「シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 」見たよ。その感想。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」見てきたので、今日はその感想を書く。

 

  

□感想

 

以下、ネタバレ含みます。

 

文句なく、今までのエヴァ・シリーズ」作品の中で最高傑作。

 

個人的に「名作」だと思うものって、「悲劇」とか「喜劇」とか一色に染まっていないで、シリアスな中にポツポツと笑える箇所があったり、喜ばしい場面の中でちょっとした不安が織り込まれていたりするものなんだけれど、このエヴァは本当にそんな感じで、「よくできた」作品だと思う(「Q」は悲劇一辺倒だったんだけど・・・。)。

最初から最後まで全部のシーンに喜怒哀楽が織り混ざっていて面白く、バトルシーンも(もちろん)凄いというか「よくコレ作ったな~」と感心してしまう出来栄え。*1

特に、冒頭のパリでのバトルシーンだけでも、もう一度映画館に見に行く価値がある。

 

ストーリー的にも、全日本人を「???」の闇に突き落とした「Q」の反省からか、割と登場人物がセリフで説明してくれる親切設計。庵野監督のサービス精神が色々なところで見られるのでご安心を。

 

20年以上前からのエヴァ世代も、新劇場版から見始めた若者たちもみんなが満足できる最高品質の作品であり、なるべく大きなスクリーンでやっているうちに見に行ってください。

 

 □特に気になったところ(完全ネタバレ)

 

とくに印象に残った箇所、モヤモヤした箇所など、自分なりの考察を交えて書きます。

 

 

 

・無かったことにしていなかった。

この「:||」の感想を一言で表そうとすれば、「無かったことにしていなかった」になる。

 

もっとも、この感想はもともとツイッターのフォロワーの言っていたものなのだが、この作品を見るまで俺はそれを(割と悪評が目立った)「Q」のことだと思っていたのね。

「Q」を黒歴史にはしていませんよという意味。

 

ところが、「:||」を見て感じたのは、「Q」だけではない、1997年に公開された旧劇場版、その前のテレビシリーズから全部まとめて「無かったことにしていなかった」というもの。

 

当時、「Q」も「旧劇場版」も、庵野監督が「若干やりすぎた」おかげで、「エヴァってなんかよくわからん」という感想を世界中に撒いたまま、完結したのかしてないのか分からないまま、宙ぶらりんになっていた(少なくとも俺の中では)。

それを無かったことにせず、【その続きとして】旧劇場版を含めて、新劇場版できちんと終わらせにきたんだな、ということが良くわかったし、俺としてはそれが嬉しかった。

まるで、膝を抱えて蹲っているシンジ(旧劇場版)を迎えに来たアスカ(「:||」)のようだ。

 

これに関しては、「:||」の作中でも、トウジが「自分がやったことは、自分でケジメをつけなあかんのや」的なことを言っていたが、これは庵野監督からの、庵野監督自身についてのメッセージそのものに思えたんだよね。

「旧劇場版」などでぶちまけたままになっていたおもちゃを、きちんと箱の中に戻して「きれいな作品」として収めてケジメをつけました。

まるで「補完計画」のように、どんどんと1つの完璧な存在に収束していくエヴァンゲリオンの世界を見ながら、みんなそんな印象を受けたんじゃないかな。

 

ただし、この点、「旧劇場版」を完全にクローズしたひとつの作品として捉えていた人には、「今からちゃぶ台返ししないでくれ」と感じられたかもしれない。寝た子を起こすようにも感じた人もいたかもしれない。

でも俺としては、過去から続くシリーズに「納得感」を与えてくれた良いシナリオだと思う。

 

というわけで、新劇場版シリーズは全く新しいものを作ったのではなくて、過去からの全てのエヴァンゲリオンの世界をまとめて、昇華する、そんな位置づけの作品だったのだ。

キャッチコピーの「さらば、全てのエヴァンゲリオン」というのはまさにその意味なんだ。

 

 

・「Beautiful World」の歌詞の意味

 

新劇場版のテーマソング的な位置づけとなっている、宇多田ヒカルの「Beautiful World」について、今まで、シンジくんの内面を表した歌だと思っていたのね。

シンジの、綾波か、あるいはアスカなどに対する、弱くて寂しい歌だと思っていた。

 

でも、「:||」を見た後、スタッフロールで流れるコレを聞きながらハッと気がついた。

これって、ゲンドウの、ユイに対する気持ちを歌っているんだ。

ユイを失った後のゲンドウの気持ちでこの歌詞を読むと、本当に全てが腑に落ちるんだよね。

 

【もしも願い一つだけ叶うなら 君の側で眠らせて どんな場所でもいいよ】

【言いたいことなんか無い。ただもう一度会いたい。 言いたいこと言えない。根性なしかもしれない。それでいいけど】

 

こうした「Beautiful World」の詞は、「プロジェクト・エヴァンゲリオン」という、ゲンドウによる、「死んだユイに会う」というたったひとつの、しかし気が遠くなるような途方も無い計画を進めている時の気持ちなんだなあと、今更ながら思う。

 

もっとも、このことは「旧劇場版」を見ても何となく分かりそうなもんだけど、「:||」では重要な点として、「旧劇場版」ではそれほど描かれなかったゲンドウの心の弱さ、執着、ユイへの想いが丁寧に書かれていて、そのことがしっかり分かるようになっている。

「:||」はそういう意味で「親切な」映画だったように感じる。

 

 

・カヲルの正体

 

これまでカヲルについては「なんかよく分からんけど、一人だけ世界の全てを知っている使徒」「石田彰」「なんでこいつだけメタな発言するの?」「石田彰」って感じで、「Q」でも良く分からなかったのが、今作では、これもゲンドウの自分語りやラストシーン、あるいは配布された小冊子などで、何となく存在がわかるようになっていた。

 

その存在こそ、ゲンドウに残された、シンジに対してこういう父親でありたかったという気持ちが使徒となったものだと思う魔人ブウでいう「太った方」みたいな存在だな。

 

「Q」におけるカヲルは、シンジに対して、恋人以上かってくらい面倒見がよくて、どこまでも甘くて、一緒に好きなピアノを引き、困難に付き添い、責任を引き受け、そして先に死ぬ。

ゲンドウの中に、「父として、こうありたかった」という気持ちが僅かに、でも力強く残っていたからこそ、カヲルだけは何度でも新たに生まれ直し、シンジをエヴァのいらない新世紀に導く役目を与えられていたんじゃないか。

 

そして、役目を終えたカヲル(=ゲンドウ)は、平和な世界で、ずっと会いたかったレイ(=ユイ)と一緒に過ごす・・・ゲンドウの「本当の望み」がこれだ。

いろいろ物議を醸したこの映画のラストシーンは、その意味でゲンドウにとってもハッピーエンドだった。俺はそのように解釈した。

 

