表している模範解答を見ればわかるように、午後1には「これしかない」という答えがある。コナン風に言わせれば「真実はいつもひとつ・・・」。

 そのような1つの答えがあるということは、すなわち、問題文をきちんと読みさえすれば、必ず「それ以外に無い」という答えが特定できるということだ。

 

だから、問題文を精読する。

唯一の攻略法がコレなのが、ITストラテジスト試験は国語の試験だと言われる所以だ。

 でも、どうやって問題文を読めば良いんだろうか?

そこにもコツがあるから、それを教えよう。

  

「上手くいっていないこと」が超重要。

 

問題文を読む時、全文をただダラダラと読むのではダメ。

というのも、問題文の中には、意味がありそうで無い「ノイズ」と、後々「答えそのもの」になる超重要箇所が混ざり合っているからだ。その重要性の違いがわかっていないと、設問を読んでから「えーっとどこかに書いてあったよな・・・」と問題文を探し回ることになり、時間がかかる。

 

逆にいうと、その超重要箇所がどれだかわかってさえいれば、問題文を読む効率はグッと上がるし、後々の設問にも楽勝で対応できる。だって答えが書かれている場所がわかってるんだもの。

 

では、その「答えそのもの」になる超重要箇所とはどこか?

ずばり、「現状で上手くいっていないこと(=課題)」に関する記載だ。

 

そもそも、ITストラテジストの役割は、ビジネスにおける「課題」を発掘、分析して、それをITの力で解決するという「企画力」が求められている。

だから、試験でも「この受験生は、きちんと課題(うまくいっていないこと)を把握できる力があるか?」を確かめているんだな。

 

実際、ITストラテジストの試験問題(午後1本文)は、概ね次のような流れで展開する。

 

1.わたしはこんなビジネスしてます。

2.でも、上手くいっていないことがあります。

3.そこで、ITでこんな解決をしました。

 

ほとんどコレ。 

そして、この問題文を受けて設定される設問において問われる箇所もだいたい決まってい。

3.の解決法に関し、

「どうしてこんな解決法が必要になったのか?」

「これによってどんな課題が解決したのか?」

「これを行ったことのメリットは何か?」

 という『そもそもの課題が、きちんと把握・分析できているかどうか』に関してだ。

 

 だから、それを見越して、最初から『課題は何か』をきっちりと把握しておけば、その後の設問にも即答できるってこと。

 

 

例えば、令和3年度試験の午後1から抜粋すると、次のような文言は「上手くいっていないこと」として注意すべき記載であり、実際に設問でも問われ、回答となった箇所だ。

 

「手続きが煩わしく、顧客から不満が出ている」

「入荷するまで時間がかかり、顧客、店舗とも不満がある」

「すぐに価格設定できず、販売機会を逃している」

※引用:IPA主催 【令和3年度春期 ITストラテジスト試験(ST)】

 

 

このように、問題文の中から設問(および答え)となりそうな箇所は決まっているので、そうした箇所はアンダーラインを引くなどし、とりわけ注意しながら読んでほしい。

裏を返すと、他の箇所、例えば、どんな場所でビジネスをしていて、顧客はどんな人で、これまでどんな実績をあげていて…だのという『舞台設定』みたいな話は(設問になる可能性が無いとは言わないが)相対的にあんまり重要ではないため、読む際にもそこに時間を取られてはいけない。

 

回答時は、問題文の用語をそのまま使うこと。

 

さて、ここまでで「問題文の重要そうな箇所」から、案の定、設問への回答になりそうな部分を発見することができた。

で、回答にあたっては、なるべく「問題文そのものを」書き写すということを推奨する。

裏を返すと、問題文に書いてある用語を使わず、自分の言葉で書くと不正解または減点となる可能性がある。

 

例えば、問題文には「卒業アルバムを作成するビジネス」と書いてあるにもかかわらず、回答時にその部分を抜き出す際には「写真集を作ること」などと書いてしまうとまずい。

令和3年度に出題されたこの設問では、学校にカメラマンを派遣する新規ビジネスについて問われているから、「写真集」では不正解に近いだろう。

もっとも、『問題文から抜き出せ』という指示でなければ、厳密に一字一句同じである必要はないが、どうしても文字数が合わないという事情でもなければ問題文に書かれている用語などはそのまま使用したほうが無難だ。

  

設問文もしっかり読んでね。

 

問題文はしっかり読むんだけど、設問は適当に読んでいる人が多い。

これは気をつけたい。

『何が問われているか』を正確に把握しなければ、そのものズバリの回答を書くことはできないからだ。

 例えば、令和3年度の試験では次のような設問があった。

 

『中学校の保護者へのメリットのうち、写真レコメンド機能が提供するものを答えよ』

 

これは、この問題文で紹介された写真購入システムのうち、写真レコメンド機能に限ったメリットは何かと聞いている。

でも、設問に注意を払わないと、「写真購入システムそのもの」のメリットが聞かれているのだと誤解して、不正確な答えを書いてしまうようになっている(正確には、答えを一つに絞ることができないようになっている。)。

 

問題文を精読することは必要だが、そこで気を抜かず、同じくらいの注意力で設問も読むこと。後から単純な読み違いに気がつくと後悔するものだ。

 

③.論文試験(午後2)

 

これがITストラテジスト試験の最終関門であり、かなり多くの不合格の受験生が「論文が駄目で落ちた」という状況ではないだろうか。

この論文の評価は点数でなく、A~Dまでのランク付けによって行われ、このうち最高評価である「Aランク」以外の論文は全て不合格となる。だから、きちんとした対策が必要なのだが、他方で「論文はどんな対策をすればいいのかわからない」という人がかなり多いのではないだろうか。

