みんなは車にハネられたことある?

 

このタイトルで分かるように今日は恋バナするよ。

 

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俺がここ数年よく思うのは、人生のパートナーとなる人は、知識があるでもなく、優しいでもなく、ましてやお金があるでもなく、一緒にいるとなぜか運気がよくなる人を選んだほうがいいってことだ。

これは我が国でも有数の理論物理学である細木数子先生もその著書の中で述べておられる。

 

知識だの優しさだのは人前でいくらでも取り繕うことができるんで、実際のところはよくわからないし、時の経過とともに変化する。
また、お金についても今後どうなるかなんてわからない。つまり他人というのはわからないことだらけだ(自分自身のことだって俺たちはわかっていないんだからな)。

 

そこで、現時点での「顔のつくり」で全部を判断するという(やや懸命な)人もいるが、もっと良いのは「運が良いか」で判断することだ。


こんなオカルトなこと、俺も信じていなかったが、仕事をしていると如実に「世の中には勝ち運を持った人と、負け運を持った人がいる」ことに気付かされる。


とてもきちんとした努力をしているのに、どうしてか不幸なことやタイミングの悪さがあって失敗する。そしてそれが続く。

こうした人というのは君たちの周りでもいるだろう。これが負け運と呼ばれるものだ。

で、人生のパートナーは、それとは逆に、なんかこの人がいるといろいろと都合のいいことが周りで起こるな・・・と実感できる人を選んだほうが良い。例えば、一緒に行こうと思っていたコンサートのチケットが当選する。たまたまデートした日に楽しいイベントがやっている、等。


科学的な証明方法は複雑なのでここでは省略するが、とにかくそういう運だとか気の流れだとかのは存在して、その人の人生に終始ついてまわる。その前提で今回の話を読んでくれ。
そして、人生のパートナー選びというのは、そうした「運の良さ」によって判断するのが良いんだ。
ということを、今回の記事の前提として嫌々ながら享受してほしいと思う。大丈夫すぐにおわるから。

 

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さて、以上のような奇妙な主義主張をもって、例えば合コンに呼ばれたとする。

君の前に並んだ異性の中で、とりわけ運の良い人を見つけなければならない。

従って、合コンが始まるやいなや、みんなに以下のような質問をぶつけてみるのがいいだろう。最初の飲み物が運ばれてきて、みんなが一通り名前と職業などを言い終わった後の一発目だ。
みんなって車にはねられたことある?

 

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うん、君たちが言いたいことは手に取るようにわかる。
車といっても色々あるだろ、軽自動車から始まってトラックやら、高級車、バイクは含むのか含まないのか、そこの定義がわからん」ということだな。
おっしゃる通り。これは、エンジンで動く鉄の塊だったら何でもいい。ハネるものに貴賤無し。

 

疑問が解決したところで、さあ、この質問に対する返事の内容如何で、人生のパートナーを決めたら良い。


でもどんな返事だったら喜ばしいだろうか?


「過去に車にハネられた経験がありつつ、更になるべく傷を負わずに生還して、今この場にいる」ことだ。これが最も運がいい。


いやお前そもそも車にハネられない人のほうがずっと幸運なんじゃねえの??? って思った君は、確率を勘違いしている。

 

A:車にハネられない確率(幸運)
B:車にハネられた上で(ここまでは不運)そこから生還する確率(ここから幸運)

 

このAとBを比べた場合、Bのほうがずっと起こり難い事象である(きっと)。
そして、Bは(結果的に)幸運である。

 

このことから、車にハネられずにいる人よりも、ハネられた上で生還して今この場にいる人というのがずっと幸運を持っているといえる。

神の「まだ生きろ」という祝福を受けている人物である。(厳密な数学的証明方法は複雑になるので省くから、とりあえずこの前提で頼む。

 

ちなみに言うとこれは、この前、筆者が「世界衝撃映像スペシャル」みたいなテレビ番組をだらだらと見ていた時、強盗が撃った拳銃の流れ弾が下腹部に当たりつつも、ベルトのわずかな金属のバックル部分に命中したことで奇跡的に無傷で済んだ男が「超ラッキーボーイ」として紹介されているのを見ていやお前そもそも撃たれた時点でラッキーじゃねえだろ!! と感じたところでハっと気がついた理論だ。

 

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じゃあ実際に、合コンの場で「車にハネられたことある?」と聞いた時の反応別評価をシミュレーションしてみよう。