 

・アスカかわいそう。

 

上記の通り、「:||」で綺麗にまとまったエヴァンゲリオンだけど、アスカだけは、この映画を通じても割と可哀想な扱いで、アスカ推しの俺としては、ラストシーンでの扱い(というか「不扱い?」も含め、結構モヤモヤした。

 

文句なしの天才である庵野監督とは違う、俺のような凡人がこの映画のラストシーンに意見を挟むとするならば、最後、駅のホームに迎えに来るのは大人になったアスカだよな~~~~。

 

そもそも、アスカはエヴァ登場人物の中でも最もシンジのことを理解して、心配して、そして愛していた人だと思う。

「Q」では、みんなから無視され、悪魔のような扱いをされているシンジを、一発ぶん殴る(ガラス越しに)だけで「スッキリした!」と言い、あとは(たとえ表面上敵対していても)ずっとシンジを気遣っている、最高の理解者。

冷たく突き放しているようで、誰よりも心配して、絶対に見放さないんだよな。

 

だから彼女は、自分の好みでなければいつでも去ってしまう「恋人」というより、永遠の愛を象徴する「母」みたいな存在に近い。もともと、「母」という役割は「ミサト」に与えられていると思っていたけど、「Q」での態度はあまりに冷たすぎたし、やっぱり母はアスカなんだと「:||」でも再認識。

 

ここまで書いて、うーん、そうか、アスカは「母」だから、エヴァから離れ、大人になったシンジくんから「子離れ」したということで、ラストにはいなかったんだろうか?

そういう解釈もあるか・・・。

 

でも何で、あそこでマリなの? 呪いが解け、これからを生きていく人の前に現れたのがゲンドウとかユイとかと同じ「昔の人」じゃん! この辺りの解釈を教えて下さい。*2

 

せめて、最後に迎えに来なくてもいいから、少なくとも、アスカがその後どなったのかってのは明示的に表して、俺たちを安心させてほしかった。*3

アスカはずっとずっと不遇で、「:||」でも一人で頑張る可哀想な子なんだよな。

あと、やたら下着姿や裸のシーン多かったけど、あれ要ります? ケンケンの前ではちゃんと服を着ていてほしかった。 

 

・「新世紀」で、トウジとか委員長ってどうなったの??

 

「:||」では、ニア・サードインパクト後も懸命に生き抜くトウジや委員長、ケンスケたちの姿が描かれている。暖かく前向きな彼らの存在が、レイに人格を与え、そのことがシンジを勇気づける役割を果たしている。

 

で、物語の最後で、シンジはエヴァのいない「新世紀」を作るんだけれども、もともとエヴァのいた世界のトウジとか委員長ってどうなったの?

 

シンジとかマリとかは、エヴァに乗ってどこへでも行けるからいいんだろうけれど、あの人たちは、いったん補完され、神・シンジの手によりそれが中止され、引き続き「あの世界」で生きているんだろうか。

 

または、神・シンジにより創造された、エヴァのいない新世紀に生まれ変わったのだろうか。だとしたら、やっぱトウジと委員長(あとスズメ)がいた世界って無くなっちゃったってことだよなあ。それはそれで可哀想。彼らはあんな世界でも前向きに生きていたのに。

 

パラレルワールドの作品ってこういうところが良く分からんよなあ。

 

ちなみに、6月12日に公開された「:|| +1.01」で、先着100万名限定で配布された冊子には、3歳になった娘のスズメ*4のイラストがある。とりあえず、どこかの宇宙で生きてるのかな・・・。

 

・親子がきちんと向き合ってスカっとした。

 

エヴァは要するに「親子の物語」である。

親子の物語なんだけれど、これまでの作品では(テレビシリーズも旧劇場版も)、その親子の絡みや、ぶつかり合いはほとんど無かったんだよね。

そのことが、ゲンドウの意図(自分独自の補完計画)を視聴者にわかりづらくさせていたんだと思う。旧劇場版は、ゲンドウにとってのシンジの存在、つまり、「子離れができない自分の弱さ」をあまり見せなかったから、彼のやりたかった事そのものが不透明に感じられた。

 

それが「:||」では、本当にこれ以上ないってくらい、あの親子が外面・内面ともにぶつかりあって、大激突する!

これまで積もりに積もったモヤモヤを一気に、十分に晴らしてくれるんだな。

 

そして、この親子を最終的に「補完」するのは、親子間の暴力でなく、内面をさらけ出した上での話し合いだった。「俺はこう思っていたんだよお!!」 と。

そうして曝け出されたゲンドウの弱さや、息子への想い。

それをゲンドウ自身が理解することで、ゲンドウは、わざわざ補完計画をせずとも、目の前の息子の中にユイがいるのだと気がつく。

「そこにいたのか、ユイ」というのはそのこと。そうして親を受け継ぐのが「子」というものだもの。

 

そしてもちろん、こういう展開に持ち込むためには、シンジ自体の成長も必要なのだ。自立し、親を受け入れ、それを乗り越えていく。

その精神成長の過程は、155分間をもってしてもなお短く感じられたけれど(レイの成長と消滅を目の当たりにすることで、急激に悟りを開いたのだろう)、物語中盤からのシンジのたくましい姿があったこそ、ゲンドウと互角に戦い、最終的に彼を解放できたのだ。

アスカの「なんで私が殴ったかわかる?」という質問にきちんと答えるシンジの姿なんて、これまでの彼からは考えられないくらいきちっとしていて、本当にかっこよかった。

「なんで私が怒ってるかわかる?」的な質問に、ピッタリ満足いく答えを言える(言おうとする)人少ないでしょ!?

 

こうして、ゲンドウはシンジによってきちんと補完され、子離れし、綺麗に旅立っていった。「カヲル」の項でも言ったけれど、ラストシーンは、そうしてきちんと子離れした親同士(カヲル・レイ)が、二人だけで悠々自適の「老後」を楽しんでいるように見える。

 

この親子の、遅々として進まない関係を、派手なぶん殴りあいから、内面の吐露まで、「:||」ではよくぞここまで向き合わせてくれたと思う! この作品で最もスカっとしたポイントもこれ。

 

というかこれ、「範馬刃牙」のラスト、「エア夜食」だよね!?*5

 

 

○まとめ

 

最初にも言ったけど、エヴァの中では最高傑作であるのは間違いない。

 

ただし、この感想のほとんどが「旧劇場版ではこうだったけど、新劇場版ではその謎がとけた! 感動した!」という趣旨のものであるとおり、ある程度予習が必要だと思う。

もっとも、テレビシリーズや旧劇場版から予習するというのは大変だから(Netflixなら全部あるよ!)、新劇場版から見直せば良い。

 