 

でも、大丈夫。Aランクの論文を一発で書く方法を教えよう。

 

まず講評を読んでみる。

論文に模範解答はない。だから、自分の論文のどこが駄目だったのか調べる術がない。

このように、適切なフィードバックが受けられないという点が、論文試験の対策を難しくさせている大きな理由だ。

 

だが、試験団体(IPA)のウェブサイトには「お前達の論文見たけど、こういう点がダメだった。」という総評が公表されている。それが「講評」というものだ。

そこでは「こういう論文は落ちますよ」と、採点者の目線での辛口コメントが試験ごとに掲載されている。これを使わない手はない。

 

もっとも、だいたい書いてあることはどの試験でも同じで、

 ・設問の趣旨とは違うことを書いている。

 ・設問で「書け」と言われていることを書いていない。

 ・具体的に書けと言っているのに、全然具体的じゃない。

 

 

など、「あれが書かかれてない」「この記述が足りない」「具体的じゃない」などの「論述不足」だ。

 

指示されたとおりに書く。

 

こうした論述不足の原因は、「問題文・設問をきちんと読んでいない」ことに尽きる。

書こうと思って書けていないというより、そもそも書くべきこととして認識できていない。

言い換えると、知識や技術が不足しているというより、そもそも「指示通りにやっていない」のだ。

 

指示通りにやっていない──これをシステム開発に置き換えると、お客様の仕様や要件を無視したものを勝手に開発しているというわけで、たしかにそれはまずいだろう。

 

こうした論文の採点方法は、自由にすると採点者の主観が入り過ぎてしまうから、加点ポイントは極めてシンプルにしているはずだ。すなわち、「設問の指示通りのことが書かれていれば加点する。」。

裏を返すと、指示されたことが書かれていないってことは、他の択一試験でいえば、解答用紙を空欄で提出するのとまったく同じ行為だ。

 

更に、これを裏返すとつまり・・・「指示通りに書けば」受かる。

この「指示通り書く」ということ、これこそが合格ランクの論文を書く唯一の方法だ。

そして、この対策を行うのに必要なのは、IT知識などではなく、冒頭で述べたように「設問をきちんと読む力」、つまり、注意力だ。

 

だが、それが難しい。

 

わかります。なにせ、こっちは急いでいるんですからね。

論文試験である「午後2」は、120分という時間の中で、与えられた設問を読み解き、自分の知識や経験をもとにした論理的文章を4,000字弱も書かなければならない。

 

文章の構成を練ったり、自分の経験や知識をひっくり返しつつ、それなりに丁寧な文字で書き込んでいくと、この120分という時間はかなり短く感じる。

実際短いから、設問の見落としや、論述不足が多発するのだろう。俺も割とギリギリで書き上げた。

 

このことから、論述の攻略法は、まず、設問の内容をなるべく短い時間で「抜け・漏れ」無く把握しつつ、文章の構成を決めることだ。これを先にやる。

それを決めずに、書きながら考えてしまうから、設問で求められていること抜け落ちるし、文章自体も支離滅裂になるのだ。

 

が、それができりゃ苦労しねえよと皆さん思うだろう。

そこで、良い方法がある。以下に説明する「設問をそのまま論文の目次にする手法」だ。

 

 

設問を論文の目次にする手法。

 

この方法だと、設問で求められていることに「抜け・漏れ」が発生しないうえ、文章構成も手軽に決まってしまう。

あとは内容を書くだけという状態を速やかに作り出すことができるのだ。

 

やり方はとってもかんたん。

 

具体的に、実際にあった設問で説明しよう。

ここでは令和3年度に実施されたITストラテジスト試験の「午後2試験 問2」から抜粋する。

 

設問ア:あなたが携わった個別システム化構想の策定において、背景となった事業目標、事業戦略に掲げられている変革の概要、関係するステークホルダについて、業務特性とともに800字で述べよ。

 

一見して、設問が入り組んでいて、何と何を書けばいいのか分かりづらい文章になっている。 

このため、「書きながら考える」タイプの書き方をしていると、たいてい最後の「業務特性」なんかが抜け落ちるんだな。そして採点講評には「単なる事業内容の紹介に終始しており、その事業が持つ特色である【業務特性】について触れられていない論文が目立った」などと書かれるのだ。

 

こうした「抜け・漏れ」を防ぐには、書き始める【前に】、設問そのものを分解して、論文の目次とする方法が良い。

 

具体的には、上記の設問を見たら、メモ欄に、次のような「論文の目次」を書くことから始める。

 

【私が携わった個別システム化構想の策定について】

1-1.システム化の背景となった事業目標について

1-2.事業戦略に掲げられている変革の概要について

1-3.関係するステークホルダについて

1-4.業務の特性について

 

これは、設問の内容をまるごと移植してきた、論文の目次構成だ。

要するに、設問に沿って、先に論文の章立てを決めてしまう。 

 

「設問をまるごと」論文の構成にするというのがポイントで、こうすることで「設問で求められていることが抜け落ちない」かつ「構成がすぐ決まる」。

これぞ一石二鳥だ。

 

また、このように整理することで、論文で記載されていない事も書かないで済む。

例えば、「何をどうシステム化したか」という基本的な話は、この段階ではまだ求められておらず、設問イでようやく指示があるのだが、アの時点で書いてしまうと、後で書くことが無くなってしまう状態に陥り、論文全体の構成を見直すハメになる。

 

このように、「何が問われているのか」をきちんと整理することは、論文作成のうえで必須なので、ぜひ身につけてほしい。

 