1.「え~、何いきなり(汗)。そんな事聞く?!」

これは保留とする。
常識ぶって話を戻そうとしているが、実際には過去に大きな事故の経験があって(この場では言い出せず)、その後付き合ってからエッチする時に、背中にある大きなトラックのフロントバンパー型のアザを見つけることになる可能性はゼロではない(そうなったらしめたものだ)。


2.「あるよ!! むかし○○にハネられた!笑」
これは基本的に採用。

で、その○○は排気量が高いほど良しとする。例えばその場に日産のマーチにハネられた男と、カローラにハネられた男がいたらカローラ男に加点する。そんな車にハネられたヤツばっかりで合コンすんな。


また、こうした場で素っ頓狂な質問をされてすぐにノってきてくれる、気の利いたところもポイントが高い。俺なら幸運と機転を併せ持つこの子と付き合う。


3.「あるわけないじゃん、ふつー。ばーか」
これは安心して即座に却下してよい。
それに、たとえバカみたいな質問だとしてもちょっとは工夫して返事してもらいたいもんだ。二度と口きかなくていい。

 

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ここで、ひとつ読者が気がついていない事項について注意をすると、基本的に合コンの場でこうしたエキセントリックな質問をした場合は、周りと比べかなり後手からのスタートとなる。
運の良い異性を見つけ出したところで、次に恋人関係になるまでが通常よりもかなり困難となると思われるので、その変は留意してもらいたい。

 

が、ここで朗報。
合コンに適したアミューズメント的居酒屋には、「ひとつだけたっぷりカラシが入ったシュークリーム」とか「ひとつだけワサビ増量寿司」だとか、他人の運を客観的に測定できるメニューが置いてあるところがある。ああしたメニューはまさにこのために作られたものなのだ。いきなり「事故ったことある?」だなんて聞いたら嫌われてしまうかも、と不安に思うのであれば、これを利用しない手はない!

 

合コンが始まって間もなく、じゃあとりあえず飲み物を注文しようか~という流れになってから、こうだ。
とりあえず人数分ビール! それから一つだけカラシがたっぷり入ったシュークリームお願いします!

 

最初の注文が枝豆でも鶏のから揚げでもポテトフライでもなく、そんなイロモノメニューだということに多少は抗議の声があがるかもしれないが、他人の運を測定し未来のパートナーを選別する作業のためにはやむを得ない。

 世の中の合コンで何をしているかというと、ただ食っちゃ飲み、そして愚にもつかない話をして(車にハネられた話もせず)結局酔っ払って帰るだけ。
何がオニオンリングだ。そんなものはガストで食うものだ。そうではなく、合コンではひとつだけカラシがたっぷりはいったシュークリームを食べるべきであって、他には何もいらん!


ただし、ここで注意したいのは、このシュークリームでカラシを引き当てた人が「幸運」なのか「不運」なのかということだ。

これに関しては「不運なやつ」としてこれ以降口を聞く必要はない。


というのも、「勝ち運」というのは、単にレアな事が起きた、というだけでなく、ちゃんと本人にとって好ましい結果であることが求められる(つまり結果的にラッキーだということ)。
車にハネられた経験でいえば、ハネられたこと自体は不運ながらも、そこから生還したことが大ラッキーなのであった。

その法則に従えば、ここでからしシュークリームを引き合てた者については、合コンの最初に何カラシ食ってんのこいつってだけの可哀想な人だ。まぬけめ!

 

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ここでひとつだけ大きな問題があることに気がついた。
通常、こうしたからしシュークリームにはハズレが1つしかなく、従って1回の施行につき、負け犬を1匹しか見つけることができないじゃん❢

 

さらに言えば、必ずしも異性がハズレを引き当てるとは限らない(更には自分自信で食っちまう可能性だってある)。

困るなあみんなでもっと効率よくカラシ食ってくれないと・・・。


仮に男女3人ずつ、合計6人のグループの中から、ただ1人だけの幸運な異性を見つけようとすると、最悪の場合は5回ほどこの過酷なロシアンルーレットを行わなきゃならん。


「すみません、とりあえず人数分のビールと、人数分のカラシシュークリームセットください!」

「おまえはこれから一体何をはじめようってんだ」

 

また、最後に付言すると、このカラシシュークリームというのは、カラシを食っちゃう可哀想な人が必ず1人は現れる一方で、それ以外の人は必ず助かるようにできている。

つまりじゃんけん大会みたいなもんで、最初にたまたま負ける人もいれば、たまたま最後まで勝ち残る人も必ず現れる。で、そういう人が「運がいい」かというと、必ずしもそうとは言い切れない(こうしたものを「生存バイアス」という)。