これだけ日本のアニメ歴史の革命として名を残した作品の最後であり、そこまでやる価値はあると思う。

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*1:とはいえ、ミサトの家とか、舞台セットで戦っていたのは「やりすぎ」だと感じて少し白けたど・・・。あそこは正攻法の取っ組み合いで良かった。

*2:もっとも、真の「母親」役は「マリ」であり、ラストシーンも別に恋愛関係ではない、という解釈もあるようだ。俺も初見ではあの二人は「恋愛」ではないと思ったんだよね。過去にアスカが「ガキシンジには恋人なんかより必要なのは母親ね」と言っていたのとも整合的。でも、そういう「寂しく、頼りなく、エヴァを必要とした世界」ではなくなった新世紀において、なお「母親」が必要だとは思えないんだよな。だから、やっぱり「恋人」が現れたのだと考えるのがしっくり来るのだけど、そこで来たのが「昔の人」だから、なんだかな~と思っている次第。あと、あの二人は山口県の駅から降りてどこに向かったんだ?? 庵野監督の実家か?

*3:ラストシーンの駅のホームにいるらしい。いた!?!?!?!?!??

*4:ツイッターのフォロワー情報によると、正しくは「ツバメだよ・・・」とのこと。同じ鳥類だからといって間違えた。俺がいかにいい加減に映画を見ているかわかるだろう。

*5:刃牙」という作品も、壮絶な親子喧嘩を描いているという点ではエヴァと似ている。

「地上最強の生物」である父親を倒すために子供が強くなっていくんだが、最後は、ぶん殴りあいで決着するのではなく、父が「父親らしく」ご飯を作ってみせたものを、子が「味噌汁がしょっぱい」といってちゃぶ台返し。このワガママをもって、父親は子供を認めたのであった。「お前が地上最強を名乗れ」と。うーん、なんだか自分で書いていてあんまり「:||」と似てない気もしてきたので注釈に追いやるが、この5~6行を無駄にしないためにも、エヴァ刃牙と同じく、親が子を真に理解し、その親を子が乗り越えていく物語なんだと言って、この項を無理やりまとめたい。

「給料下げます。でも、もっと働け」

例えば、次のような求人を目にした時、皆さんどう思うだろか。

 

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業務内容:法律相談

               ※有資格者(弁護士資格)歓迎

試用期間:なし

               ※即戦力となる人材を募集しています。

賃金:月給18万円~20万円

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この例は俺が作った適当なものだが、ひと目見て、「弁護士資格もった即戦力が、月給18万円で来るわけねーーーーーーーーーーだろ!!」とわかる。

が、実際、世の中にはこんなバカバカしい求人がよくあり、たびたびネットで炎上している。

 

 

「そんな凄い人材に来てほしかったら、もっと給料を出せ」という意見は、まったく当然のことだし、読者の共感も得られるのではないかと思う。

 

これをちょっと法則的に言えば、【応募してくる人材の質は、給料の額に比例する】

 

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給料を上げれば良い人材が来るだろうし、逆に給料を下げれば、良い人材は他のもっと良い給料の仕事を選ぶだろうから、ろくでもない人材しか応募してこなくなるだろう。

 

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ところが、これが「国会議員」の話になると、みんなして全く正反対の話を始めるから不思議なものだ。

 

つまり今の国会議員に関しては、

・国会議員の質を上げるべき。

 と思うだろう。俺も思う。

 

他方で、 

・今の国会議員は給料もらいすぎ。もっと給料を下げろ

 という主張はどうだろう。

こちらも「そうだそうだ」と思うのではないだろうか。

 

 

これは何故だろか? 

冒頭でみなさんに同意いただいた、「良い人材に来てほしかったら、もっと給料を出せ」という理屈は、国会議員は対象外なのだろうか。

 

でも、「国会議員」だって、給料をもらって、何かの目的のために働くという点でいえば、世の中にある仕事のひとつに過ぎない。 

従って

【応募してくる人材は、給料に比例する。】

という法則は、国会議員が相手でも、確実に適用されるのだ。

 

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ここまでの話をまとめると、「国会議員の給料を下げると、更に国会議員の質が下がる」ことにつながる。

 

そして、国会議員の質が下がると、世間の人は更に給料を下げろと言うのだろう。

すると、また国会議員の質が下がる。

これを繰り返していった先(均衡点)は、「給料0円」、「国会議員の質は世界最低」という国で、それを望むならば、国会議員の給料をもっともっと下げろと主張すれば良いと思う。

 

それは極端だとしても、少なくとも言えることは、すでに繰り返しているとおり。

応募してくる人材の質は、給料に比例する。

言い換えれば、給料を下げつつ人材の質を上げることは、他の条件が一定ならば不可能だ。

 

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冒頭の適当な求人広告のように、

「有資格者歓迎、ただし安月給」

みたいな条件で応募してくる人なんかいないだろと思うのと同じように、そんな悪い条件で国会議員なんかやってくれる人は、次第に減ってくる。

 

とりわけ、一般の会社では数千万円で雇用される優秀な人なんか、特にやりたがらないだろう。

 

裏を返すと、一流企業の役員なんかよりも、ずっと魅力的なくらいの給料を国会議員に対して支払ったら、きっと優秀な人材が国会議員になってくれると思う。

 

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とはいえ、こうした主張には必ず、

「そんな金儲け目的の議員ばっかり増やしてどうするんだ」

という反論がされそうだが、そういう人は、同時に、

「国会議員はお金のためにやるんじゃない。この国をもっと良くしたいという気持ちが大事なんだ」

みたいなことを言うのだと考えられる。

 

それは理想論として分からなくもないが、それは実際のところ、ブラック企業の経営者と全く同じ「やりがい搾取」的な発想だと思う。そんな気持ちは、悪劣な労働条件の元で、確実にしぼんでいき、いつしか「いかに楽をしながら続けていくか」が主眼になっていく。

 

だが、国会議員として良い仕事をするとうことが、多額の「給料」によってモチベーション付けられていたとしたら、その議員は引き続き良い給料をもらうためにも、国会議員として良い仕事をするだろう。

 

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国会議員に多額の給料を支払うことのメリットは他にもまだあって、汚職や、贈収賄などの事件が減る。

次のケースを考えてみよう。

 

A:今すぐ1億円もらえるが、バレれば確実に逮捕され、国会議員を辞めることになる。

B:国会議員として引き続き仕事をして、年間4,000万円のお給料をもらう。

 

この時、Bの金額(つまり、給料)が高ければ高いほど、その人はまっとうに国会議員を続けていくほうが得になるから、汚職などに手を染めること無く、国民のために真面目に働くものと考えられる。

経済学的に考えると、「給料の低さは、犯罪行為を魅力的にする」。

 