同年の出題から、例示を続けよう。

 

設問イ:設問アで述べたステークホルダについて、個別システム化構想案に対してどのような意見の相違があり、あなたはどのように意見を調整したか。個別システム化構想案の概要と意見の調整で工夫したこととともに、800字以上1,600字以内で具体的に述べよ。

 

この設問でも、論文作成者に対して求められていることが入り組んでおり、急いでいると何らかの要件が抜け落ちてしまう恐れが高い。

でも、設問をそのまま論文の目次にすれば大丈夫。具体的には次のようなメモを作る。

 

 (アの論文の続きとして章立てする)

2-1 システム化構想案の概要について

2-2 ステークホルダとの意見の相違について

2-3 意見の相違の調整に関し、私が工夫したことについて。

 

このように章立てすれば、設問をきちんと整理できるとともに、章立てもすっきり決まるんだな。

また、設問で要求されている事項ごとに目次を作ることで、要点が小分けになるから、記載内容も(何も意識していなくても)具体的になりやすいというのもこの手法のメリットだ。

 

 

ついでだから最後の設問も見てみよう。

これは、実際に自分ならばどのような目次とするか考えてみてほしい。

 

設問ウ:設問イで述べた意見の調整結果を反映した個別システム化構想について、経営層からどのような評価を受けたか。評価を受けてあなたが改善したこととともに、600字以上1,200字以内で具体的に述べよ。

 

どうでしょう? 目次のイメージが湧くだろうか・

あくまで俺の場合だが、次のように目次を作るだろう。

 

3-1 調整結果を反映した個別システム化構想について

3-2 経営陣の評価について

3-3 評価を受けて、私が改善したことについて

 

「どんな評価を受けたか」書くにあたり、まず、前の章まで書いた意見調整の結果、最終的にどのようなシステム化構想となったのか書いたほうが、次の項目に論理的につながるから、一応書いたほうが良い。

この程度であれば「趣旨と違ったことを書いた」ことにはならないだろう。

 

 

試験勉強では、目次を作る練習をする。

 

以上が「設問を論文の目次にする手法」の全てだ。実際に見てみると簡単でしょ?

なにせ、目次にすべきことは全部設問に書いてあるのだから、それをほぼコピペするだけで良い。

 

でも、試験会場で初体験はさすがにまずいから、このように目次を作成する練習はしておくこと。

ついでに余裕があれば、その目次の内容として「だいたいどんなことを書くか」という下書きを作る練習もすると良い。

例えば、今回の問題を使用すると次のとおり書ける。

 

1-1.システム化の背景となった事業目標について

今回、弊社がシステム化をする背景となった事業目標は、・・・を、・・・するというものである。これは、具体的には・・・を・・・することであり、弊社全体にとっても大きなプロジェクトのひとつとなっている。

 

1-2.事業戦略に掲げられている変革の概要について

上記の目標達成のための事業戦略として、現在の事業のプロセスを一部変革する必要があると判断された。変革の概要としては、現在、手動で行っている・・・を、個別システム化することにより、業務コストを削減することである。これにより・・・・が、・・・となり、より効率的に事業目標が達成されるものと考えられた。

 

1-3.関係するステークホルダについて

個別システム化するにあたってのステークホルダについては、弊社内で・・・といった事業部のほか、ユーザーとしては・・・といった者が該当した。

 

1-4.業務の特性について

今回の業務の特性については、他の業務とは・・・という点について特色があり、システム化をする上で配慮が必要な事項であった。

 

 この下書きまで完成したら、次に、IPAが公表している「講評」を読む。

そこでは「業務特性についての記載が無かったり、具体性が乏しい論文があった」とか書いてあるから、自分の下書きではその点についてフォローできているかどうかをチェックする。

これが論文の練習法の全てだ。

 

内容の書き出しのルールも決める。

 

各目次における本文の書き方についてもポイントがある。

例えば「業務の特性について」という目次であれば、その内容の書き出しも「業務の特性については、」とすることを推奨する。

このように書き始めることで、目次はきっちり設問に沿っているものの、肝心の本文が全く関係ないことを書いてしまっている(ありがちな)ことが避けられるのだ。

 

本文の1行目には、目次に書いたことそのものズバリを書く。

2行目からは、その補足を具体的に書く。

これは「パラグラフ・ライティング」という技術そのもので、文章を書く社会人ならば身につけておくべきスキルだともされている(俺はしばしばこのブログでそれが出来ていないが・・・。)。

信じられないようだが、恐らくかなり多くの不合格論文が、「最初はそのテーマについて書こうと思っていたけど、気がついたら全然違う話になっていた」とか、その手の類ではないかと推察している。それを防止するファイアーウォールとして、「書き出し」を定式化してしまうことをおすすめする。

  

書く内容に困ったら問題文を読む。

 

目次は作ったものの、まだ学生などで、経験が乏しく、肝心の本文が全く想像できないとしよう。

実は全然大丈夫。

そういう場合のため、問題文の本文に、「思いつかなかったらこういうことを書けばいいよ。例えばね・・・」と書いてある。これは本当にそう書いてある。

 

例えば、令和3年度のITストラテジスト試験では、システムのステークホルダとの意見調整についてどのように工夫したかが、設問の大きなテーマとなっている。

この点、例えば目次として設定した、

 

2-2 ステークホルダとの意見の相違について

2-3 意見の相違の調整に関し、私が工夫したことについて。

 

などは、経験がなければなかなか書きづらかったのではないだろうか。

「うーん、今まで誰かと誰かの調整したことなんかないぞ」と。

 

そのように困ったら、問題文を読む。

すると、「調整の例」として、次のように書いてあるではないか。

 

例えば、次のような調整をすることがある。

人的リソース不足に懸念を示すIT子会社に対しては、開発スケジュールを事業部門、IT子会社部門とともに見直して、IT子会社の負荷調整を図る。

 

 これ、そっくり自分の経験としてパクって、「IT子会社を調整しました!」と書いていい。事実、俺はこれに近いことをやって、今回の試験に合格した。

 

このように、経験が少ない人が「詰まないように」試験側が「こんなこと書けば良いんですよ~」と教えてくれてるんだな。こんな親切なことってありますか??