 

やっぱりこの方法はダメだ! 口の中をカラシまみれにしてこっちを睨みつけているみんなにやっぱり聞こう「みんなって車にひかれたことあり??」

 

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ちなみに俺は車にハネられたことある。

 

しかもミニバンクラスの結構デカいやつだった。

そう、私もまた神の祝福を受けた存在であると、ここに告白する。

 

小学校低学年の頃、友達の家から帰宅する途中の急坂を原付バイクすら追い越すくらいのとんでもないスピードを出しながらチャリンコで降りていた時だ(神に祝福される者に怖いものなどない)


こうしたガキというのは基本的にどんな無茶をしても「車が避けてくれる」と思っているんだな。で、交差点を左折してきた車にあっさりぶつかった。


乗っていたチャリンコは車の下に入り込み、めちゃくちゃに曲がった鉄の塊と化した。その一方で俺は、ぶつかった衝撃で大きく飛ばされて、道路をゴロゴロと転がった。

 

が、記憶してる限りでは無傷で済んだ!

俺をハネた車から大慌てで出てきたのは30代前半くらいの若い夫婦で、俺が生きていることに安堵しつつも大変なことをしてしまったような感じで「大丈夫ですか?!」と尋ねてくる。


俺の方は、何か大変なことをしてしまった思いでいっぱいだった(怒られて、車の修理代を請求されると感じた)から、早いところこの場から逃げようと「この近所に住んでいる、傷も負ってないし平気だ(だから早く帰りたい)」ということを伝えた。

 

すると、事故を起こした夫婦は「それなら、今からこの車に乗って家まで送り届ける」と申し出てきた。

 

【間違いなく惨殺される】

 

直感的にそう思った俺はその申し出を断ったうえで、「どうしても俺の家に来たかったら、後からついてこい」と、めちゃくちゃになった自転車のカゴから自分の荷物を取り出して、平然と歩き始めた。 

 

青山少年がどんどん歩いていくもんだから、若夫婦も仕方なく後をついてくる。

事故を起こさせた上、こんなに歩かせてしまい、重ね重ね可哀想なことをしたもんだ。

更には途中、俺があんまり大荷物だったのを可哀想に思って、「私達も君の荷物を持つよ」と言ってくれた。

親切な人だ。これには素直に従うことにした。が、その俺の荷物というのが、たまたま友達の家に持っていった「スーパーマリオくん」全巻だったから、俺とその事故を起こした夫婦3人で、約30冊くらいのマンガ本を手にぞろぞろ歩いていくという奇妙な光景となった。しかも近所に住んでいるというのは早くこの場を去りたかったからついたウソで、本当は徒歩で片道20分以上はあるんだなこれ。

漫画を両手に抱えたご主人の「近所って言うけど意外とあるね(汗)」っていうか細い声を今でも忘れない。大切な青春の1ページだ。

 

1ページはいいとして、ようやく家についてから父親に事情を話したら、事故慣れ(?)している父は特に驚いたり怒ったりすることもなく警察を呼んでくれて、それから通常の事故対応になった。これら父親に感謝している。父は「子どもは冒険で成長する」という危険な思想の持ち主なのだ。


常識のある母親のほうは、事故の連絡を聞いて血相を変えて帰宅して、俺がどこの病院に搬送されたのか父親から聞いたところ「いま2階でゲームしてるよ」という返事を聞いてまたびっくりしたらしい。

 

これから幸せな生活が待っている若い夫婦に、業務上過失致死傷罪の悪夢をチラ見させてしまったことは今でも申し訳なく思う。
が、このエピソードを通じて今でも俺が幸運だと思うのは、車にハネられたにもかかわらず無傷で済んだこと以上に、その若夫婦の車に同乗しなかったことだ。
なぜかって言うと乗ったら絶対に間違いなく惨殺されていたからな!!!!!


ほいほいと車に乗った俺に、顔面蒼白の夫婦は振返り、こう言うだろう「ぼうや、私達と海見に行こうか。海の底は、きっとお魚がたくさんいて楽しいよ」。

 

人の言うことをホイホイ真に受ける人はカモになる。

それは合コンだとかでも同じことだ。
僕らはそういうものを跳ね除け、運の良い人とともに運の良い人生を送りましょう、という話でした。

 

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