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Yahoo掲示板を見ていると、公務員については、

 

・どうやら彼らはそんなに高収入ではないようだ。

 

と気が付き始め、それと同時に

 

・公務員の質をよくするためには、労働環境や、給料をよくしないといけない(じゃないと、優秀な人材が集まらない)

 

と言う人が増えたように思う。

これは、公務員というのが彼ら(Yahoo掲示板の連中)のような労働者としての立場に近いから、

「給料下がれば質も下がる」の法則を想像しやすいからだと思われる。

 

でも、それが「国会議員」の質の話になると、途端に「仕事しろ。給料下げろ」という主張になってしまうから、不思議なものだ。

 

国会議員というのが、なんだか僕らとは全く違うモチベーションで仕事をしているスーパーマンのように感じられるのかもしれないが、彼らも労働者であることは全く変わりがなく、労働者を動機づける大きな要素が「給料」であることも同じだ。

 

もっとも、俺だって立憲○主党みたいなロクでなしどもの給料なんか、今の仕事の実績からするともっと低くても良いと思うけれど、それでも、彼らにもっとマトモな仕事をさせるためには、給料を上げるという発想をすべきなのだ。

 

 

○【成功報酬】はやめたほうがいい。

 

 

別に国会議員の給料は高くたって構わない、ただし、「成功報酬」にしたらどうかという意見も、たまに見かける。

 

つまり、前回の選挙から、今回の選挙までの間で、その人が国民のためにどれだけ貢献したかで給料を決めるという考え方だ。

 

これはハッキリ言ってやめたほうがいい。

 

理由は3つある。

 

○1つは、議員の仕事ぶりの評価は、思想によって変わること。

 

これは次の質問をすればすぐわかる。

安倍晋三の給料はいくらが適当だと思いますか?」

俺は年間1億円くらいくれてやっていいと思う。

でも、きっと皆さんは違いますよね。「0円でいい」という人さえいると思う。

これだけでも明らかなように、自分の主義や、信条などから、国会議員への評価は全く違ったものになる。

これをどのように調整して、一人の人間の給料を決めればいいのか全く分からない。

 

○2つめは、目先の仕事しかしなくなること。

 

次の選挙までに給料が決まるなら、すなわち、次の選挙までに結果が出るような目先の仕事しかしなくなる。

すぐ結果の出る仕事といえば、例えば地元に「ビンゴの殿堂」や「巨大イカのオブジェ」を作ったり、そんな(だいたいろくでもない)仕事だ。

 

でも、世の中はそんな数年で片付く仕事ばかりではないし、国会議員に求められる「質の良い仕事」は、これまで長い間複雑に絡み合った問題を解きほぐし、じっくりと制度設計して、これを解決することだ。

そして、その素晴らしい効果が現れるのは、今から10年後かもしれない。だが、その10年後に議員でなければ、その人は給料を受け取ることができないのだ。

だから、誰もそんな素晴らしい仕事なんかしないだろう。

 

 

○3つめは、国民が嫌がる(でも必要な)仕事をしなくなること。

 

増税、イヤだよな。

というか、増税が好きだって人は完全にゼロだと思う(財務省職員を除く)。

ただ、増えていく社会保障費を賄うためには、税金を多く取れるところからは取っていかなきゃいかない。

国会議員の給料を成功報酬にすると、そういう「イヤだけど必要なこと」をする国会議員が全くいなくなってしまう。

だって国民に好かれないと給料が下がるんだもの。

「私はイヤだけど、必要なことだから評価します」なんて高度な評価ができる人間って、多分全世界で1%もいないんじゃないかと思う。すくなくとも俺にはむり。

 

○まとめ

 

人材の質は、給料に比例する。

「国会議員は別」ではないと思う。

 

だから、国会議員の質を上げたければ、まず給料を上げる必要があるんだが、世間の主張を見ると「国会議員の質を上げろ」という一方で「給料を下げろ」と言っているように思えるし、この主張は不合理だ。

 

留意してもらいたいのが、俺は国会議員の給料を上げろと主張しているわけじゃない。

実際、現時点での日本の国会議員の給料は、外国に比べて低くはないようだ。

そうではなく、ここで言いたかったのは、「給料を下げつつ、同時に人材の質を上げるのは難しい」という理屈の話だ。

 

 つまり、あなたが、「もっと働け。でも給料は下げる」と言われたならどう思うだろうかということだ。

俺はもうすっかりやる気を無くしてしまうだろうと思う。

 

国会議員の給料はそういう点も考えなければいけないんじゃないかな。

オタ活してみたい

最近ネットフリックスで「推しが武道館に行ったら死んでもいい」みたいなアニメ見ているんだが、おもろい。おもろいけどタイトルはうろ覚えなのが残念だ。*1

で、そのアニメの内容というのが、アイドル(推し)のために人生を捧げるオタクの悲哀を描いたものなんだが、俺もあんなふうに打ち込める人・モノがあればいいのにと思う。

ライブを見て、応援して、CDを買って、握手して数秒話す。オタクどもと自分の推しの話で盛り上がり、そして次のライブを見に行く・・・。超楽しそう・・・。

 

俺は思う。
人生を生きる意味、それは、何かを持つこと、求められることといった静的なものよりもむしろ、熱い目標のためにただ歩くことそれ自体にある。
とまで書いて、冷静に考えると、俺くらいの歳だったらそうして歩いていく熱い目標とやらが仕事だったりするわけだけど、フツーはよ・・・。

 

ヤダ! 俺も推しのためにペンライト振ってコールとかしてみたい!
とはいえ、AKBだの何KBだの、KGB*2だのFRB*3だの、既にライブのチケットも取りづらくなっているようなアイドルグループを追っかけるってのも、なんか違うなあと思う。その他大勢のオタどもの一人に加わってもつまんない。
そうだろオタクども!

 

その点、冒頭で紹介した「推しが~」のアニメで、主人公のオタク(女性)が人生を掛けて推していたのは、自分くらいしか握手会の列に並ばないような(でも可愛い)地下女性アイドルだった。
そんなふうに、「こんなの推してるの自分くらいなんじゃないか」などと思ってしまうくらいのレベルのアイドルを推したい。ギリギリ自分の名前覚えてくれるくらいのさ。


そうだろオタクどもわかるだろ!!!!


俺なんかめっちゃ気持ち悪い話してるか?