 なので、未経験者でも恐れることはない。妄想を膨らませればなんだってできる。

 

なんでこんな方式になっているのか?

それは、ITストラテジスト試験が、「これまでの凄い体験」の順番に評価をするのではなくて、あくまで「自分ならこうする」という論理的思考力や、企画力、問題認識力を計測しているからだ。

だから、問題文にある「例」をそのまま使った妄想でも、全く問題なし。これなら事実上「書けない論文はない」。

 

ただし、 三好 康之氏の「情報処理教科書 プロジェクトマネージャ」という本によると、「私は全く経験がありませんが、もし私が当事者になったらと仮定して論述します」と書いたところ、不合格になったそうだ。

問題文の例をそのまま使うのも良いが、あくまで自分の体験として語ることが重要だろう。

 

システムのレベルは「そこそこ」でいい。

 

以上により、設問の要求どおりに目次を設定したうえ、どんな内容を書くかも決まった。

さて、その内容で紹介する「自分が考えた最強のシステム」は、ろくでもないもので構わない。ろくでもないものっていうか、「今更そんなものをシステム化するの?というか、まだシステム化してなかったの?」と思われるような低レベルのものでも問題ない。

事実、俺が今回の試験で書いた「システム化」も、これまで手作業でデータを持ち込んでいたことを、ウェブからアップロードできるようにしました、とかそんなモノだ(しかもでっち上げた話。)。

 

それでも全く問題無い。なぜか?

それは、先程も述べたように、ITストラテジストに求められるのはシステム化したもののレベルそのものではなく、そこに至るまでの企画・調整力だからだ。

 

どのように課題を把握し、企画し、調整してシステム化にこぎつけたか・・・システムそれ自体よりも、それ以前のことがしっかりと論述されていれば、きちんと評価されるから安心してほしい。

 

むしろ、それなりにまとまりのある、手頃なサイズ感の、シンプルなシステム化計画をネタとして持っておくほうがいい。そうでないと、「システム化の概要」だとか「システムの全体」だとかの論述に、やたら時間を食うからだ。

 

役に立つ参考書

 

TACの「オールインワン」を推奨する。

 

 

午前2~午後2まで、必要な知識+試験テクニックがまとめられており、この1冊で必要十分。

この作りであれば、他の論文系試験でも同シリーズで攻略できるだろう。

 

 

今後の予定。

 

秋にプロジェクトマネージャを受ける予定。

 

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 」見たよ。その感想。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」見てきたので、今日はその感想を書く。

 

  

□感想

 

以下、ネタバレ含みます。

 

文句なく、今までのエヴァ・シリーズ」作品の中で最高傑作。

 

個人的に「名作」だと思うものって、「悲劇」とか「喜劇」とか一色に染まっていないで、シリアスな中にポツポツと笑える箇所があったり、喜ばしい場面の中でちょっとした不安が織り込まれていたりするものなんだけれど、このエヴァは本当にそんな感じで、「よくできた」作品だと思う(「Q」は悲劇一辺倒だったんだけど・・・。)。

最初から最後まで全部のシーンに喜怒哀楽が織り混ざっていて面白く、バトルシーンも(もちろん)凄いというか「よくコレ作ったな~」と感心してしまう出来栄え。*1

特に、冒頭のパリでのバトルシーンだけでも、もう一度映画館に見に行く価値がある。

 

ストーリー的にも、全日本人を「???」の闇に突き落とした「Q」の反省からか、割と登場人物がセリフで説明してくれる親切設計。庵野監督のサービス精神が色々なところで見られるのでご安心を。

 

20年以上前からのエヴァ世代も、新劇場版から見始めた若者たちもみんなが満足できる最高品質の作品であり、なるべく大きなスクリーンでやっているうちに見に行ってください。

 

 □特に気になったところ(完全ネタバレ)

 

とくに印象に残った箇所、モヤモヤした箇所など、自分なりの考察を交えて書きます。

 

 

 

・無かったことにしていなかった。

この「:||」の感想を一言で表そうとすれば、「無かったことにしていなかった」になる。

 

もっとも、この感想はもともとツイッターのフォロワーの言っていたものなのだが、この作品を見るまで俺はそれを(割と悪評が目立った)「Q」のことだと思っていたのね。

「Q」を黒歴史にはしていませんよという意味。

 

ところが、「:||」を見て感じたのは、「Q」だけではない、1997年に公開された旧劇場版、その前のテレビシリーズから全部まとめて「無かったことにしていなかった」というもの。

 

当時、「Q」も「旧劇場版」も、庵野監督が「若干やりすぎた」おかげで、「エヴァってなんかよくわからん」という感想を世界中に撒いたまま、完結したのかしてないのか分からないまま、宙ぶらりんになっていた(少なくとも俺の中では)。

それを無かったことにせず、【その続きとして】旧劇場版を含めて、新劇場版できちんと終わらせにきたんだな、ということが良くわかったし、俺としてはそれが嬉しかった。

まるで、膝を抱えて蹲っているシンジ(旧劇場版)を迎えに来たアスカ(「:||」)のようだ。

 

これに関しては、「:||」の作中でも、トウジが「自分がやったことは、自分でケジメをつけなあかんのや」的なことを言っていたが、これは庵野監督からの、庵野監督自身についてのメッセージそのものに思えたんだよね。

「旧劇場版」などでぶちまけたままになっていたおもちゃを、きちんと箱の中に戻して「きれいな作品」として収めてケジメをつけました。

まるで「補完計画」のように、どんどんと1つの完璧な存在に収束していくエヴァンゲリオンの世界を見ながら、みんなそんな印象を受けたんじゃないかな。

 

ただし、この点、「旧劇場版」を完全にクローズしたひとつの作品として捉えていた人には、「今からちゃぶ台返ししないでくれ」と感じられたかもしれない。寝た子を起こすようにも感じた人もいたかもしれない。

でも俺としては、過去から続くシリーズに「納得感」を与えてくれた良いシナリオだと思う。

 

というわけで、新劇場版シリーズは全く新しいものを作ったのではなくて、過去からの全てのエヴァンゲリオンの世界をまとめて、昇華する、そんな位置づけの作品だったのだ。

キャッチコピーの「さらば、全てのエヴァンゲリオン」というのはまさにその意味なんだ。

 

 

・「Beautiful World」の歌詞の意味

 

新劇場版のテーマソング的な位置づけとなっている、宇多田ヒカルの「Beautiful World」について、今まで、シンジくんの内面を表した歌だと思っていたのね。

シンジの、綾波か、あるいはアスカなどに対する、弱くて寂しい歌だと思っていた。

 

でも、「:||」を見た後、スタッフロールで流れるコレを聞きながらハッと気がついた。

これって、ゲンドウの、ユイに対する気持ちを歌っているんだ。

ユイを失った後のゲンドウの気持ちでこの歌詞を読むと、本当に全てが腑に落ちるんだよね。

 

【もしも願い一つだけ叶うなら 君の側で眠らせて どんな場所でもいいよ】

【言いたいことなんか無い。ただもう一度会いたい。 言いたいこと言えない。根性なしかもしれない。それでいいけど】

 

こうした「Beautiful World」の詞は、「プロジェクト・エヴァンゲリオン」という、ゲンドウによる、「死んだユイに会う」というたったひとつの、しかし気が遠くなるような途方も無い計画を進めている時の気持ちなんだなあと、今更ながら思う。

 

もっとも、このことは「旧劇場版」を見ても何となく分かりそうなもんだけど、「:||」では重要な点として、「旧劇場版」ではそれほど描かれなかったゲンドウの心の弱さ、執着、ユイへの想いが丁寧に書かれていて、そのことがしっかり分かるようになっている。

「:||」はそういう意味で「親切な」映画だったように感じる。

 

 

・カヲルの正体

 

これまでカヲルについては「なんかよく分からんけど、一人だけ世界の全てを知っている使徒」「石田彰」「なんでこいつだけメタな発言するの?」「石田彰」って感じで、「Q」でも良く分からなかったのが、今作では、これもゲンドウの自分語りやラストシーン、あるいは配布された小冊子などで、何となく存在がわかるようになっていた。

 

その存在こそ、ゲンドウに残された、シンジに対してこういう父親でありたかったという気持ちが使徒となったものだと思う魔人ブウでいう「太った方」みたいな存在だな。

 

「Q」におけるカヲルは、シンジに対して、恋人以上かってくらい面倒見がよくて、どこまでも甘くて、一緒に好きなピアノを引き、困難に付き添い、責任を引き受け、そして先に死ぬ。

ゲンドウの中に、「父として、こうありたかった」という気持ちが僅かに、でも力強く残っていたからこそ、カヲルだけは何度でも新たに生まれ直し、シンジをエヴァのいらない新世紀に導く役目を与えられていたんじゃないか。

 

そして、役目を終えたカヲル(=ゲンドウ)は、平和な世界で、ずっと会いたかったレイ(=ユイ)と一緒に過ごす・・・ゲンドウの「本当の望み」がこれだ。

いろいろ物議を醸したこの映画のラストシーンは、その意味でゲンドウにとってもハッピーエンドだった。俺はそのように解釈した。

 

 

・アスカかわいそう。

 

上記の通り、「:||」で綺麗にまとまったエヴァンゲリオンだけど、アスカだけは、この映画を通じても割と可哀想な扱いで、アスカ推しの俺としては、ラストシーンでの扱い(というか「不扱い?」も含め、結構モヤモヤした。

 

文句なしの天才である庵野監督とは違う、俺のような凡人がこの映画のラストシーンに意見を挟むとするならば、最後、駅のホームに迎えに来るのは大人になったアスカだよな~~~~。

 

そもそも、アスカはエヴァ登場人物の中でも最もシンジのことを理解して、心配して、そして愛していた人だと思う。

「Q」では、みんなから無視され、悪魔のような扱いをされているシンジを、一発ぶん殴る(ガラス越しに)だけで「スッキリした!」と言い、あとは(たとえ表面上敵対していても)ずっとシンジを気遣っている、最高の理解者。

冷たく突き放しているようで、誰よりも心配して、絶対に見放さないんだよな。

 

だから彼女は、自分の好みでなければいつでも去ってしまう「恋人」というより、永遠の愛を象徴する「母」みたいな存在に近い。もともと、「母」という役割は「ミサト」に与えられていると思っていたけど、「Q」での態度はあまりに冷たすぎたし、やっぱり母はアスカなんだと「:||」でも再認識。

 

ここまで書いて、うーん、そうか、アスカは「母」だから、エヴァから離れ、大人になったシンジくんから「子離れ」したということで、ラストにはいなかったんだろうか?