 

でも、そんなちょうどいいアイドルってのを探すのがまず面倒くさいんだよな。
オタクどもはどうやって自分の推しと巡り合ったんだ? 
人から「こいつを推せ」と勧められるのもどうかと思うし、ググって出てくるのかもよくわからん。
そんなんだから、俺のアイドル推したい願望はいつも中途半端なところで止まってる。
近所のイオンとかでご当地アイドルのライブみたいなのやっとらんかな。

 

そこで俺は考えた。このように「ちょうどいい感じに人気なさそうなアイドル」は需要がある。
秋元康によると、AKB48のコンセプトは「クラスにそれなりにいそうな感じの身近な子をアイドル化した」のだという。冷静に考えるとひどい女性蔑視だと思う。


で、それの派生的な考えで、「こんな人推してるの俺くらいなんじゃないか」と思うような感じの子をアイドルグループにしたらいいんじゃないだろうか。
握手会会場には、常にオタク一人だけが通される。握手会の列には常に自分以外に誰もいない。
そんな状況でアイドルからかけられる言葉は決まって「よかった、今日誰も来てくれないと思ったから・・・」だ。ファンレターを送ると必ず返事がくる(ただしMS Wordで書かれた定型文だが)。

 

なあこれどう?
どうってか、いつもこういう話をしていると最終的にビジネスチャンス的な話になっているのが良くないと思うが、このブログの読者である秋元康にはその方向で新たなアイドルグループを作ってほしいと思う。
それか、このブログの読者がアイドルやってくれ。推すぞ!

 

*1:最近のアニメのタイトルは年寄りには覚えづらい。

*2:ソ連国家保安委員会

*3:連邦準備制度理事会

国民感情に基づく結婚ってなに? の話。

小室圭が何かっていうとYahooのニュースに取り上げられては、Yahoo掲示板の連中から口汚く攻撃されているようだ。

 Yahoo掲示板の連中が口汚いのは普段通りだが、とりわけ小室圭については、その母親の素性も含めて、ここ数年スキャンダルの対象となっているせいもあり、皇室との結婚に不適正であるとか、税金の使われ方として適当ではないとか、いろいろな攻撃を一身に浴び続けているようだ。

 

俺はそうしたスキャンダルを追っかけるような趣味がないので、彼やその家族の醜聞(?)については知らないが、例え彼がどのような人物であったとしても、皇族の結婚相手として不適正だからやめさせるなんてことは出来ないし、そうした要求もしない。

それはなぜか? 俺が小室圭が個人的に好きだったり、あんなスキャンダルなんて大したことないと思ってたりしているというわけじゃない。日本国憲法にそう書いてあるからだ。

 

日本国憲法21条には「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」すると書いてある。
要するに、男女ふたりが、この人と結婚したいとお互いに思うだけで、親や親戚縁者が何と言おうと、ましてやネットの連中だけが言う「国民感情」がどうだろうと、構わず結婚できる。結婚は憲法により保障された権利のひとつだと言える。

そうした権利を保護することはとても重要で、結婚の成否にいちいち「国民感情」が 関与するような世の中になっては基本的人権に関わる問題だから、俺は小室圭の結婚についてはとやかく言わないし、二人の好きにさせてやれと思っている。

 

そもそも、Yahoo掲示板の連中が二言目には言う「国民感情」って何だろう。何がどうしたら、「国民感情的にOK」だと言えるんだろうか。結婚してよいか、世論調査や選挙でも行えばいいんだろうか。俺にはわからない。

「何がどうなったら良くて、何だったらダメ」なのかがハッキリしていることを、「反証可能性」という。反証可能性の有無が、その理屈が論理的であったり科学的であったりするひとつの大きな指針となるのだが、「国民感情に応える」というのは何がどうなったら応えてることになるのかわからないから、反証可能性が無い。従って理屈になっていない。

そういう意味では、眞子さまの父親が「国民から祝福されるような結婚をしてほしい」的なことを言ったようだけれども、ふんわりとした気持ちとしては分かるが、国民感情の話と同じで、「国民から祝福されるとはどういうことか」という定義が無いから、眞子さまの結婚可否に関する要件にはならない。祝福する国民が1人でもいいの? 100人なら? 1,000万人くらい集めてくればさすがにOK? など。これらの問には答えがないし、OKかNGを判断する人もいない。

 

そもそもYahoo掲示板を見ていると、「自分はなんとなくムカつくし、周りもそう言ってる」くらいなことを、国民感情だとかもっともらしい言葉に置き換えただけなように感じるんだが、実際そうなんだろう。「あいつムカつく」の単なる言い換えというわけだ。


そんな不確かな「国民感情」(というか自分個人のわだかまり)を盾にして、Yahoo掲示板の連中は、小室圭は結婚相手として不適正だからやめろとか、眞子様は皇室を離脱しろとか好き勝手言う。
もっとも、そのように好き勝手なことを言う権利も、ある程度までは結婚と同様に憲法で保障されているから大切にしなければいけないが、このように他人の結婚にあーだこーだ言う連中は何だか、いわゆる「毒親」みたいな感じだと思う。

 

俺の親は幸いなことに子供の権利と自由を尊重するまともな人物だから、俺は毒親という存在が実際どういうものかよくわからん。
でも、その定義からするに、子供が当然持っている権利を侵害しつつ、あれやこれは自分の好きなようにコントロールしたがる存在なんだよな。
眞子様の結婚相手にどうのこうの言うのと全く同じなんじゃないかなと思う。

まるで自分が、世の中のすべてのことに口を出し、善悪を判断し、そしてコントロールする権利があるように錯覚する。
そういう連中を探すのはそんなに難しくない。

例えば、町中に侵入した危険なクマを撃ち殺した役所に、わざわざ遠方から「可哀想だからやめろ」と電話で圧力をかけてくる連中がいるようだけど、(皇室だろうが何だろうが)他人が誰と結婚するのか口を挟みたがるのも基本的に同じもんだと俺は思う。

そんな連中が決まって頼りとする論理(のようなもの)が、国民感情という、あってないようなものというわけだ。

 

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そして、見過ごされがちだが、眞子様の人権にとって重要な点がもうひとつ。

仮にYahoo掲示板の連中が言う通り、国民感情とやらに配慮した結果、この結婚が破断になれば 、今後、眞子さまが結婚を予定する相手には、必ずこの【国民感情に沿っているかどうか】のチェックが入ることになる。話は小室圭だけに終わらないのだ。

 

今後、眞子様の交際相手は、生い立ちや、親族、性格や性的嗜好、学校での様子など、すべてが週刊誌やネット掲示板の話題となって、何の権利かは知らんが「OK」「NG」の判断を下されることになる。

だが、その判断に眞子様は従わなければならない。なぜなら、過去に小室圭をその判断でNGにしたのだから、次の男とは自由にやるのでは一貫性がなくなる。

そしてそれら一連の行為は、対象が皇族だろうが甚だしい人権侵害だ。

当然ながら、今後、男女問わず皇族と結婚したがるような人なんて皆無になるだろう。

 