そういう解釈もあるか・・・。

 

でも何で、あそこでマリなの? 呪いが解け、これからを生きていく人の前に現れたのがゲンドウとかユイとかと同じ「昔の人」じゃん! この辺りの解釈を教えて下さい。*2

 

せめて、最後に迎えに来なくてもいいから、少なくとも、アスカがその後どなったのかってのは明示的に表して、俺たちを安心させてほしかった。*3

アスカはずっとずっと不遇で、「:||」でも一人で頑張る可哀想な子なんだよな。

あと、やたら下着姿や裸のシーン多かったけど、あれ要ります? ケンケンの前ではちゃんと服を着ていてほしかった。 

 

・「新世紀」で、トウジとか委員長ってどうなったの??

 

「:||」では、ニア・サードインパクト後も懸命に生き抜くトウジや委員長、ケンスケたちの姿が描かれている。暖かく前向きな彼らの存在が、レイに人格を与え、そのことがシンジを勇気づける役割を果たしている。

 

で、物語の最後で、シンジはエヴァのいない「新世紀」を作るんだけれども、もともとエヴァのいた世界のトウジとか委員長ってどうなったの?

 

シンジとかマリとかは、エヴァに乗ってどこへでも行けるからいいんだろうけれど、あの人たちは、いったん補完され、神・シンジの手によりそれが中止され、引き続き「あの世界」で生きているんだろうか。

 

または、神・シンジにより創造された、エヴァのいない新世紀に生まれ変わったのだろうか。だとしたら、やっぱトウジと委員長(あとスズメ)がいた世界って無くなっちゃったってことだよなあ。それはそれで可哀想。彼らはあんな世界でも前向きに生きていたのに。

 

パラレルワールドの作品ってこういうところが良く分からんよなあ。

 

ちなみに、6月12日に公開された「:|| +1.01」で、先着100万名限定で配布された冊子には、3歳になった娘のスズメ*4のイラストがある。とりあえず、どこかの宇宙で生きてるのかな・・・。

 

・親子がきちんと向き合ってスカっとした。

 

エヴァは要するに「親子の物語」である。

親子の物語なんだけれど、これまでの作品では(テレビシリーズも旧劇場版も)、その親子の絡みや、ぶつかり合いはほとんど無かったんだよね。

そのことが、ゲンドウの意図(自分独自の補完計画)を視聴者にわかりづらくさせていたんだと思う。旧劇場版は、ゲンドウにとってのシンジの存在、つまり、「子離れができない自分の弱さ」をあまり見せなかったから、彼のやりたかった事そのものが不透明に感じられた。

 

それが「:||」では、本当にこれ以上ないってくらい、あの親子が外面・内面ともにぶつかりあって、大激突する!

これまで積もりに積もったモヤモヤを一気に、十分に晴らしてくれるんだな。

 

そして、この親子を最終的に「補完」するのは、親子間の暴力でなく、内面をさらけ出した上での話し合いだった。「俺はこう思っていたんだよお!!」 と。

そうして曝け出されたゲンドウの弱さや、息子への想い。

それをゲンドウ自身が理解することで、ゲンドウは、わざわざ補完計画をせずとも、目の前の息子の中にユイがいるのだと気がつく。

「そこにいたのか、ユイ」というのはそのこと。そうして親を受け継ぐのが「子」というものだもの。

 

そしてもちろん、こういう展開に持ち込むためには、シンジ自体の成長も必要なのだ。自立し、親を受け入れ、それを乗り越えていく。

その精神成長の過程は、155分間をもってしてもなお短く感じられたけれど(レイの成長と消滅を目の当たりにすることで、急激に悟りを開いたのだろう)、物語中盤からのシンジのたくましい姿があったこそ、ゲンドウと互角に戦い、最終的に彼を解放できたのだ。

アスカの「なんで私が殴ったかわかる?」という質問にきちんと答えるシンジの姿なんて、これまでの彼からは考えられないくらいきちっとしていて、本当にかっこよかった。

「なんで私が怒ってるかわかる?」的な質問に、ピッタリ満足いく答えを言える(言おうとする)人少ないでしょ!?

 

こうして、ゲンドウはシンジによってきちんと補完され、子離れし、綺麗に旅立っていった。「カヲル」の項でも言ったけれど、ラストシーンは、そうしてきちんと子離れした親同士(カヲル・レイ)が、二人だけで悠々自適の「老後」を楽しんでいるように見える。

 

この親子の、遅々として進まない関係を、派手なぶん殴りあいから、内面の吐露まで、「:||」ではよくぞここまで向き合わせてくれたと思う! この作品で最もスカっとしたポイントもこれ。

 

というかこれ、「範馬刃牙」のラスト、「エア夜食」だよね!?*5

 

 

○まとめ

 

最初にも言ったけど、エヴァの中では最高傑作であるのは間違いない。

 

ただし、この感想のほとんどが「旧劇場版ではこうだったけど、新劇場版ではその謎がとけた! 感動した!」という趣旨のものであるとおり、ある程度予習が必要だと思う。

もっとも、テレビシリーズや旧劇場版から予習するというのは大変だから(Netflixなら全部あるよ!)、新劇場版から見直せば良い。

 