実際に、皇族の結婚相手は「まともで、由緒正しい人に限るべき」などという、憲法21条のほか憲法14条などにも抵触するようなことを言っている人もいるけれど、もしその案を採用するとしても、誰が、どのような方法で、その人のまともさ、由緒正しさを判断するのだろうか。俺にはわからない。 結局のところ皆がみんな「自分がムカつくからだめ」レベル以上の話をせず、全く何も決まらないことになる。

 

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また、こうして「憲法ガー」と言うのに対して、「皇族は憲法の適用対象外。一般人とは違うんだ」みたいな話をしている人もYahoo掲示板では見かけるが、最高法規である憲法が適用されない人たちがあるなら教えてほしい。どういう理屈で「皇族は別」なのか。

税金で養っているのだから、皇族などは人権を制限してもいいのだと、彼らは当然な顔をして主張する。

しかし、皇室典範だって日本国憲法の「下」なので、皇室典範の内容が日本国憲法に違反していれば、その規定は無効となる。従って、皇族は間違いなく憲法基本的人権の保護を受ける。そもそも天皇の存在だって憲法で規定されているのだから。

 

 

ところで、こうして個人の権利が攻撃されている時に限って、日頃から人権だの、フェミニズム運動だのしてるリベラルな連中が静かなのも困ったもんだ。
お前たちがいま頑張るのは、原発阻止でも、森元総理への悪口でもなく、眞子様憲法に基づいて無事に結婚できるように尽力することだ。護憲活動に関する日頃の熱い思いはどこへいった。Yahoo掲示板がネットウヨクどもの好き放題にされていて悔しくはないのか。

 

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また、小室圭との結婚を止めさせる理由として、結婚後に支払われる結婚支度金のようなものが税金から拠出されるので、それが嫌だという意見も非常によく見かける。

自分がムカつくやつに、自分の金が渡るのが嫌だという気持ちも分かるが、たかだが1億円程度の税金(国家予算の0.0001%程度)の使い道について、Yahoo掲示板に書き込んでる連中が、普段から他のどんなことに使われているか熱心にウオッチしていのか、俺には疑わしい。

他にもいろんな無駄なことに税金が使われている中で、よりによって結婚という重大な人権のひとつを制限してまで1億円の支払いを止めさせたい理由が俺にはよくわからん。
正確にいうと「なんかムカつくから」以外の理由がよくわからん。

 

「税金を払っているんだから口も出す」のような意見もYahooでは見かけるが、これはとても恐ろしいことだと思う。
要するに、誰かから(または、税金などで)養育されていたら、誰と結婚するな、または誰と結婚しろ、みたいなことを受け入れなきゃいけないってことだ。
それこそ毒親みたいなもんで、成人するまできちんと育て上げた実の親ですら、子供の結婚の意思には関与できないのは上記した憲法のとおり。
他人の結婚を、公共事業の適正性の精査か何かと勘違いしてるんじゃないのか。


というか、税金の適正な使途がどうのというロジックめいたことも、国民感情がどうのこうの言うのと同じく、すべて「なんかムカつくから」に集約されるんだと思う。

なんかムカつくから人権を制限しようとする。これが近代国家のあり方か俺には疑わしい。

中世のヨーロッパでは、なんかあいつ気味悪いから魔女だってことにして、死刑にしちまおうぜ、などということがされていたらしい。

小室圭はなんかムカつくから、眞子さまとは結婚できないってことにしようぜ、という理屈(?)と同じことだ。

そういう魔女狩りみたいなことを止めさせるために、「法治主義」の原理が整備されたのだから、大人しく静観すべきだと思う。
普段から法治や立法の仕組みを理解して、ものごとを是々非々で考えられる人まで、このカップルの結婚には「破断にしろ」とか言うもんだから残念な思いがある。

 

もっとも、法的にこの結婚を破断に追い込む方法はゼロじゃない。

上記したとおり、俺だって小室圭が好きだったり、彼の人格を支持しているから結婚に口を出すなと主張しているのではない。

法によって認められているのだから、その法に従って黙って見てなさいと言っているのであって、その状況を変えたければ要するに法を変えたらいい。

具体的には、小室圭と眞子様が結婚するまでに、憲法21条を改正したらいい。
Yahoo掲示板の連中が望むように「結婚は両性の合意により成立するが、なんかムカついた場合はこの限りではない」とか。

憲法21条についてはこのほかにも、「両性」の部分が結婚を男女間でしか認めない前提になっているからよくないとかで改正議論の的にされやすいから、一緒に改正することで手間もそんなにかからないと思われる。

小室圭がムカつくから憲法を改正しようというのならば、それなりに筋が通った意見になるだろう。

 

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ただ、小室圭も小室圭で、彼もまた自分で炎上を引き起こす性質があるのも困ったもんだ。
上記したとおり、国民感情なんてのはあってないようなもので、何がどうなったら「国民感情に応えた」ことになるのかもわからない。
なので、そんなものに配慮して、また掲示板で叩かれるだけの文書なんてせっせと作ったりせず、さっさと定職について、さっさと結婚しちまえばいいんだ。

君や、君の母親がどのような人物だったとしても、君と眞子さまが合意していれば結婚できる。法律を勉強しているならばわかるだろ。そんな書面で母親の言動を説明する必要なんか微塵もない。自己満足以外のどんな理由であんな書面を公開したのか、俺にはわからない。


ただでさえ、小室圭が眞子様と婚約した2017年から4年間も、ネットの連中は遅々として進まないドラマを見せられているようなもので、それでヤキモキした結果として悪口を言いたくなるのかもしれない。

要するに煮え切らない態度も炎上に油を注いでいる原因なのだと思う。

 

俺が小室圭だったら、母親の問題はこの結婚とは全く無関係だと一回だけ釈明した後は、何も記者発表するようなことはせず、速やかに就職して、(結婚は憲法上保障されているので全く不要だと思うが)場合によっては「納采の儀」を取りやめたりしてから(Yahoo掲示板の連中は、この儀式が行われるのがとにかく嫌なんだそうだ)、さっさと婚姻届を区役所に提出する。眞子様のことが好きだったら、やるべきことは以上だ。

それから、ネットの連中の嫌がらせに備えてアメリカに移住して、この後一切、皇室に関わるようなことはしない。

それを早く実行せずグズグズしているから、不要な勘ぐりを呼んだり、痛くもない腹を探られるのだろう。

 

もっとも、いつ結婚するだとかも完全に小室圭と眞子様の自由だし、実際は宮内庁も、毒親の如くうんだらかんだら言ってきて、このように自由なことができないのかもしれないが、そこで覚悟を見せれば見直す人も出てくるんじゃないかな。
「この世界を全員敵に回してでも君を愛する」なんて、今どきドラマでも言わないようなことをリアルに実行できるのは君だけだ。

 

そして無事に結婚できた後、アメリカで仕事を見つながら暮らしていくのは大変かもしれないが、弁護士としての仕事なら実はたくさんある。
これまで自分や母親の悪口を書きまくってきた週刊誌やYahoo掲示板の連中を片っ端から名誉毀損で訴えまくって、慰謝料請求する。これだ。
こうした悪口はありがたいことに現時点でも無限と形容して差し支えないほど大量にあるから、数年間は弁護士として食い扶持に困らないし、弁護士業としての実績作りにもよい。

もしかしたら彼は後年のコレを狙って、いまは「炎上芸」をせっせとしているのかもしれない。

そうだとしたら、眞子様にとってはこれ以上ない最強の旦那になることだろう。

 

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以上のようなことはツイッターでも繰り返し言っているのだけれど、フォロワーにすら全く支持されないから、本当に小室圭って嫌われてるんだな~と思う。

 

でもまあ、彼が、俺や俺の家族に何か嫌がらせをしてきたわけじゃないから、基本的に彼の結婚については上記のような感想を持っている次第。

 

長野行く。車で。

緊急事態宣言だということで、長野県にお出かけする。

 

緊急事態宣言だっていうのに、よもや遊びに行くやつぁいねえだろうな、などと冒頭の数文字だけ読んでお怒りになる皆さんの顔が思い浮かぶ、でも待ってほしい。違うんだ。


長野県に諏訪神社という場所があり、そこは厄除けで有名な神社だ。そこに、コロナが終息することをお祈りしにいくのだ。
そうすると、立ちどころにこの世界からコロナが消滅する。
このブログの読者は一般的な日本国民を想定しているから、そうした願掛けだとかに何の意味があるんだと思われそうだが、俺にはなんだか、そんな気がするんだ。


そしてついでに、最近軽井沢にオープンしたという、庭で焚き火ができる半キャンプ型のホテルに泊まってくる。
キャンプしてもよし、ホテルのベッドで寝てもよし、そんな宿泊施設だ。素晴らしい。コロナ終息のために、俺はやる。

 

で、そんな神の祝福を受けた戦士である俺だが、大きな問題がひとつ。

車で行くんだよね。それがとても怖い。神の戦士にしてはなんとも情けない話だ。


半年おきくらいに旅行してるんだが、そのたんびにこの問題が大きくのしかかる。
前回は九十九里浜までいったけど、一度だけ「ぷっぷー」されたし。

車の運転って大変だよな~~~。運転して旅館まで行ったよ。の話。 - 青山日記

 

 

あれは千葉の浜辺まで行くもんだからそんなに困難は無かったが、今回は割と都心を抜けていくルートだから、今からこうして遺書をしたためている。
遺書の内容は、具体的には次のとおりだ。

 

・大切なことなので、最初にいいます。この遺書を読み終わったら、このPCとスマートフォンを完全に破壊してください。
・会社のデスクの脇机の、下から二番目の引き出しに「まずい書類だから、ほとぼりが冷めたころに捨てる書類」がたんまり入ったボックスがあります。
 それも完全に捨ててください。間違っても燃えるゴミの日に出さず、シュレッダーしてください。
・クローゼットの革のかばんも、中身を見ることなく捨ててください。
Twitterに「青山の母です。生前は息子をフォローしていただき・・・」だけはやめてください。

 

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ペーパードライバーってわけじゃなく、半年に一度くらいは乗るんだよね。
そして幸いにもこれまで無事故でいるんだが、乗るたびに「前に進むときは、Dだよね」などとググって調べているのは頼りない。


早く、少なくとも首都圏の道路はすべて無人運転化してほしい。
その無人運転のために、AIを一生懸命開発しているんだそうだが、そんな必要はまったくない。ディズニーランドの乗り物みたいなのでいいんだよ。全部レールがついているような道路、あれでいいんだ。クマ太郎のハニーハントみたいなの。

 

都会は信号も複雑で困る。

俺が知ってる信号は、赤、黄、青の3つだ。これ以外にない。
ところが、都心部の道路では、この信号の上にさらに別の信号がついていることがある!
牛を育て、羊を追い回す生活をしている皆さんには想像もできないだろうが、信号が複数ついている道路が世の中にはあるのだ。

 

さて、公道に出る前に道交法を勉強したらどうですかとTwitterに書き込もうと決めていた君よ、すこし待ってほしい。
全く心配ない。なぜならば、俺は神に祝福された戦士だから。

あと、そんなバカみたいな理由じゃなくても、明日は安全運転ができそうな合理的理由がもうひとつ。それが緊急事態宣言だ。
緊急事態宣言だっていうのに、よもや遊びに行くやつぁいねえだろうな。

 

当ブログ記事への通報につきまして(経緯のご説明)

 

皆様、ご無沙汰しております。

 

一部報道にあるとおり、当ブログの読者の皆様には大変ご心配をおかけしました。

申し訳ございません。

本日は、当ブログ記事を原因として生じた一連の事件につきまして、この場を借りて経緯のご説明及びお詫びをさせていただきたいと思います。


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事の発端となりましたのは、私が本年2月27日に当ブログへ投稿した「近ごろ悪夢しか見ないんだが、何かしたか?」というエントリーです(以下「当該記事」といいます。)。

 

当該記事はタイトルのとおり、最近悪夢ばかり見るということを、自分なりに面白おかしく表現したものでした。詳しくは本文をご参照ください。

 

当該記事の中で、私は、私の勤務先の同僚に対して「変わった夢を見続けて困っている」旨を相談したことを記載しました。

また、当該記載の中で、話の「オチ」をつけるために、的外れな助言を行った同僚の「家に火を放ってやった。(原文ママ」といった表現をいたしました。


さて、この表現は過激ではありますが、上記の通り面白いネタの「オチ」、すなわち作り話であって、実際に同僚の自宅に放火した事実はありませんし、もっとも「同僚」という存在自体が架空のものです。


ところが、そうした作り話に関して、私のご説明が不足していたことから、一部読者の方に誤解を与えてしまうこととなりました。

 

具体的には、私が当該記事をアップロードした2月27日正午過ぎに、当該記事の内容を真に受けた一部の読者から、警視庁のサイバー犯罪対策窓口に対し、本件記事に関する通報がされました

 

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当該記事の投稿から1ヶ月が経過した3月25日(木)午前7時頃、私が自宅で出社の準備をしていた時、インターホンが鳴りました。

玄関に出ると、スーツ姿の男性が2人立っており、片方の男性が私の氏名を確認した後で、自分は警視庁青梅警察署の刑事であり、ブログの件で事情を聴取したい旨の説明がありました。

 