これだけ日本のアニメ歴史の革命として名を残した作品の最後であり、そこまでやる価値はあると思う。

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*1:とはいえ、ミサトの家とか、舞台セットで戦っていたのは「やりすぎ」だと感じて少し白けたど・・・。あそこは正攻法の取っ組み合いで良かった。

*2:もっとも、真の「母親」役は「マリ」であり、ラストシーンも別に恋愛関係ではない、という解釈もあるようだ。俺も初見ではあの二人は「恋愛」ではないと思ったんだよね。過去にアスカが「ガキシンジには恋人なんかより必要なのは母親ね」と言っていたのとも整合的。でも、そういう「寂しく、頼りなく、エヴァを必要とした世界」ではなくなった新世紀において、なお「母親」が必要だとは思えないんだよな。だから、やっぱり「恋人」が現れたのだと考えるのがしっくり来るのだけど、そこで来たのが「昔の人」だから、なんだかな~と思っている次第。あと、あの二人は山口県の駅から降りてどこに向かったんだ?? 庵野監督の実家か?

*3:ラストシーンの駅のホームにいるらしい。いた!?!?!?!?!??

*4:ツイッターのフォロワー情報によると、正しくは「ツバメだよ・・・」とのこと。同じ鳥類だからといって間違えた。俺がいかにいい加減に映画を見ているかわかるだろう。

*5:刃牙」という作品も、壮絶な親子喧嘩を描いているという点ではエヴァと似ている。

「地上最強の生物」である父親を倒すために子供が強くなっていくんだが、最後は、ぶん殴りあいで決着するのではなく、父が「父親らしく」ご飯を作ってみせたものを、子が「味噌汁がしょっぱい」といってちゃぶ台返し。このワガママをもって、父親は子供を認めたのであった。「お前が地上最強を名乗れ」と。うーん、なんだか自分で書いていてあんまり「:||」と似てない気もしてきたので注釈に追いやるが、この5~6行を無駄にしないためにも、エヴァ刃牙と同じく、親が子を真に理解し、その親を子が乗り越えていく物語なんだと言って、この項を無理やりまとめたい。

「給料下げます。でも、もっと働け」

例えば、次のような求人を目にした時、皆さんどう思うだろか。

 

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業務内容:法律相談

               ※有資格者(弁護士資格)歓迎

試用期間:なし

               ※即戦力となる人材を募集しています。

賃金:月給18万円~20万円

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この例は俺が作った適当なものだが、ひと目見て、「弁護士資格もった即戦力が、月給18万円で来るわけねーーーーーーーーーーだろ!!」とわかる。

が、実際、世の中にはこんなバカバカしい求人がよくあり、たびたびネットで炎上している。

 

 

「そんな凄い人材に来てほしかったら、もっと給料を出せ」という意見は、まったく当然のことだし、読者の共感も得られるのではないかと思う。

 

これをちょっと法則的に言えば、【応募してくる人材の質は、給料の額に比例する】

 

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給料を上げれば良い人材が来るだろうし、逆に給料を下げれば、良い人材は他のもっと良い給料の仕事を選ぶだろうから、ろくでもない人材しか応募してこなくなるだろう。

 

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ところが、これが「国会議員」の話になると、みんなして全く正反対の話を始めるから不思議なものだ。

 

つまり今の国会議員に関しては、

・国会議員の質を上げるべき。

 と思うだろう。俺も思う。

 

他方で、 

・今の国会議員は給料もらいすぎ。もっと給料を下げろ

 という主張はどうだろう。

こちらも「そうだそうだ」と思うのではないだろうか。

 

 

これは何故だろか? 

冒頭でみなさんに同意いただいた、「良い人材に来てほしかったら、もっと給料を出せ」という理屈は、国会議員は対象外なのだろうか。

 

でも、「国会議員」だって、給料をもらって、何かの目的のために働くという点でいえば、世の中にある仕事のひとつに過ぎない。 

従って

【応募してくる人材は、給料に比例する。】

という法則は、国会議員が相手でも、確実に適用されるのだ。

 

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ここまでの話をまとめると、「国会議員の給料を下げると、更に国会議員の質が下がる」ことにつながる。

 

そして、国会議員の質が下がると、世間の人は更に給料を下げろと言うのだろう。

すると、また国会議員の質が下がる。

これを繰り返していった先(均衡点)は、「給料0円」、「国会議員の質は世界最低」という国で、それを望むならば、国会議員の給料をもっともっと下げろと主張すれば良いと思う。

 

それは極端だとしても、少なくとも言えることは、すでに繰り返しているとおり。

応募してくる人材の質は、給料に比例する。

言い換えれば、給料を下げつつ人材の質を上げることは、他の条件が一定ならば不可能だ。

 

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冒頭の適当な求人広告のように、

「有資格者歓迎、ただし安月給」

みたいな条件で応募してくる人なんかいないだろと思うのと同じように、そんな悪い条件で国会議員なんかやってくれる人は、次第に減ってくる。

 

とりわけ、一般の会社では数千万円で雇用される優秀な人なんか、特にやりたがらないだろう。

 

裏を返すと、一流企業の役員なんかよりも、ずっと魅力的なくらいの給料を国会議員に対して支払ったら、きっと優秀な人材が国会議員になってくれると思う。

 

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とはいえ、こうした主張には必ず、

「そんな金儲け目的の議員ばっかり増やしてどうするんだ」

という反論がされそうだが、そういう人は、同時に、

「国会議員はお金のためにやるんじゃない。この国をもっと良くしたいという気持ちが大事なんだ」

みたいなことを言うのだと考えられる。

 