この時点で、私には事情聴取されるような心当たりが全くありませんでしたので、何かの勘違いだろうと思いましたが、とりいそぎ、職場には急な体調不良で休暇を取る旨の連絡を行い、適当な洋服に着替えた後、刑事2人と乗用車に乗り込みました。


車の後部座席に載せられた後、刑事の一人が、運転席付近からノートパソコンを取り出し、私の方へ向けました。
その画面には、私のブログと、2月27日に投稿した当該記事が表示されていました。

 

ノートパソコンを手にした刑事から「このブログは君が書いたんだよね?」と聞かれ、それは事実でしたので、「はい、私が書きました」と答えた途端、その場で刑事は現在時刻を宣言したうえ、私を逮捕しました。

私は人生で初めて手錠をかけられました。


私は、単に悪い夢を見るという内容のブログがいったい何の罪にあたるのか、というか今の「これ」自体も悪い夢なのではないかとパニックになり、手錠をかけられた後のことを曖昧にしか記憶していませんが、速やかに青梅警察署まで連行され、そこで取り調べを受けることになりました。


なお、連行される間に家族や会社と連絡を取りたかったのですが、ブログ削除等の証拠隠滅の恐れがあるという理由から、スマートフォンは没収されていました。


警察署に到着した後、私のブログの記載の何が問題で、どういった容疑がかけられているのかを説明されました。

嫌疑は、刑法第108条「現住建造物等放火罪」、つまり「放火」とのことでした。

本記事の冒頭でも述べましたが、「同僚の自宅に放火した」旨の記述が一部の読者によって通報され、警察によってこの記述が犯罪の「自供」または「予告」として判断されたことで、私はこのように逮捕されたとのことでした。

 

当然、私は、ブログの記事は架空である旨を必死に説明しましたが、それを「嫌疑否認」として捉えた刑事は、これまでの冷静な対応がウソであるかのような大声で私への追求を開始しました。


このときの刑事は言動は、まるでドラマでも見ているかのように凄まじく、記憶している限りでも
「刑事なめてんじゃねえ」
「架空なのはお前の供述だろ」
などといった発言がありました。

 

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その日のうちに、東京地方裁判所から「家宅捜索礼状」が発出されたことから、私は刑事と10数名の捜査員とともに自宅に戻り、家宅捜索を受けました。

その際、ブログの執筆に使用したノートパソコンのほか、なぜか3年前に私が東京ディズニーシーで購入したジェラトーニという猫のぬいぐるみも押収されてしまいました。

 

家宅捜索後、再び警察署に戻った私は、結局勾留されることになり、それから数日間、警察署内に寝泊まりしながら取り調べを受けました。

刑事からは「証拠の分析に時間がかかる一方で、自供も無いことから、このような目に合うのだ」と言われました。

しかし、やっていないものはやっていないのですから、私は刑事に対して毎日同じような話をしては、留置場に戻って寝るといったことを繰り返しました。

 

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そして、3月30日(金)の午後になってから、ようやく私のノートパソコンの解析が終わったらしく、刑事から説明を受けました。

パソコンに保存されていたデータには主に「ねこの写真」「ラーメンの写真」「グラビアアイドルのエッチな写真」しか無く、供述や物証からも決定的な証拠が得られなかったということで、【嫌疑不十分】となり、当日中に私は釈放されることになりました。

 

私は安堵感を覚えるとともに、これまで無実の罪を執拗に攻められた怒りが急に湧き出し、刑事に文句を言うつもりでしたが、刑事からは逆に、

「このように人騒がせなことを書くな」
「おまけに記事の内容も面白くない」

などという叱責を受けました。

 

数日間の逮捕・勾留という人権侵害を受けた上、ブログの内容すら非難されるというあまりにも酷い対応に、当日中に「過払い金の相談なら♪ アディーレ法律事務所」に連絡したうえで、日本弁護士連合会に対して人権救済の申立てを行いました。


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以上が、私がここ数日連絡不可となっていた事情の全てです。

 

今後ともブログを続けていく予定ですが、誤解とはいえ、今回の件を大いに反省し、再発防止に取り組んでいきたいと思っております。

 

具体的には、これまでのように

 

・「同僚を殺害(2018/1/5記事)」
・「同僚をアリさんマークの引越社のトラックで轢いた(2017/9/19記事)」
・「同僚は、ピザをこねるために買ってきた麺棒で殴打したうえで殺害し、柔らかなピザ生地に包んで森へ捨てた。(2016/11/17記事)」

 

などといった、犯罪行為と誤解されるような記載をしないよう、十分注意いたします。

 

更に、全ての記事の末尾に、「※この記事の内容はフィクションであり、登場人物、団体名等は全て架空のものです」といった注意事項を記載することといたします。

 

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なお、本件については下記リンクの通り、一部報道を見て「青山のことだ」と察した読者から、励ましのご連絡を多数頂戴しました。この場を借りてお詫び・お礼申し上げます。


ブログの「ネタ」に通報 ブロガー20代会社員逮捕

https://www.bbc.com/japanese/video-56006376

 

 

※「この記事の内容はフィクションであり、登場人物、団体名等は全て架空のものです」

 

桜の季節が過ぎたら

こんにちは。

特にどこに出かけるわけでもなく、毎日同じような日々だから特に書くことも生まれない。これに加えて最近は「ウマ娘プリティーダービー」という、この銀河誕生以来の最高に楽しいゲームに熱中しているので、ブログを書く時間も無いし、本も読んでいない。本を読まないと、頭の中に言葉が浮かんでこないから、ますます文章を書く気にもならない。

これが今年になってもあんまりブログを書いてない理由のほとんど全てだ。ウマ娘が面白すぎるのが悪い。

 

そんな単調な日々ではあるけれど、明日(25日)は休暇をとった。

このご時勢に休暇を取るときまりが悪い。上司から同僚から、漏れなく「 コロナ禍だってのに、どこ行くんだこいつ。まさか花見じゃねえだろうな」と思われるからだ。

別にどこに行かなくたって、休暇を取るのは自由だ。仕事から開放されて、日々を好きに過ごす。具体的には朝から晩までウマ娘プリティーダービーをやる。そうした一日を過ごしたって、十分リフレッシュになるというものだ。ただし明日俺は花見に行く。

 

毎年、この時期には千葉の某公園に行って満開の桜を見る。桜を見ながら、東武のデパ地下で買った弁当を食う。このとき最高の幸せが訪れます。安倍晋三も「桜を見る会」で、こんなふうにデパ地下の弁当食いながら幸せを感じていたんだろうか。

 

今年もそれを楽しみにしつつ、3月25日の休暇を申請していたら、同じ日に後輩も休暇をとっていることが判明した。このコロナ禍だってのにどこ行くってんだ。まさか花見じゃねえだろうな。