それは理想論として分からなくもないが、それは実際のところ、ブラック企業の経営者と全く同じ「やりがい搾取」的な発想だと思う。そんな気持ちは、悪劣な労働条件の元で、確実にしぼんでいき、いつしか「いかに楽をしながら続けていくか」が主眼になっていく。

 

だが、国会議員として良い仕事をするとうことが、多額の「給料」によってモチベーション付けられていたとしたら、その議員は引き続き良い給料をもらうためにも、国会議員として良い仕事をするだろう。

 

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国会議員に多額の給料を支払うことのメリットは他にもまだあって、汚職や、贈収賄などの事件が減る。

次のケースを考えてみよう。

 

A:今すぐ1億円もらえるが、バレれば確実に逮捕され、国会議員を辞めることになる。

B:国会議員として引き続き仕事をして、年間4,000万円のお給料をもらう。

 

この時、Bの金額(つまり、給料)が高ければ高いほど、その人はまっとうに国会議員を続けていくほうが得になるから、汚職などに手を染めること無く、国民のために真面目に働くものと考えられる。

経済学的に考えると、「給料の低さは、犯罪行為を魅力的にする」。

 

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Yahoo掲示板を見ていると、公務員については、

 

・どうやら彼らはそんなに高収入ではないようだ。

 

と気が付き始め、それと同時に

 

・公務員の質をよくするためには、労働環境や、給料をよくしないといけない(じゃないと、優秀な人材が集まらない)

 

と言う人が増えたように思う。

これは、公務員というのが彼ら(Yahoo掲示板の連中)のような労働者としての立場に近いから、

「給料下がれば質も下がる」の法則を想像しやすいからだと思われる。

 

でも、それが「国会議員」の質の話になると、途端に「仕事しろ。給料下げろ」という主張になってしまうから、不思議なものだ。

 

国会議員というのが、なんだか僕らとは全く違うモチベーションで仕事をしているスーパーマンのように感じられるのかもしれないが、彼らも労働者であることは全く変わりがなく、労働者を動機づける大きな要素が「給料」であることも同じだ。

 

もっとも、俺だって立憲○主党みたいなロクでなしどもの給料なんか、今の仕事の実績からするともっと低くても良いと思うけれど、それでも、彼らにもっとマトモな仕事をさせるためには、給料を上げるという発想をすべきなのだ。

 

 

○【成功報酬】はやめたほうがいい。

 

 

別に国会議員の給料は高くたって構わない、ただし、「成功報酬」にしたらどうかという意見も、たまに見かける。

 

つまり、前回の選挙から、今回の選挙までの間で、その人が国民のためにどれだけ貢献したかで給料を決めるという考え方だ。

 

これはハッキリ言ってやめたほうがいい。

 

理由は3つある。

 

○1つは、議員の仕事ぶりの評価は、思想によって変わること。

 

これは次の質問をすればすぐわかる。

安倍晋三の給料はいくらが適当だと思いますか?」

俺は年間1億円くらいくれてやっていいと思う。

でも、きっと皆さんは違いますよね。「0円でいい」という人さえいると思う。

これだけでも明らかなように、自分の主義や、信条などから、国会議員への評価は全く違ったものになる。

これをどのように調整して、一人の人間の給料を決めればいいのか全く分からない。

 

○2つめは、目先の仕事しかしなくなること。

 

次の選挙までに給料が決まるなら、すなわち、次の選挙までに結果が出るような目先の仕事しかしなくなる。

すぐ結果の出る仕事といえば、例えば地元に「ビンゴの殿堂」や「巨大イカのオブジェ」を作ったり、そんな(だいたいろくでもない)仕事だ。

 

でも、世の中はそんな数年で片付く仕事ばかりではないし、国会議員に求められる「質の良い仕事」は、これまで長い間複雑に絡み合った問題を解きほぐし、じっくりと制度設計して、これを解決することだ。

そして、その素晴らしい効果が現れるのは、今から10年後かもしれない。だが、その10年後に議員でなければ、その人は給料を受け取ることができないのだ。

だから、誰もそんな素晴らしい仕事なんかしないだろう。

 

 

○3つめは、国民が嫌がる(でも必要な)仕事をしなくなること。

 

増税、イヤだよな。

というか、増税が好きだって人は完全にゼロだと思う(財務省職員を除く)。

ただ、増えていく社会保障費を賄うためには、税金を多く取れるところからは取っていかなきゃいかない。

国会議員の給料を成功報酬にすると、そういう「イヤだけど必要なこと」をする国会議員が全くいなくなってしまう。

だって国民に好かれないと給料が下がるんだもの。

「私はイヤだけど、必要なことだから評価します」なんて高度な評価ができる人間って、多分全世界で1%もいないんじゃないかと思う。すくなくとも俺にはむり。

 

○まとめ

 

人材の質は、給料に比例する。

「国会議員は別」ではないと思う。

 

だから、国会議員の質を上げたければ、まず給料を上げる必要があるんだが、世間の主張を見ると「国会議員の質を上げろ」という一方で「給料を下げろ」と言っているように思えるし、この主張は不合理だ。

 

留意してもらいたいのが、俺は国会議員の給料を上げろと主張しているわけじゃない。

実際、現時点での日本の国会議員の給料は、外国に比べて低くはないようだ。

そうではなく、ここで言いたかったのは、「給料を下げつつ、同時に人材の質を上げるのは難しい」という理屈の話だ。

 

 つまり、あなたが、「もっと働け。でも給料は下げる」と言われたならどう思うだろうかということだ。

俺はもうすっかりやる気を無くしてしまうだろうと思う。

 

国会議員の給料はそういう点も考えなければいけないんじゃないかな。